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屋上考現学
#01
屋上から“ニワ”を考える

text :okujyou kougengaku photo:kota nakagawa

 

ただ広い場所、乱雑に置かれた設備機器、
メンテナンスのための階段、落下防止のための柵……。
それが“屋上”の一般的なイメージ

つまり、“何もない空間”である。

そんな屋上も、
映画やドラマでは、恋する男女の告白シーンに使われたり、
追い詰められた犯人が自供するシーンに使われたりする。
またMVでは、
ミュージシャンの熱唱シーンの撮影に使われたり……。

スクリーン(画面)ごしに見る屋上は、
つねに僕たちの沸きでる思いを受け止めてくれる大切な存在のように感じる。

僕たちは何もないはずの“屋上”に惹かれ、
どこか見えない魅力に心地よさを感じてしまうときがある。
必要ではないけれど、あるとなぜかいい。 

 

そんな屋上の、まだ見ぬ可能性を探っていく。

 

「屋上考現学」は、屋上を取り巻くモノ、コトを様々な分野から深掘りし、新たなカルチャーを生み出すための研究活動記録である。メンバーは、松井勇介(オンデザイン/Beyond architecture編集部)、片山浩一(創造系不動産)、三上奈々(千葉大学博士前期課程)、中川晃太(土木設計/写真家)という業種は異なれど屋上に関心を寄せる4人。これまで注目されてこなかった「屋上」に対して、毎回さまざまな分野を切り口に現代(現在)をどのように捉えられるかを探求していく、座談会シリーズ企画である。

第1回となる今回は、「屋上から“ニワ”を考える」をテーマに屋上の“まわり”を深掘りしていく。

写真左から片山、三上、松井、中川

テーマ
「屋上から“ニワ”を考える」
@

 

 

屋上ってもしかしてニワ?

 

松井 屋上からニワを考えるというテーマだけど、まずは“ニワ”とは何なのか話したいね。普通の庭ではなく、“ニワ”なんだね。

片山 三上さんは大学の博士前期過程で庭やランドスケープの研究に取り組んでいると思うけど、詳しくお話を聞きたいです。

三上 ”ニワ”とは一体何なのか、説明しますね。まず、ニワと聞いてイメージするのは、日本庭園とか住宅に付随する庭とか、木が生えていて囲われている空間をイメージしますよね。一方で、「池袋はオレの庭だ!」というような所有感覚、テリトリー意識を表したりすることもありますよね。同じ言葉でも捉え方や表現が違うんです。そう言う観点から出発するのが面白いかなと思っています。

松井 確かに、庭と聞くと家の庭を想像してました。

三上 そうですよね。でも庭という言葉は、そもそもは植物とかとは関係なく、最も原始的な意味を用いると、“平らで実用的な空間”という抽象的な空間を指していたんです。例えば海で漁をする時に平らで凪いでいる海面や神社で儀式を行う時に開かれる斎庭や農家の土間など、これらは全てニワと呼ばれています。

『にわ【庭】⑴何かを行うための場所。「かりにわ(狩庭)」「さにわ(清庭)」現代語の場(ば)にあたる。⑵水面。海面。⑶家屋の周りの空地。のち、草木を植え、築山、泉水をしつらえた所をさして言う。⑷土間(どま)家の入り口、台所、店先などの土間。』(日本国語大辞典〔第2版〕

中川 ニワって実はそんな広い概念があったんですね。

三上 その概念を基に、私はカタカナ表記のニワと表現しています。そういう概念に対して、中国から建築に付随する庭の技が伝来したことで、現代の庭園に近いイメージや家屋に付随する空地と言う意味が加わったんです。

片山 それは面白いですね。漢字の「庭」と日本語の「ニワ」では意味というか概念そのものが違うんですね。

三上 そうなんです。それに「庭園」という言葉は、実は明治時代19世紀に「garden」の訳語として農学者がつくった造語です。

片山 庭園って造語だったんだ。

三上 Gardenという語はヘブライ語の「Gan」=「囲われたeden」=「楽園」に由来していて、動植物にとっての囲まれたユートピア的な空間という意味があるんです。ただ、日本にgardenという用語が入ってきた当時は、その言葉にぴったりと合う意味は特に見出されていなかったんです。そこで「園」という果樹を育てるために囲まれた場所という意味の語と組み合わせて「庭園」を作ったんです。

