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哲学と建築のリアル
#01
「聞くこと」から
生まれるもの

text:emiko murakami photo:akemi kurosaka illustration:awako hori

今回のケンチクウンチクにご登場いただくのは、哲学者の鞍田 崇さんです。鞍田さんは、20世紀初頭に柳 宗悦が唱えた「民藝」の思想が、2000年以降、再評価されていることに着目し、以来、民藝を通して日本人の暮らしや考え方の変遷などを考察し続けています。建築やデザインにも造詣が深く、オンデザインの西田さんとは初対面にも関わらず意気投合。話題は民藝の世界を越え多岐に広がりました。今後、4回に分けておふたりの対談をお届けしていきます。まずは、その第一弾から!

 

@東京・御茶ノ水(Voici Cafe)

 

民藝を通して時代を見る

西田 鞍田先生は哲学を研究されていますが、哲学から「民藝」へと思考のフィールドを展開されているのが、とても興味深いです。そもそも、どのような経緯で民藝の世界を見つめることになったのですか?

鞍田 たぶん大学時代、京都に住んでいたことが大きく影響しているのだと思います。大学のそばには「進々堂」という老舗の喫茶店があって、黒田辰秋のテーブルセットが現役で使われていたり、周りには河井寛次郎記念館があったり、学生の頃から街の中で民藝的な物に触れる機会が多かったんです。

西田 それはいい環境でしたね。

鞍田 僕が最初に哲学を研究したのがマルティン・ハイデガーです。彼の『存在と時間』という本に興味を持ち、生活から切り離された抽象的な議論が多い哲学の分野で、彼は日常の生活空間から議論をはじめていたんです。

西田 はい。

鞍田 身近な物として、ハイデガーは道具の分析からはじめて、のちに建築や芸術へと対象を広げていきます。いわゆる具体的な物を論じるところも自分の関心軸と重なったんです。

西田 なるほど。

鞍田 そしてある時、「そう言えば!」と思い立って柳宗悦の書物を読んでみると、彼も具体的な物について語っていたんですね。柳とハイデガーとは同い年で、いろいろ符合するところもあり、ハイデガーを研究することで培った現代社会に対する意思を柳の民藝論を通して、より具体的にというか応用編的に深められました。

西田 鞍田先生の著書『民藝のインティマシー -「いとおしさ」をデザインする-』(明治大学出版会)ではいわゆる現代社会が抱える人口問題や縮小社会の問題など、大きく変化する時代についても書かれています。先生がそうしたことを意識されはじめたのは、いつ頃からだったのでしょうか?

鞍田 「意識」という点で言えば明確なのは、やはり1995年の阪神淡路大震災だったと思います。僕はもともと兵庫県の出身で、神戸は幼いころからなじみ深く、京都暮らしをするようになってからも足繁く通っていた場所だったので、当時はすごくショックでした。ちょうど前日も神戸で友だちと呑んでいましたから。

西田 そうだったんですね。

鞍田 終電で阪急三宮駅を出てわずか数時間後にあの震災が起きました。数時間前まで確かにあった街がもうないという事実は、当時すぐには理解できませんでした。しかも慣れ親しんだふるさとのような場所でもあったので、いてもたってもいられない心境でしたね。後日、僕は知り合いを探しに被災地の避難所を訪ね歩くんですが、その時、心のケアをする東京医科歯科大のボランティアグループと出会ったんです。そこで「鞍田君は何してんの?」って聞かれたので、「大学院で哲学を研究しています」って答えたら、「じゃあ手伝いなさい」って(笑)。

西田 突然?(笑)。

鞍田 ええ。それまで僕自身、カウンセリングなんてしたことがありませんでしたから正直戸惑いました……。最近はPTSDという名で呼ばれていますが、災害が起こると、精神的なバランスを崩し、眠れなかったり、すぐに涙が出たり、通常の精神状態ではいられない人が多く出てきます。そういう時にガス抜きじゃないですが、話を聞く人が必要なんです。専門のカウンセラーや精神科医でなくてもできることなので、僕もすぐに関わることになって……。

西田 なるほど、そうでしたか。

 

ジレンマから学んだこと

鞍田 ただ、やりながら僕はすごいジレンマを感じていました。

西田 ジレンマ?

