音楽と建築と、働き方
#01
コロナ禍で変わる
表現者の仕事
今回のケンチクウンチクは、ミュージシャンの東郷清丸さんとオンデザインに所属する建築家の大沢雄城さん。大学時代の旧友同士でもあるふたりは、フィールドは違えど、日々、クリエイティブに活動中。久々の再会に少し照れ笑いを浮かべる30男のルーズトークは多摩川の河川敷ではじまった……。
@多摩川 (東京大田区)
トライ・アンド・エラーのはじまり
大沢 大学出たての頃かな、横浜でラーメン食いながら……。覚えてる?
東郷 覚えてる(笑)。
大沢 当時、音楽活動だけで食っていくより、「生活と音楽をどう持続できるか」を清丸はすごく考えていて、僕も聞きながら共感できるなって思ってたんだ。
東郷 大学時代、ライブハウスでバンド活動するのにも基本的にノルマがあって、2,000円のチケットをひとり20人に売って完売すればトントン、売れなかった分は自分で払うっていう、今、考えると活動としてどうかしているんだけど、それが普通だったから。
大沢 そうだよね。
東郷 当時、もっとほかのやり方を試しておけばよかったんだけど……。
大沢 で、音楽で食ってくのもたいへんだと?
東郷 そうですね。「売れる」=「いろいろ我慢してやらなきゃいけない」っていうことをすごく感じて……。「ちょうどいい加減ってないのかな」って思っていました。
大沢 そのマインドは学生時代にバンドでトライ・アンド・エラーしていた頃から、今も悶々と地続きで来ているよね?
東郷 確かに、地続きっていうのはありますね。
大沢 最近は清丸のことを音楽以外にもいろいろやっているミュージシャンで、そこが面白がられているっていう印象があるけど、突然そうなったわけじゃなくて、micann(みかん)っていうバンドをやっている頃から、ずっとトライ・アンド・エラーしてきたわけで……。
東郷 そうですね。当時は、アーティストグッズを手作りすることからはじめてたし……。
大沢 Tシャツとか作ってたよね。
東郷 そう。「Tシャツくん」っていうシルクスクリーンの印刷セットを購入して、僕はIllustratorのソフトが使えたので、バンドのメンバーにイラストを描いてもらい、僕がトレースと印刷をして、CDジャケットとかグッズとかを作ってました。
大沢 それは何年頃?
東郷 作りはじめたのは、2013、2014年頃かな。すでに、そういうことをやっているミュージシャンは、ほかにもたくさんいたので、僕たちもやっとそこに辿り着いた感じです。
大沢 ちょうどその頃、僕も「設計図だけを描いている建築家でいいのか、これからは違うんじゃないか」みたいなことを考えていた時期で、今、所属しているオンデザインも「ISHINOMAKI2.0」という東日本大震災の復興プロジェクトを手掛けて以来、外部ともっとクロスオーバーをして行こうみたいなムードだった。もしかすると、当時は社会全体にそういう空気感があったのかもね。
東郷 「やれることを自分たちでやる」っていうムードは、ここ7、8年で加速しましたよね。当時、僕らはメジャーデビューしているわけじゃないし、専属のスタッフがいるわけじゃない友達4人のバンドだったけど、そう見えないように、音楽同様、アーティストグッズもしっかり作り込むことを目指していました。結果的にブレークはしませんでしたけど……。今なら、もっとこうしておけばよかったって思うこともありますが、当時は細部のクオリティを高めることに執着し過ぎて、それをどう広げていくかを知らなかったんです。
大沢 なるほど。
東郷 その頃からですね、ちゃんとお金稼ぐことを考えたほうがいいな、と思い始めたのは。大学卒業後、就職した印刷会社で営業サラリーマンをしながら、音楽、こんなにがんばったけど結果が出なかったし、もう続けるのがしんどくなって、よりどころが欲しくなったんですね。それで別の職能を見つけようと、桑沢デザイン研究所の夜間のビジュアルデザインコースに入学したんです。
大沢 えっ、そうだったの!? それは知らなかった。
東郷 当時は本気でグラフィックデザイナーになろうと考えていました。そっちのほうがお金になるだろうと。
大沢 お金だけだったら、ほかの資格系のほうが勝手がいい気がするけど(笑)。
東郷 そういうところが甘いんですよね。営業をしていた印刷会社を辞め、日中は「Allright」というグラフィックデザインと活版印刷の会社でアルバイト(のちに正社員)しながら、夜は学校に行く生活を半年くらい続けました。とても楽しかったんですが、その間にバンドの活動とかもやっぱりしちゃって……。これまでの音源をまとめてみたり(笑)。結果、その制作に追われ、印刷の仕事にも追われ、学校の課題にも追われ……。めちゃくちゃ消耗して、気付いたら夏ぐらいにボロボロになっていて。今、思えば、Allrightにはバリバリのグラフィックデザイナーがいるのに、わざわざ学校に通うのも変な話なんです。
大沢 確かに……。
東郷 職場のみんなは僕のやることに混乱していたと思うけど、一応「がんばれ!」とは言ってくれて。
大沢 その見守り力もすごいね。その包容力があるかないかはやっぱり大きい気がする。