松井 動植物にとっての囲まれたユートピア的な空間かー。まさにこのメンバーにとっての屋上はユートピア的な空間ですよね。

中川 確かに。ニワから屋上との親和性が見えてきそうです。もう少しニワを掘り下げてみたいです。

 

“ニワ”の平面性

 

三上 ニワを語る上で重要なキーワードとして、「平面性」があります。先ほどの話で述べたニワは本来かなり貴重なものだったんです。なぜ平らでひらけた場所が日本で貴重だと考えられてきたのかというと、それは実は日本全体の地形が紐づいているんです。日本は国土の大半が山で、時代を遡るほど山に近い場所で人々は生活してきました。そうした地理的条件が起因しているんです。

中川 何か直感的に分かるかも。

三上 そして、その考え方は現代の都市空間、ましてや屋上でも同じことが言えると思います。都市において、ビルや住宅の高さは異なり、俯瞰的にはある種の地形を成してますよね。屋上はそんな都市の高低差の中で中空に浮いて点在している平らな空間といえるんです。それに屋上それぞれに個性があり、様々な用途に対して開けているので、私が先ほど話していた、ニワの概念に近いとも言えます。

設計事務所オンデザインが入る泰生ビルの屋上

松井 たしかに、屋上から都市空間を眺めると大小さまざまなモデルタイプがどこか地形のように見えるね。屋上もたくさんあるし、都市には実はニワがたくさんあるんだね。

中川 その話の展開は面白いですね。

片山 平らで実用的な場という意味でニワという言葉が使われていたのはいつ頃からなの?

三上 本当に古くなると日本書紀からですね。ニワという語に多くの起源があるように、様々な漢字が当てられていました。

中川 この間、成田周辺を訪れた時に見た田園風景を思い出しました。起伏があって、そこには谷と尾根があって、谷地の平らな部分は谷津田と呼ばれるような田んぼとして使われています。まさに三上さんの話のプリミティブな意味でのニワに近いのかなと思いました。

日本の田園風景

三上 日本の田園風景なんかは、まさにニワと言えますね。

中川 自然と都市って対極に思えるけど、ニワという概念の中では共通するものがあるんですね。

片山 なるほど。山間地域の平らな場所って耕作とか田畑とかに使うことってある意味必然だと思うんですけど、その上で余った小さな平たい場所をどう自分たちでアクティブに使いこなすかも大事なように感じました。それはある種セミパブリックのような自分の領域を行き来できるような寛容さを備えた場所のように感じますね。そういう場所って都市空間において、屋上が担えたりすると思うんです。

三上 そういった場所って、垂直方向に展開されることが必然な都市モデルにおいては実は少ないんですよね。

松井 たしかに。その中で地面に近い場所にがんばってつくろうとするケースが多いですよね。

三上 ただ、花火を鑑賞する時なんかは、屋上やベランダから鑑賞することがあると思うんですが、あの瞬間ってどこかセミパブリック的に使いこなしている良い事例が多いんです。そういう文脈で都市や屋上を捉えるとより身近なものになるのかなと思います。

松井 日本の行事とセミパブリック性を題材に屋上を語れるのは面白いね。花火鑑賞には屋上はつきものですよね。

三上 江東区のイオンモールの屋上は花火大会の時にいい観賞場所になってましたね。

片山 ただの屋上駐車場なんだよね?

