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Project Interview
建築の告白

text & photo:sho shiowaki, azusa yoshimura

プロジェクトを通して体感した仕事の醍醐味やほろ苦い想い出などを担当者自らが本音で語る、連載インタビュー。今回は、子育てをしながら仕事に向き合う、澤井さんにお話を伺いました。

 

第三回目

interview 澤井 紗耶加(41歳)

オンデザイン歴5年(ヘルム歴8年)
 
子育てしていると我慢しなきゃいけないことはたくさんあるけど、
「できることはやる」が私のスタンスです。

──まずは、オンデザインで働くに至るまでの澤井さんの経歴を教えてください。

 出身大学は東京電機大の建築で、そこから芝浦工業大の大学院に行きました。調査系の研究室で、「海外の集落に実測に 行き、動産物をすべて手書きで図面に起こすことによって、そこでの暮らしを図面の中に FIX する」という内容の研究を していました。
 大学院を出て小さなゼネコンに就職した後、そこをやめて 1 年間ほど ひとりで内装設計の仕事を受けて生活していました が、たまたま知人から「ヘルム(*1)がスタッフを探しているらしい」という話を聞いて、槇事務所出身の建築家だとい うことで興味を持って、面接に行き、採用していただきました。

(*1):株式会社ヘルム(現オンデザイン会長西田勝彦氏の設計事務所、2014年に合併)

──事務所の雰囲気はどのような感じだったのでしょうか。

 ボスを含めて所員が3~4 人と少なかったので、設計以外の業務もやっていました。事務・経理・秘書・設計 etc…、とにか く全部。契約書類もほぼ自分で処理していたので、事務所を運営するというのは大変だなあということを身に沁みて感 じていました。ただ、人数が少なかった分、ファミリー感はとても強かったです。
 それから、ヘルムでは公共建築の仕事がメインだったので、一つ ひとつの仕事の規模が大きかったです。〈小金井市民交流 センター〉と〈西能病院〉の ふたつが、私が主に担当した大きな仕事でした。
 事務所に入って 1 年ほどで、産休をとり、ヘルムにはトータルで 8 年くらい勤めました。その間にふたりの子供を授かり、オンデザインに 入ってから 3 人目を出産しました。
 現在は 3 人の子を育てながら働いています。 ヘルムで勤務していた頃の私の働き方は、「事務所の中で働くバックアップ要員として、自分がエンジンにはならない」という立ち位置 でした。なぜかというと、子育てをしながらだと予定が読めない部分があって、自分が突然いなくなってもリペアが効くよう にする必要があったので、当初からそういう働き方を意識していました。
 それがオンデザインに職場を移してから、自分がメインで回しながら、その下にスタッフがつくという働き方に変わりました。住宅の場合は、クライアントとは 一対一 の関係なので、自分の都合次第でいろいろ融通を利かせることもできますが、規模の大きな仕事だとそれができないケースもあります。でも、うちの子供たちは結構、体が丈夫で風邪を引かないので、とても助かっています(笑)。

──子育てとオンデザインでの仕事の両立について、今の環境をどのように感じていますか。

 私がオンデザインに入った時は、ママさんのスタッフが女性ひとりだけ(佐治さんだけ)でした。でも、ちょうど3人目を出産した時にオンデザインにベビーブームが来たんです。今は小さな子ども がいるスタッフも多くいて、結果的に子育てしやすい環境の仕事場になっているのかなと。
 そもそも、子育てしているしていないに関わらず、働き方 が人それぞれ違うことを認めている事務所なので、子育てによって仕事を諦めようと思ったことはないですね。 個人的には裏方要員から自分がメインで動くようになって、打ち合わせで私が道筋を決めて話すことが多くなりました。結果、勤務時間はヘルムの時から変わらないけれど、業務内容はハードになったかなあと思います。
 例えば敷地が富山県にあった〈西能病院〉では、その後お施主様である理事長さんから「自宅を改修したい」という依頼をいただき、毎週現地での打ち合わせ後は、走るようにして帰りの新幹線に飛び乗って保育園に子供を迎えに行っていました。 当時はちょっと大変でしたけど、できないことではなかったですね。 ちょうどプロジェクトに関わりはじめた頃は育休中になり、自宅近くにあった公民館の片隅で設計主任の岩崎さんと打ち合わせをしたりしていました。子供を抱っこしながら打ち合わせしたり、おんぶして模型をつくったりもしていましたね(笑)。末っ子がまだ0歳の時には、 毎年恒例の事務所の研修旅行にも連れて行っています。 子育てをしながらだと我慢しなきゃいけないことって、たくさんあると思うんですよ。でも、「できることはやる」のが、 私のスタンスですね。

  

〈西能病院〉2012年 photo:kouichi torimura

   

 

寄り添い続ける

 

〈窓と光の家〉2015年/ 密集した住宅街の中、旗竿状の敷地に建つ二世帯住宅。ふたつの世帯をそのまま上下に積み重ね、中心の光庭が暮らしをつなぐ。窓と光がつくるふたつの暮らしの重なり。photo:kouichi torimura

 私はずっとヘルムにいたので、施主=公共という考え方でした。つまりオーナーと最終的な使い手は違う仕事をやってきたんです。でも、〈窓と光の家 〉は、はじめてオーナーと使い手が一致する環境で設計ができたプロジェクトでした。つまり、「この人が YES と言ったら、世界中が NO と言っても YES なんだ」というところに、今までの経験と違った面白さを感じたのを覚えています。 お施主様はやりたいことがはっきりしている方で、例えば「この収納ボックスをいくつ使いたい」という要望があって、 そういった要望に対して、私が「こうやって入れたら使いやすいんじゃないか」と図面化して提案します。そういうキャ ッチボールを繰り返して設計を進めていきました。
 相手の求めているものが何なのか。つねにアンテナを張り、お茶をしている際も観察をしながら「この人はこういうことが好き で、逆にこういうことは嫌いなんだ」という好みの手がかりを探っていましたね。
 私自身も自分名義で住宅ローンを組んでいるのですが、家を買うって大変なことなんですよね。その後の人生、何年もお金を返 し続けないといけないということですから。だからお施主さんがどんなに些細な素材にもこだわるのは当然だと思っていて、オンデザインの中での自分と若手との差異は、そういう気持ちに寄り添えるとこ ろにあるのかなと思っています。
 〈窓と光の家〉も、竣工するまでいろいろと乗り越えないといけない問題もありましたが、つねに相手に寄り添って耳を傾け続 けることで良好な関係を築けてきました。完成してからも気持ちよく暮らしてもらえていることを実感しています。振り返ってみれば「何を 言われても寄り添い続ける」という設計者としての自分のスタンスを得られたプロジェクトだったのかもしれません。
 住宅は、各お施主様の好みやこだわるポイントがさまざまなので、やりがいがある分、難しさもあります。公共や賃貸だと、“性能”をクリアしていればデザインに関しては、それほど細かく指摘されたりはしないですよね。言い換えると、現在、私が担当している〈 横浜 DeNA ベイスターズ選手寮〉はオーナーと使い手が少し違うので、細かい部分の質を上げられるかどうかは自分の 裁量次第という側面もあるわけです。