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僧侶と語る建築“法談”
#02
掃除がお寺を
聖地化させる?

text:satoshi miyashita photo:hanae miura illustration:awako hori

 

東京・神谷町光明寺の僧侶を務め、「未来の住職塾」の塾長としても活躍する松本紹圭さん。前回に引き続き、建築家・西田 司さんとのトークをお届けします。「ポスト宗教」から「聖地化する場」まで、今回も建築の領域をこえた興味深い話が止まりません……。

@東京・神谷町光明寺

 

ポスト宗教の時代へ

西田 松本さんが前回仰っていた「心のインフラ」とは、例えば、身内が亡くなったり、友人が亡くなったりした時に、非日常のオアシスである「お寺」が(その人と)対話する場所(心のインフラ)となるっていうことですよね。

松本 はい。

西田 そうした「心のインフラ」が感じられるのなら、(お寺に)来る価値ってもっと共有できそうです。

松本 ええ。仏教自体は、本来「諸行無常」であり「諸法無我」なので、「何ひとつ変わらずにあるものは何もないんだ」と言っています。諸法無我、つまり「変わらずにあり続ける私というものはない」と。そして私とは、「仮初めの縁によって成り立っている現象」に過ぎない。今こうしてお話しているのも、ここにいる編集部のみなさんが聞いてくださっているから言葉になって出てきているわけです。だから私がしゃべっていることは、ある意味、共同作業でもある。そういう見方です。

西田 はい。

松本 今の時代、お寺が「家化」し、「実体化」しちゃっているので、お坊さん自身も「仮初めにある」という感覚はないですし、お墓の形態も時代によって変わっていきます。そういう意味では、お寺をもっと動的に見る必要があるはずなんです。本来、仏教も「手放していくメソッド」というか、執着から離れていくものです。

西田 なるほど。「欲」みたいなものからちょっと離れていくというか。

松本 そうです。でも、けして「禁欲的」ということではなくて、「ありのままでいる」ということ。起こって“いる”ことは起こって“くる”ことなので仕方がないけど、大切なのは、そこにとらわれないでいること。結構お坊さん自身がお寺にとらわれていますから(笑)。
 その「とらわれ」から離れた時に社会資源として、仏教やお寺は意味を持ってくるんじゃないのかと思います。先日、もう宗教の時代は終わりつつあるということを、「ポスト宗教」というテーマでブログにも書きました。

西田 おぉ、すごい。

松本 かつて仏教は仏道でしたが、明治時代に、「religion」が入ってきたことで、仏道は仏教になりました。つまり海外の宗教と肩を並べようとしたわけです。
 それまでは神仏は集合し、それが日本人にとっての何げない当たり前の宗教性でした。ひとつに絞って宗教を選ぶ必要もなかったわけです。だけど「religion」が海外から入ってきて以来、本来大事だったものにアクセス不可能になった気がします。

西田 (仏教は)こうじゃなきゃいけないみたいな?

松本 そうですね。そもそも「religion」の語源は「固く縛るもの」とか、「結ぶもの」。仏教がreligionとして位置づけられたことによって、性質が変わってしまった部分があるのでしょう。「何かいびつな状況になっているなぁ」と感じています。
 例えば、最近は仏教ブームで、じつはこの取材の前も「禅」や「マインドフルネス」を広めたいっていうビジネスマンの方々との打ち合わせがありました。

西田 最近は「禅」も「マインドフルネス」も、注目されていますよね。

松本 ええ。ただ、興味や関心は高まっている一方で、私は何かすれ違っているように感じています。

西田 と言いますと。

松本 お寺の住職は仏教を宗教だと思っていて、最終的には「信者を増やしたい」という発想がどこかにあります。でも、その一方で「マインドフルネス」をやりはじめた人たちが、信者になりたがっているのかというと、全然そうではありません。
 自分自身を振り返ってみても、信者になりたくて住職になったわけではないですし、組織に属したかったわけでもないです。浄土真宗本願寺派という宗派にいても、信者を増やそうという活動には興味をもてません。
 結局、宗教として最後に「入信しませんか」っていうオチを今の時代、誰も求めていないんです。

西田 なるほど。それが「ポスト宗教」だと。

松本 はい。最近、先進国では教会離れが進み過ぎて、ひとまわりして再び宗教に興味を持ちはじめている若者もいるそうです。

西田 (笑)

松本 若い人たちは自分の生き方とか価値観に取り入れられるウィズダム(英知)として、宗教的なリソースを求めているんだと思います。よく考えてみると仏教自体の思想がそもそも、ものすごく身軽なものです。

西田 その話は、前回のお墓の形態が変わっていくことにも通じますね。

松本 そうですね。仏教の思想自体が「自由自在に生きる」ための生き方を説いてくれています。そういう意味では、仏教を参照にすべきタイミングが来ているんじゃないか。原点回帰とか、昔に戻ろうとか、そういう原理主義的な重たい感じではなくて。

西田 「時代にそくした」という?