三上 そうです、ただの駐車場なのが面白いんですよね。あとは、屋上ではないんですが、世田谷代田のデイリーヤマザキなんかも、季節の行事の際には、みんなで団欒したり、ビアガーデンっぽく使いこなしているのも、ニワ的だなと思いますね。すごく可愛らしいおばあちゃんとその息子さんが経営されているんですけど、宣伝などもしていないのに近所の付き合いの中で育まれる関係性の中で場所や使い方が成立しているのが、個人的にはいいなと思ってます。

世田谷代田のデイリーヤマザキ(引用元:https://yshopfan.exblog.jp/27038505/)

松井 近所のごく小さなコミュニティと人を招くニワの性質ってどこか似ているように感じますね。

 

“身体としてのニワ”と屋上

 

三上 そういったプリミティブなニワと屋上の関係を深堀する上で、私から本を一つ紹介しますね。私が紹介するのは、中国系アメリカ人の人文地理学者であるイーフ・トゥアンという方が書かれた『空間の経験―身体から都市へ』という本です。


三上の紹介本①
空間の経験 -身体から都市へ-
イーフー・トゥアン著(ちくま学芸文庫)

(本文より)
「現象学的地理学では、人間は身体感覚に基づいて空間を把握するため特定の気候や環境での空間の知覚の経験というのは一定の共通性を持って来ると考えられている。例えば、エスキモーは一面雪と氷の世界で生きて来たために、知覚的な空間把握技術が高く土地の状態や雪の割れ目で空間を認知している。ミクロネシアのプルワット族は大海原を生活の基盤にしているため、星の位置から海上の位置状況と距離を把握することができる等。また、トゥアンは実際の空間を把握するための概念としての空間を神話的空間と定義し、身体経験に基づいたプロトタイプを国や民族という共同体単位で共有していると捉えている。狩猟と漁業を生業にしているインディアンのソルトゥ族は東西南北という四つの方角を四つの風の故郷として擬人化して捉え、東は風が生まれる場所で、南は死者の魂が行く場所等神話的空間を共有している。ある種抽象的な現象として空間を把握していると言える。」

三上 この本では、人々に、生きられている空間、人間という主体、身体を通して把握される空間とは何かを分析しています。例えば、今こうやって座談会をしている屋上は、曇ったり、風が吹いたり、ころころ天候が変わっていますよね。それは、この屋上が横浜という地域に位置していて、「海に近い」=「天候が変わりやすい」と判断できます。つまり、人は自らの経験知によって空間に対する概念を自ずと作っていると思うんです。ニワも抽象的な場所ではあるけれど、個人の経験知に基づく別の解釈や概念的に立ち現れる空間として位置付けることができると思っています。

片山 経験知に基づいて、空間概念を位置付ける話はとても面白いですね。先ほどの話にもあった、garden、庭、日本のニワを造語として日本的に解釈していることも考え方は近いと言えそうだよね。

三上 そうですね。この本は、空間観の図説が多く載っていて、ミクロネシアのプルワット民族やインディアンなどがいかに自ら目的地を設定し、空間を認知していたのかを分かりやすく解説してくれています。

中川 空間観に基づく方角の意味づけって面白いね。文化によっても全く意味が違いそう。

三上 地域によって気候や地形が異なることに相まって、起きている現象も全然違いますね。ただ、空間体験には必ず時間が伴い、それに応じて身体との相互関係もあると思うんです。大地とか地形を身体に見立てて捉え、その経験を蓄積し、継承する。それ自体がある種、空間に対する意味付けやストーリーを組み立てる方法であり、ニワという概念の意味を改めて考え直す機会になると思っています。

松井 庭の捉え方に紐づいて、僕からも一つ本をご紹介しますね。僕が紹介するのは、ランドスケープデザイナーの長谷川浩己さんが書かれた『風景にさわる ランドスケープの思考法』という本です。


松井の紹介本①
風景にさわる ランドスケープデザインの思考法
長谷川浩己著(丸善出版株式会社)

(本文より)
「改めてつくるまでもなく、見つけ出される庭もある。庭とは単に物理的に居られる場所だけではなく、私たちが特別な意味を見出す(見出してしまう)場所でもあるのではないだろうか。現象としての庭はつねに私たちのまわりにもたくさんあり、雨や虹、夕焼け、落ち葉など、ささやかであってもその訪れはいつも心のどこかを高揚させる。ちょっとした媒体の設えで、その体験を場所の体験へと繋げることはできないだろうか。」