東郷 本当に。
大沢 俺なら絶対、言っちゃうもん。
東郷 僕も言われれば「確かに」って、素直に聞くタイプなんだけど。
大沢 そうだよね(笑)。
ふたつを高め合う関係性
東郷 ある日、Allrightの人に「来週、地球が終わるとしたら今何する?」って聞かれたことがありました。「もちろん音楽、やりますよ」って答えました。でも僕の頭の中には漠然とした不安がずっとあって。それはお金を稼げば解消されるものだからと、そっち(デザイナー)の道に進もうとしたんだけど……。「お金稼いだ後は何をするの?」って続けて聞かれて、そこでも「音楽やります」って答えたら、「じゃあ、その何年間、無駄じゃない?」「だったら、今やればいいじゃん!」って言われて……。その言葉にビビってきて。
大沢 それは、まさにブレークスルーだね。
東郷 本当に。たぶん不安の根っこって、別のところにあって、表面的にはお金に結び付くけど、大本の部分を取り払わないことにはお金を稼いでも無駄だと。そう言われた後である日、目覚めると全然、違うんですよね、頭の中が。「もうデザイナーはいい。学校も辞めて、音楽で生きていくことを真剣に考えてみよう」と。
そこからです。音楽で自分の生計が成り立って、ハッピーに事を進める道筋をリアルに考えるようになったのは。学校辞めて、とにかく時間もあるし、まずは曲を作ろうと。将来仕事がたくさん入ってきたときも、慌ててメロディー作らなくてもいいように、1日1曲。作ったら部屋で録音して、ネットにもアップして、聞いてほしい人にはメールして。
大沢 昼はAllrightで働きながら?
東郷 そうです。
大沢 そん時はもう活版、刷ってたの?
東郷 刷ってますね。じつは活版印刷は、マシンと出合った瞬間から惚れてしまって。
大沢 そっちもビビっときたのね。
東郷 そうですね。印刷自体、前から好きだったので全然苦じゃなかったです。
大沢 そうやって半年くらい曲作りを続けて、アルバム制作は?
東郷 そろそろひとつの作品にしたいと、いろんな人に話をしていたら、たまたまドラムも、サックスも、パーカッションも、あとミックスダウンまでトータルでやってくださった、あだち麗三郎さんっていう人と出会えて、2017年に最初のアルバム『2兆円』をリリースしました。
大沢 制作期間は1年ぐらい?
東郷 そうですね。ビビっときて曲を作り始めてから1年です。
大沢 昔、ラーメン屋で話をしていた時に、稼ぐ仕事がほかにあって、音楽であんま稼がなくても持続可能な状態がよくて、必ずしも音楽だけで食えなくても、「自給自足」でやっていきたい、みたいな内容だったと思うけど、じつは仕事をやっているなかで音楽のアイデアが生まれたり、音楽をやっているから仕事にもつながるみたいなクロスオーバーというか、お互い高め合う関係性に気付いたみたいな?
東郷 あと、自分の時間を変に売らないというか。
大沢 あぁ、分かる。時間、足んねぇみたいになると、つらくなるもんね。
東郷 大学を出た頃は、そこを賢くやろうと思ってたんですよ。でも、やっぱりやる意味のないことに時間を費やすのが想像以上に負担で。
大沢 ある意味、器用な人はできちゃうんだけどね。
東郷 僕はそこを突き詰めることが全然できなかった。だから、サラリーマン時代、営業へ行くふりして、スタジオ入ってドラム叩いたり(笑)。会社からは給料もらっているのに。
大沢 そうなると会社側にもふたつを両立して続けてもらうメリットないもんね。
東郷 ないです。そこからは何も生まれない。
大沢 でも、その話はまさに最近の「ワーク・ライフ・バランス」とか「リモートワーク」みたいなことにも繋がっていく気がするよね。仕事柄オフィスの設計をする際に「新しい働き方」についてはいろんな人たちと話をする機会があって、自分自身も一昨年くらいからリモートワークを試しています。
やってみて、これからは仕事と生活をシーソーみたいにバランスをとる状態から、もっとお互い境目がなくシームレスになっていくんじゃないかという実感があって。例えば、日常の生活や趣味のなかで、仕事で身につけたスキルを応用して家事を効率化したり、子どもの教育に活かしたり。逆に仕事中に子どもが話しかけてきたことで、いい提案が思いついたり。お互いに高め合う関係性はやってみてはじめて分かる、みたいなこと。清丸の話もそれにすごく近いなと。別々に考えて、こっちで稼いで云々っていうよりは両方が作用しあうことこそが大事っていう感じなのかな。
大沢 そういえば小袋成彬っていうアーティストいるじゃない? 前に彼のインタビューか何かで印象に残っているのが、休みの日に何してるのかを聞かれて「美術館行きたいと思ったら、今行くし、音楽作りたいと思ったら、今作る。休みとか休みじゃないとか自体がダサくない?」みたいなことを言っていて、確かにそういう感覚は面白いなと思ったんだよね。
東郷 ちょっと怖いですよね(笑)。
大沢 でも、彼のその感じ、めっちゃ分かるなと。べつに余暇だから美術館に行くとか、余暇だからダラダラするってことじゃなくて、今やる必要があるからやるし、作りたいから作るみたいなのが今っぽいと思う。清丸も自然にスイッチングするわけでしょ?