松本 そうですね。そういう仏教のとらえ方がちょうどいいって思います。

西田 「ちょうどいい」って、あらためていい言葉ですね(笑)。

 

普通の豊かさを求めて

西田 じつは先日、新宿に、日本で初のマインドフルネス専用スタジオ「muon(ムオン)」を設計したんです。

松本 そうだったんですね。

西田 ニューヨークでマインドフルネスが広がったのは、9.11以降です。当時、ニューヨーカーたちは「この都市に自分が帰属していいのか」という不安感にかられ身体的バランスを崩し、ヨガを通して瞑想することに興味をもちはじめたのがブームのきっかけでした。
 今では、ニューヨークで働く人の3割弱がヨガをやっていると聞きます。ちなみに日本のヨガ人口はまだ働く人の1割にも満たないそうです。
 だいたい3割ぐらいまでいくと、今度は、ヨガのエクササイズ部分を省略したいという人も出てきて、結果、その中の何割かがマインドフルネスに移行したと言われています。しばらくは座禅方式で行う仏教系のスタジオが多かったのですが、私たちが今回参考にしたのが「INSCAPE」っていう最近できた有名なスタジオです。都市の中に非日常的に光る「パオ」のようなものをつくり、自分と向きあえる環境を提供しています。

松本 より抽象化された場所ですね。

西田 はい。宗教色を比較的排除するカタチで非常に抽象化されていますね。今回はニューヨークからヨガを日本に取り入れた会社が、今後はマインドフルネスを広げるために、その日本版をつくったわけです。

松本 そうでしたか。

西田 施設内では、都市の喧騒から離れるために、参道のような暗い廊下をつくり、そこを抜けると茶室の庭みたいな場所があります。そこからスタジオに入ると闇の中で木の柱がうっすら光る、森のような空間になり、柱に向き合いながら瞑想をはじめます。自分と対話するように30分から1時間ぐらいは瞑想をします。

松本 なるほど。

オンデザインが設計を手がけたマインドフルネス専用スタジオ「muon(ムオン)」の空間

西田 マインドフルネスを目的に来られる人って睡眠障害だったり、悩みがあったり、いろいろとバランスが崩れている時に「整え」に来ることが目的だったりします。そう考えると、お寺もリソースとしては同じように非日常空間を持ち、比較的どこのお寺にも整える場所としての空間体験があるように思います。

松本 マインドフルネスに関して言うと、今夏、「Zen2.0」っていうイベントがあって、そのトークショーの中で出ていた「勝ち組マインドフルネス」っていうキーワードが印象的でした(笑)。

西田 すごいキーワードですね(笑)。

松本 ある意味、揶揄されているというか。

西田 あーなるほど。

松本 『サーチ・インサイド・ユアセルフ-仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』(英治出版)も、わりとマインドフルネスで生産性を上げて、自分の外形的なスペックと内面を磨いていきたいという向上心の高い人たちから注目されましたよね。
 最近「禅と身体性」みたいなテーマのシンポジウムに行くと、プラクティスとかエクササイズを指導ができるお坊さんが登壇してきて、すごいなぁと思います。

西田 (笑)

松本 私はそういう「スーパーお坊さん」じゃなくて、全国に7万もある「普通のお寺」、それぞれの場所で現場第一線で頑張っている「普通のお坊さん」に興味があります。
 特別な国宝も文化財もないお寺の和尚さんに何ができるのかと言えば、たいしたことはできないかもしれません。でも、人柄のいい和尚さんがたわいのない話を聞いてくれる。そういう場所があるっていうことが、「普通の豊かさ」につながるんじゃないかと思うんです。

 

「ある」のではなく「なる」

松本 その普通の豊かさについて考えぬいた結果、私が最近、思いついたのが「掃除」です。

西田 掃除ですか!?

松本 ええ(笑)。事前にツイッター(@shoukeim)で呼びかけて、2週間に1回ぐらい「テンプルモーニング」という掃除の会をひっそりとやっています。
 毎回15人くらいが参加してくれて、時間もトータルで1時間ぐらいでしょうか。今朝も15分ほどお経を読み、20分掃除して、残り20分ぐらいを仏教や人生についておしゃべりするという、そんな会です。

様々な職種の人が参加するテンプルモーニングの模様  photo:shokei matsumoto

西田 掃除に行き着いたのはやっぱり誰もができるから?