鞍田 はい。哲学って基本的には自分がどういうことを考えているのかを「語ること」です。でも、僕が関わった傾聴ボランティアというのは、基本的には語る必要がなくて「聞き役」なんです。

西田 あー、確かにそうですよね。

鞍田 当時の僕は震災前夜まで神戸にいて、そのあと、慣れ親しんだ街がボロボロになったのを目の当たりにしたので、自分自身も精神的には半分被災者の気分でいました。だからカウンセリングで生々しい話が出てきた時は、すごく苦しくて……。1月17日の早朝5時46分に被災地にいなかった僕は、どんだけ街との繋がりが深くても、あの揺れを感じていなかったという時点で、彼らと乗り越えなれない大きな溝があるような気がして。

西田 ええ……。

鞍田 被災者の話をでしゃばらずに、ぐっと我慢しながら聞かなきゃいけない立場でしたから、そういう葛藤のような経験を味わったことは結構大きかったです。結局、哲学って「語ること」が仕事のようだけど、じつは「聞くこと」もとても大事な仕事だなって、その時に思いました。

西田 気づかされたんですね。

鞍田 そうですね。つまり、「語るべき人が語るべき時に語るべき場所をつくり出す」のも哲学の仕事だと。「哲学という視点で社会とどう向き合うのか」を考える時に、聞く姿勢・スタンスを持つことはすごく重要なんだと思いましたね。

西田 鞍田先生とはすこし状況が違いますが、僕は2011年の東日本大震災のあと、石巻の震災復興プロジェクトで「ishinomaki(石巻)2.0」という活動に参加していました。その中で、復興のために動き出した現地の人々を取材し、彼らの声を届けるために『VOICE』というフリーマガジンを発行したんです。震災から3ヶ月の頃だったのでまだショックが癒えてないはずなのに、若者が元気に活動しはじめたり、おばちゃんはご主人を亡くされていたのに「何とかしなきゃ」と動き出したり、『VOICE』では、いろいろな方のお話を聞くことができたんです。

鞍田 おー、そうでしたか。

西田 僕らは現地に拠点をつくり、現地の人たちの活動から様々なプロジェクトを起こしてきました。結局、建築の仕事って、これまでは「この場所にこういう敷地があるから、それに対して設計しなさい」といった、マスタープラン先行の「敷地ありき」でやってきて、そこでどんな新しい建築をつくるかって競ってきたと思うんですね。でも、僕自身、石巻でのプロジェクトをやって感じたことは、そうした能力と同じくらい、その場所をどうしたいか考えている人と並走する「聞く能力」が必要なんだってことでした。

鞍田 それは、つまり、どちらか一方ではないってことですよね。以前、小嶋一浩さんが「CULTIVATE(カルティベイト)」という表現で、おっしゃっていましたけど、開発的なプロジェクトがそうだったみたいに、あらかじめ設定したゴールを目指して建築をやるというよりは、いまはその時々の状況によって方向性を変化させていく柔軟性・可変性が求められていて、じつはそれって単に建てるというよりも「耕している(カルティベイト)」に近いような気がする、と。でも、その一方で先日、建築史家の倉方俊輔さんと話していたら、最近は逆にそういうのが多すぎるっておっしゃっていました。建築家は最後は決断して線を引く能力が必要なのに、どうも聞く側に寄りすぎている、と。つまり「つくる勇気を喚起することも大事だよね」って話をされていて、僕もそれを聞いて、ハッとしました。

西田 確かに、そういう一面はあるかもしれません。

鞍田 たぶん、これまで、あまりにマスタープラン的発想が強すぎたから、時計の振り子のように揺り戻しが起こって、ようやく正常になろうとしているのかなと。

西田 ええ。

鞍田 今の時代、ただ縮小していくのを待つだけっていうよりも、やっぱりちゃんとつくっていかないといけないわけです。ただそれは今までとは違うつくり方とういうか、「聞く」っていう要素をふまえた上で、「じゃあ何つくる?」みたいな。つねに新しく創造をしていくことや、チャレンジする思想まで失ってはいけないと思うんですね。(次回へ続く)

この続きは、4月1日に公開予定です。お楽しみに!
profile
鞍田 崇 takashi kurata

哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士学位取得(人間・環境学)。総合地球環境学研究所(地球研)を経て、2014年より明治大学理工学部専任准教授。著書に『民藝のインティマシー−「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社)、『道具の足跡』(共著、アノニマ・スタジオ)、『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著、フィルムアート社)がある。

profile
西田 司 osamu nishida

オンデザインパートナーズ代表。1976年、神奈川県生まれ。横浜国立大学卒後、スピードスタジオ設立。2002年、東京都立大大学院助手(-07年)。2004年、オンデザインパートナーズ設立。2005年、首都大学東京研究員(-07年)、神奈川大学非常勤講師(-08年)、横浜国立大学大学院(Y-GSA)助手(-09年)。現在、東京大学、東京工業大学、東京理科大学、日本大学非常勤講師。近著に『オンデザインの実験 -人が集まる場の観察を続けて-』(TOTO出版)がある。