松井 一節で「浮かび上がる場所としての庭」という話が紹介されているんですが、そこでは庭を、外部的な環境によって自然と浮かび上がるような場所と仮定しているんですよね。つまり、庭は作られるものだけではなく、こちらやあちらの振る舞いによって都度移り変わる存在なのかなと思うんです。ちょうどこの屋上も、今朝雨が降ったことによって水たまりができていますが、僕たちは自然に水たまりを避けて机や椅子を配置してましたよね。まさに環境に依存して場所が浮かび上がった、現象としてニワが生まれた瞬間のように感じます。

三上 たしかに。言われるまで水たまりを避けて振る舞いを調整していた事に全く気づいてなかったです。面白い。

屋上に残る水溜り

一同屋上の床を見て水たまりを眺める。
屋上の微妙な凸凹によって水の模様がモザイク模様のようになっており、微地形を可視化している。
平らに見える屋上にも絶妙な起伏がある。

三上 水たまりによって、ちょっと地形っぽくなっているのがまた面白いですね。

松井 庭が周囲の環境によって立ち現れると思うと、実はいろんなところに発生しているんでしょうね。自然発生的に生まれた実用的な平らな場所に、設えを与えることで体験が生まれたり、空間が生まれたりする。

中川 ランドスケープアーキテクトである石川初さんが出演されたポッドキャスト(新・雑貨論Ⅱ第6回・後編・制度を超えアダプトする園芸)で、庭には思い通りにならない他者性があるという話がありました。植物は思い通りには育ってくれなくて、環境が悪ければ枯れてしまう。屋上での人間の活動でも同じようなことが起きると思うと、屋上と庭のつながりが見えた気がしました。

片山 振る舞いによって、空間が立ち上がる。これから屋上を深堀していく上で、考えていきたいトピックですね。

 

つづく…

 

屋上考現学  instagram


 

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松井 勇介 yusuke matsui instagram

1996年、石川県生まれ。株式会社オンデザインパートナーズに勤務し、小屋PJ、美術館+公園PJを主に担当している傍ら、自社メディアであるBEYONDARCHITECTUREのメンバーとして「ケンチクとカルチャーを言語化する」をテーマに編集活動を行う。関係性の中に立ち現れる空間に興味がある。屋上好きの有志を募り同メンバーである片山と共に「屋上考現学」を立ち上げる。屋上で起こる現象や時間に呼応した体験性を探求中。

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片山 浩一 koichi katayama instagram

普段は建築と不動産のあいだを追究するカンパニー「創造系不動産」にて建築家のプロジェクトを専門とする建築不動産コンサルタントとして、不動産売買仲介・不動産活用を行う。その他の時間は屋上と映画と漫画と哲学のことばかり考えてるひと。あらゆるモノ・コトがデータ化されコンテンツ化され強い文脈に飲み込まれる現代(の都市に)おいて、環境に呼応したり文化に呼応しながら弱い文脈を編み込んでいくことを探求中。

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中川 晃太 kota nakagawa instagram

1994年、愛知県生まれ。土木設計や都市計画に関する業務に従事する傍ら、「都市と土木と写真」をテーマに創作・リサーチ活動を行う。スケールの大小を行き来しながら、異なる領域をつなげることに興味がある。2022年、街のちいさな風景を集めた写真集『NEIGHBORHOOD』を製作。屋上でコンサートをひらくのが夢。

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三上 奈々 nana mikami instagram

1998年、東京都生まれ。2021年に東京藝術大学美術学部芸術学科を卒業後、千葉大学環境園芸学研究科ランドスケープ学コースに進学。博士前期課程にて、庭師の身体の動きと環境の相互性による作庭のプロセスの研究をアクションカメラを用いて行う。職人の暗黙知や身体知、庭の五感で感じる魅力に関心がある。研究の傍ら、展覧会のキュレーションも行う(『TSUMUGU Exhibition』in Ueno 2018, 『色語り展』in Mashiko 2022)。