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哲学と建築のリアル
#04
忘れられた
「山の思考」

 

哲学者・鞍田 崇さんと、建築家・西田 司さんとの対談もついに最終回。前回話題となっていた、日本人の主体性と都市におけるサービス過多との関係、そして、名著『遠野物語』を引き合いに民俗学の話題へと……、どうやらふたりの議論は尽きることがなそうです。

 

@東京・御茶ノ水(Voici Cafe)

 

サービス過剰時代に生きる

鞍田 東京には5年前、明治大学准教授の就任と同時に引っ越してきました。当初は毎朝、生田キャンパスまで車で通勤していたんですが、とにかくキャンパス付近はすごく渋滞するんです。

西田 ええ。

鞍田 信号を右折待ちで止まっていると、背後に視線をビシビシ感じて(笑)。でも、そんな時、必ず対向車が譲ってくれたり、減速してくれたり。首都高でも合流車線にいる車を本線側の僕が減速して入れてあげると、必ずハザードで「ありがとう」って合図してくれます。こんなん阪神高速でやってもらったことないです(笑)。

西田 (笑)。

鞍田 関西は入れてあげても、だいたいそのままピューッて行っちゃう(笑)。この首都圏における交通マナーの良さは何なんやろうって考えた時、たぶん道路というインフラに対するサービス提供量において、利用者のニーズが多すぎて(サービスが)追いつけていない、と思ったんですね。

西田 あぁ、なるほど。

鞍田 つまり、そういった状況下になれば、人は自ら考えて減速するし、ハザードランプで挨拶するんだ、と。あまりにもサービスが過多になってしまうと、人は「されること」に慣れてしまって、自分から社会にシグナルを送ることや、減速することさえ忘れてしまうんじゃないか、と。

西田 確かに、そうなのかもしれません。

鞍田 前回の話で出たアーバンキャンプでの主体性の話や自分たちで楽しむ能力の話も、僕らはもともと、そういうポテンシャルを持っているはずなのに、この社会に甘やかされ過ぎてるんちゃうかって思うんです。

西田 はい。

鞍田 だとすれば、一見、ギスギスしている世の中だけど、あまり悲観的にならなくてもいいのかなって、じつは、忘れているだけなら。

 
民俗学にみる日本人の主体性

西田 先日ある人から聞いた話ですが、いわゆるイノベーションには「改良型」と「破壊型」があるらしく、日本の工業化は基本、改良型イノベーション。より軽く、よりきれいに、よりミスがないとか、無駄がないとか。

鞍田 うん、そうですよね。

西田 改良型イノベーションでは、「この人が一番よく知っている」とか「これに合わせてつくれる」とか、もともとは農耕民族なので、「今年は土地がこうだったから来年はこうしてみよう」といった具合に、いわゆる知識の幅やキャリア的にも年長者が意思決定をすることが良いとされています。これって日本人の気質にも合っていて、テレビやオーディオや車も、この改良型イノベーションで発展し、GNP世界第2位まできたわけです。ただ、このやり方だと領域横断型のイノベーションが起こりづらくて、そのせいで日本は今、停滞していると。

鞍田 なるほど。今の話をすこし単純化させちゃうかもしれないけど、日本の前近代的な社会における住まいって圧倒的に「山」なんだよね。

西田 なるほど

鞍田 民俗学の書物なんかを読むと、じつは日本にはもともと山の文化があり、平地の発想とはまるで異なる世界が広がっていたことがうかがわれます。柳田國男の『遠野物語』の序文には「願わくばこれをして平地人を戦慄せしめよ」とあります。つまり、「平地人が農耕文化だ!」と言って、ふんぞり返っているのに対して、「そんなん日本の一部でしかないぞ!」と。山には、それこそノマド的な人もいるし、焼き畑をする原始コミュニズムみたいな生活をしている人もいるんだ、と。

西田 すごい序文ですね。

鞍田 民俗学の世界って、ある種、対抗軸を社会に提示する装置でもあったわけで、僕は民藝がそこに一本の竿を刺しているところがあると思っています。先ほどの改良型か破壊型かはひと先ず置いといても、近代社会が暴走していく中では、それって基本的には「平地の思考」だよっていう。

西田 ええ。

鞍田 つまり平地に対して、「山の思考」をぶつけることで新しい時代に更新できる、と僕は考えています。お金は圧倒的に平地で動いているから、つねに平地が主役みたいに思われていますが、日本の国土は実際78割が山間部で、平地ってせいぜい23割。でも、平地でのキャピタリズムの暴走がずっとすさまじかったから、いつしかもともとあったはずの山の思想・思考・文化っていうものを僕らは忘れてしまったと思うんです。

西田 能力すらも?

鞍田 そう。もしかすると、「主体的に楽しむ能力」も忘れてしまったひとつで、これからは、そこを探っていくのもありかもしれない。

西田 なるほど、おもしろいですね。

鞍田 よく都市に住むか、地方に住むかっていう二者択一の話になるけれど、この社会ってそんなに平板なものではないってことです。柳田が伝えた世界は、つい60年前までは当たり前のように日本にあった景色。つまり、ほんのこの3040年だけ、我々は平地でのつかの間の夢を見ていたに過ぎないわけです。最近、田舎に移住する人が増えているのって、みんなどこかで、それに気づきはじめてるんかなって思います。

西田 選べる時代になってきて。

鞍田 そう。根っこには今なおあるはずだしね、「山の思考」が。(了)

前回までの対談はこちらより
哲学と建築のリアル#01 「聞くこと」から生まれるもの
哲学と建築のリアル#02 言葉や物の先に、暮らしがある
哲学と建築のリアル#03 人生とは、絶えざる問答

profile
鞍田 崇 takashi kurata

哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士学位取得(人間・環境学)。総合地球環境学研究所(地球研)を経て、2014年より明治大学理工学部専任准教授。著書に『民藝のインティマシー−「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社)、『道具の足跡』(共著、アノニマ・スタジオ)、『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著、フィルムアート社)がある。

profile
西田 司 osamu nishida

建築家。オンデザインパートナーズ代表。1976年、神奈川県生まれ。横浜国立大学卒後、スピードスタジオ設立。2002年、東京都立大大学院助手(-07年)。2004年、オンデザインパートナーズ設立。2005年、首都大学東京研究員(-07年)、神奈川大学非常勤講師(-08年)、横浜国立大学大学院(Y-GSA)助手(-09年)。現在、東京大学、東京工業大学、東京理科大学、日本大学非常勤講師。近著に『オンデザインの実験 -人が集まる場の観察を続けて-』(TOTO出版)がある。