松本 そうですね、作務衣さえ着れば、誰でもサマになりますから(笑)。そういうごく当たり前のことが大事なんです。瞑想やマインドフルネスって、爺ちゃん、婆ちゃんの生活に定着する感じがまったくしないんですよね。

西田 確かにそうですね(笑)。

松本 掃除は普通の人が宗派に関係なくやれて、誰にもけしからんと言われず、あの人はあっちで掃除しているから僕はこっちをやろうと。微妙にコミュニケーションもとれますし。

西田 意外に無心になれるし。

松本 そうですね。単純作業なので。

西田 それって、「デフォルト・モード・ネットワーク」というらしいんですが、頭を使わずにボーッとしたり、無心になっている時のほうが、記憶をつないだり、消去したりしているらしいんです。普通は寝ている時に行う活動を起きている時にもしていて、瞑想もその一部。情報が整理されてひらめきや気付きにもつながるそうです。
 つまり集中して考えている時よりも単純作業をしている時にこそデフォルト・モード・ネットワークになりやすい。例えばお風呂に入っている時とか。

松本 運転している時とか。

西田 そうです。靴を磨いている時とか……、何かを無心で擦っている時とか。今のお話を聞いていて、意外に掃除から気付きがありそうだなって。

松本 そうですね。

西田 やっていることは閉じているけど世界は広がるという。

松本 あと、おもしろいほどみんな掃除が好きですし(笑)。

西田 確かに。

松本 これは建築的な文脈にもつながるのかなあと思うのですが、ある参加者が「このお寺を掃除することによって、この場所が私の“聖地”になっていくんです」って言われたんですね。私たち坊さんは、昔からお寺はここに「ある」ものだっていうふうに思っていたのに、「ある」のではなくて「なる」んだと。

西田 なるほど。

松本 隅々まで目を配ると、「ここってこんなふうになっていたんだ」みたいなことにどんどん気づかされます。つまり関係性によって、聖地化されていくんだと思うんです。
 そう言えば、今年開催されたサッカーのW杯で、試合後に日本の観客がスタジアムを掃除していたというニュースがありましたよね。あれは単純に「マナーがいいね」っていうだけじゃなく、すこし大げさに言えば、「日本的霊性のあられ」だと思っています。
 つまりスタジアムがはじめから彼らにとっての聖地なのではなくて、掃除をすることによって聖地になっていくのだと。
 もちろん掃除をするとみんなから褒められてうれしいというのもあるでしょう。でも根っこの部分はそうした心の持ちようにあるんじゃないかって、僕はそのニュースを知って思ったんです。
 例えば、YADOKARIさんがやられている、小屋をみんなでつくることも「聖地化」していく作業だと思います。時間は掛かるけれども、そこにコミットメントすることで、何かが生まれる。そうしたアクションとしても掃除って結構いいんじゃないかって思います。

西田 例えば実家があるとか、静かな気持ちになれるお寺があるとか、自分の中での拠点が増えていくと、ただ行くだけじゃなくて掃除という行為をすれば、その場所をもっと好きになり、帰属性も高めてくれるのでは。

松本 そうですよね。

西田 それは建築におけるソーシャルキャピタルという関係値を増やしていく意味で、すごく可能性がある話です。
 僕は食事後にお皿を洗ったりキッチンやテーブルをきれいにするのが好きなんですけど、理由はきれいにすると、次また料理をつくりたい気持ちになれるから。それと同じで、掃除をしてその場所がきれいになれば、次にそこで何かしたくなりますよね(笑)。

松本 確かに。ちなみに、私もお皿洗いは好きです(笑)。

松本さんとのケンチクウンチクはいかがでしたか? 次回第3弾のテーマは「お寺も宗教もシェアリングの時代へ」。12月25日に更新予定です。お楽しみに!

前回記事はこちらより
僧侶と語る建築“法談”#01「実家とお墓を軽くする方法」

profile
松本紹圭 shokei matsumoto

神谷町光明寺、衆徒。1979年、北海道生まれ。未来の住職塾塾長。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)他。(光明寺オフィシャルサイトより引用)

profile
西田 司 osamu nishida

オンデザインパートナーズ代表。1976年、神奈川県生まれ。横浜国立大学卒後、スピードスタジオ設立。2002年、東京都立大大学院助手(-07年)。2004年、オンデザインパートナーズ設立。2005年、首都大学東京研究員(-07年)、神奈川大学非常勤講師(-08年)、横浜国立大学大学院(Y-GSA)助手(-09年)。現在、東京大学、東京工業大学、東京理科大学、日本大学非常勤講師。近著に『オンデザインの実験 -人が集まる場の観察を続けて-』(TOTO出版)がある。