Project Interview
建築の告白 ・前編
オンデザインのプロジェクトで体感したさまざま経験を、担当者自らがとことん語るロングインタビュー。今回は前編をお届けします。
インタビュー
大沢雄城(28歳)
オンデザイン歴5年
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編集することで新しい価値観をつくる
──大沢さんは現在まちづくり系の仕事を多く手がけられていますが、そのポジションに至った最初のきっかけは何だったのでしょうか?
まず、僕がそもそもオンデザインに入るきっかけになったのは、〈ISHINOMAKI2.0〉です。
大学3年(2011年3月)の頃に東日本大震災があり、その直後に、当時オンデザインに入社したばかりの大学の先輩でもある小泉(瑛一)さんが、西田(司)さんと一緒に現地に入って、ISHINOMAKI2.0を立ち上げたんです。そして、その年の7月には「STAND UP WEEK」(※1)というイベントを開催するんですが、僕は大学の映像サークルに所属していて、ちょうどそのイベントの記録映像を撮るのに誰かにいないかってことで、声をかけてもらったわけです。
(※1)石巻地方最大のお祭りである「川開き祭り」の直前の1週間で行われるまちづくりイベント。街を盛り上げようと、中央商店街の建物や空き地を再利用し、新しいアイディアを取り入れたお店づくりやシンポジウムが2011年から開催されている。
──そうすると、当時は「まちづくり系」の仕事に就こうと考えていたわけではない?
学生の頃? そうだよ(笑)。もっと言えば、大学を卒業したら建築をやめようと思っていたくらいです。大学時代は、ウェブにおける新しいメディアのあり方に興味を持っていて、当時あった『PUBLIC-IMAGE.ORG』というカルチャー系ウェブマガジンの編集部でインターンをしていました。ようは、それくらい建築の仕事をやるつもりがなくて、「アトリエ系の設計事務所に行く奴なんてろくなのがいない!」って周囲に言いまくっていましたね(笑)。
──まさかの「アトリエ系」への就職ですね。
そうなんだよね(笑)。もちろんオンデザインの建築はもともと好きだったし共感もしていたけど、やはり心を動かされたのが震災後に経験した、ISHINOMAKI2.0での活動でした。記録映像を撮影しにはじめて現地を訪れた時から、とにかく「面白そうだな」という期待感がありました。
あの頃のオンデザインは「パートナー制度」が今以上に色濃くあって、とにかく個人個人の「キャラ」を強く求められていた気がします。「お前は何者なの?」「何ができるの?」と。とくに就職インターンは、当時、僕も含めて3人いて、「Jゼミ」っていう「オンデザイン塾」みたいな制度を設けていました。そこでは『新建築』や「住宅特集』に掲載されている作品を3人で批評し合う中から、互いに建築について学び合って、考えを共有していました。
僕自身、絵や造形の分野が特別うまいほうではなかったし、むしろゼロから創造するというよりも、あるものを編集することで新しい価値観をつくるほうに可能性を感じたり、興味を持っていました。そんな背景もあってかオンデザインに入ってからは、プロジェクトの際に企画出しや事業計画をまとめるような担当になることが多くなったんだと思います。
──編集するというプロセス自体は、空間を設計することも、場をつくることも同じように思うのですが、なぜ場をつくるほうを選んだのでしょうか?
僕の中には「選んだ」という意識はなくて、実際、この〈泰生ポーチ〉(インタビューした場所)のように僕が「空間」を設計することも多いんです。結局、僕はソフトもハードもいろいろな提案をするんだけど、あくまで「場」から生まれた価値を扱うのがオンデザインのスタンスだと思っていて、それは、建築であれ、公園であれ、つねにフラット。だから僕は意図的に建築以外のものを選んでいるつもりはないし、逆に建築を絶対的ソリューションとして提案すべきものだとも思っていない。
その意識が芽生えたのも、やっぱりISHINOMAKI2.0以後のことだと思います。当時、あの場所にオンデザインが関わる意味を西田さんともよく議論した記憶があります。
「今後、街が復興していく過程で先行投資的な側面を考えながらやらなくちゃいけないのでは」
「ひとつの組織として考えるなら、マネタイズという観点でどう建築という仕事に繋げるべきか」
いろんなことを話ながら、2011年の夏が終わる頃には、「もっと街のマネジメントを考えていくべきだ」という認識で、西田さんとは意見が一致していたように思います。
学生の頃は「設計という仕事は建物をつくることだ」と思い込んでいた自分が、今のように「まちづくりも設計だ」と考えるようになったのは、ISHINOMAKI2.0の存在が大きく影響しているんです。