ボクたちの
“パブリック”は、どこへ
向かうのか?#04
YADOKARIと建築家・西田司との対談もいよいよ最終回。「ヨコハマアパートメント」にYADOKARIのふたりを招き、新しいパブリックと住まいのあり方について語り合っていただきました。
@ヨコハマアパートメント
住まい方の意識はどう変わる?
ウエスギ) 西田さん的には、「住まい方」の意識って、これからどう変わっていくと考えていますか。
西田) 僕がいいと思うものと、今の20代がいいと思うものには距離感があるのは感じています。ヨコハマアパートメントは僕の考えた範囲で、すべての部屋にバス・トイレが別々に付いていて、小さなキッチンも付いています。だから各住戸が独立した「家」になっている。でも、今のシェアハウスの考え方の主流って「すべて共有」じゃないんですか。
ここ数年、内見にくる若い方はすべてがシェアでいいという考え方の人がけっこういます。僕は、ヨコハマアパートメントの良さって独立していることだと思っていて、前回の所有欲求の話しに戻りますが、なんとなく「そこくらいまでは自分のテリトリーにしたい」という感じがあるんです。大きさとかの概念ではなくて。
ウエスギ) なるほど。
西田) もちろん共有すれば充実度が増すのは分かっていますが、ここの境界線は難しいなあと思います。
ウエスギ) 先日、無印良品がやっている小屋のプロジェクトを拝見してきたんですが、21棟くらいの小屋が、バーッと建っていて、真ん中にシャワーとトイレの共有棟がひとつだけあって、小屋は寝るだけの空間。それ以外はプライベートはなしでOKってことになっていました。僕らも今後、土地活用の案件でタイニーハウスのビレッジをつくろうという話しが出てきています。たぶんそういう感覚で若い世代には発信していくことになるのかと思います。
西田) ですよね。とは言っても、やはりダイバーシティのほうがいいわけで、年配の方も共感して、一緒に生きるみたいな場がいいとは思います。そうしたときに、僕らのような感覚は意外にズレはじめているなと思います。よくホテルでもトイレ付き、風呂付きで部屋を選べるじゃないですか、そういうのにちょっと近い感覚で、けっこう今後はいろいろ課題が見えてくるのかなと思います。
ウエスギ) 北欧では高齢者の住む家の2階が空いているので、そこに学生が暮らせるように多世代間の同居を行政が積極的にすすめていると聞きました。最近、日本でもそういう要素を取り入れたシェアハウスが生まれていますが、多世代間の同居に関してはどう考えていますか。
西田) そこはすごく興味がありますね。ちょっと話しが違うかかもしれないですけど、最近、「建物の継承」と「記憶の継承」っていうテーマについて考えることがあります。建物は継承したいけど、記憶がこびりついていてモノが捨てられない、でも記憶を継承せずにモノを捨てようとすると、モノに対してのリスペクトがないように感じられるので捨てるのに躊躇してしまうという。この両方の感覚が癒着しているのがすごい気になったんです。
例えば、建物はもっと使えるはずなのに、記憶の継承がうまくいかないことによって使われていない家が結構あるんじゃないか。最近、依頼されたクライアントは、まさに記憶と建物のふたつの継承という案件でした。いろいろ考えた結果、やはり捨てるのってよくないってことに気付かされたんですね。もちろん断捨離という考え方もありますけど、それをすることによって「人生の一部分がリセットされてしまう」という施主の気持ちもすごく理解できたんです。なので、考え方を「捨てる」のではなく「預ける」という方向にしました。ざっくり言うと貸し倉庫のサービスに依頼して、段ボールに収納すれば、ある程度の量はきれいに格納できて月額1万円みたいな。そのシステムを取り入れたら、すごいうまくことが進みました。
さわだ) 継承の考え方を変えたことで、話しがスムーズにいったと。
西田) そうです。住宅の中で「見えない化」させたんです。今まではここにあったけど、捨てることなく「除くこと」ができれば、その後の作業がいろいろと考えやすくなりました。もちろん僕らにとって建物の古さはすごい価値だし、古い鉄骨が使われていたり、昭和にしかないトビラの模様があったり。
なので、「生活感」だけをうまく漂白させて、記憶を保存してやれば、そこでの多世代間交流だって、うまくいくんじゃないかと思います。例えば、近ごろおばあちゃんって居場所がなかったりするけど、めぞん一刻の管理人みたいになってくれるといいじゃないですか。朝ご飯だけおばあちゃんに500円くらいを払ってつくってもらえたらいいですよね。記憶さえうまく継承できれば建物の活用にはすごく可能性があるんだと思います。