東郷 そうですね。「Allright」っていう場所に出入りする人は、みんなそういう本質的な話、「生きる上で何が幸せか」みたいな話をよくしらふでしてます。
大沢 そういう意識がつねにあるってことだよね。
東郷 そこを突き詰める人が多いので、わりとみんなで共生、共に生きている感覚がありますね。それぞれ得意なことやできないことがあって、それをうまく組み合わせながら日頃から面白いことを実践している感じです。
正社員、辞めた理由
東郷 2020年の上半期は、大きなライブも決まっていたんですけど、コロナがあって……。
大沢 アジカンのZepp横浜のこけら落としのオープニングアクトだよね。
東郷 はい。昨年5月に決まっていたのがコロナで延期になって。結局、Zepp横浜に観客もちょっとだけ集めて収録になりました。それも含めて、いろいろイベントの出演とかもなくなり、予定していた売り上げは毎月10万単位で減ってくいし……。
大沢 すべてAllrightの仕事として?
東郷 そうです、音楽も印刷も、僕はAllrightの正社員だったから、活動しようがしまいが月給は入ってきていました。でも、コロナで強制的に仕事がなくなり、会社全体の収入も減っているし、そういう時に何もしてないのに、自分に固定給が払われるっていうのが……。
大沢 清丸的に苦しくなってきた?
東郷 べつにみんなは僕に責任をおっかぶせる感じではないんだけど、でも自分でそう思っちゃうというか。給料分くらいは何か産み出さないといけないのに、現実的にアイデアが出てこないし、何をすればいいか分かんない。新しいことやるにしても長期的なチャレンジしか思い浮かばないんですね。それで、正社員は昨年6月で辞めて、今はフリーランスです。
大沢 具体的にどういう契約内容になったの?
東郷 外部との連絡系統はマネージャーの女の子が全部仕切ってやってくれるので、僕は印刷する、音楽作る、ライブするという実務をメインにやっています。月末になったら各案件の粗利を算出して、Allrightに入れるお金を分けてから、僕と彼女がお互いに「自分はこれくらいやったから、この案件については取り分、このぐらいほしい」っていうのを出し合って、その割合を一件一件決めています。
大沢 それって会社としては正しい形かもね。
東郷 そうですよね。いったんちゃんと細かい数字をみんなで把握し、「ここの送料はもうちょっと節約しよう」「そこはもっと工夫してみよう」みたいなことをしています。
大沢 そのほうが気持ち的にもストレスなさそう。
東郷 最終的にはみんなで助け合う準備もできているから、誰かが本当に立ち行かないことが分かっても大丈夫だろうって、みんなが思っている。
大沢 それをAllrightのスタッフ全員が共有してるんだ?
東郷 そうです。
大沢 すごいね。清丸みたいに、そういう話をするアーティストとかミュージシャンってあんまりいないよね。それは清丸自身が元々お金に対してオープンな感覚があるからだと思う。
東郷 そのほうが自分の仕事に対して自覚的になれるから。
大沢 そうだよね。でっかい会社だと、さすがにそこまではやれないけど、どれくらい自覚的になれるかを全社員に問い掛ける意味はありそう。
東郷 でも、僕らはべつにそういうことを世に問おうとは思ってなくて、結局、自分たちが気持ちいいやり方を考えたらこうなるよねっていうこと。もちろん世間的にはそうじゃないし、普通じゃないからって、ブレーキを掛けちゃう時期も過去にあったけど、最近はブレーキ、意味ないかもっていう感じになってきています。
大沢 やっぱり清丸の生き方とか考え方もみんなに影響しているの?
東郷 どうなんだろう(しばらく、考え込んで)。でも、みんな元々そういうタイプなのかも。
大沢 聞いていて、世間の清丸の見られ方、とくに音楽業界からの見られ方って、じつはAllrightの社風とも共鳴している感じがするんだよね。
東郷 そうかもしれないですね。ただ、音楽活動で言うとまだ伝わってないなって思うことが多くて、今はそういう生き方とかの前に、まずは普通に曲がいいっていうことで、パーンと売れたいって思っているんです。(続く)
後編(#02)もお楽しみに♪
profile |
東郷清丸 kiyomaru togo1991年横浜生まれ。歌やギターやトラックメイクで、その場に流れるムードをかたちにする。素朴な線画のように、不思議なCGのように、あらゆる手触りを愛して旅する音楽家。演奏は、ギター1本の弾き語りから、デュオ・トリオ・10人以上のフルバンドに至るまで、会場に合わせて柔軟に形を変える。またCM・映画・舞台へむけての音楽制作、他アーティストへの楽曲提供、トークゲスト出演なども行っている。 |
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profile |
大沢雄城 yuki osawa1989年新潟生まれ。2012年横浜国立大学卒業、同年オンデザイン。 |
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