僧侶と語る建築“法談”
#03
お寺が体現する
サードプレイス
東京・神谷町光明寺の僧侶であり、「未来の住職塾」塾長の松本紹圭さんと、建築家・西田 司さんとの対談企画もついに最終回。お坊さん式暮らしの提案からサードプレイスとしてのお寺の価値という話題まで、ふたりのトークはまだまだ続きます!
@東京・神谷町光明寺
お坊さんと暮らしの提案
松本 最近、私は「transition」っていう言葉をよく使いますが、諸行無常なので、お施主さんの家族形態は家を建てた時点から、どんどん変化していきますよね。例えば、ダイニングとリビングの位置関係を変えたほうが今の家族形態には合っているのに、昔のマインドセットを引きずりながら暮らしている家ってたくさんあると思います。その部分を建築家から提案してあげつつ、一緒に掃除もするのはアリかもしれませんね。
西田 今のお話を聞いて感じたのは、地方とかにはお坊さんに相談する習慣がまだあるじゃないですか。地元の人がお寺の住職さんに日常の些細な相談事をしに行く感覚と、竣工時からずっと付き合いのある大工さんに相談する感覚って似ているのかなあと。
松本 ああ、確かに。
西田 お坊さんは人のことをよく見ているし、いろんな人の話を聞いているから、会いに行けば、よりフラットな意見が得られるみたいな。
松本 利益誘導しないですからね。
西田 そう。大工さんも「ここちょっと傷んでいるから、今は大丈夫だけど、あと数年したら直したほうがいいよ」とか。お施主さんが「子どもが社会人になって家を出たので部屋が余っている」と相談をすれば、「じゃあ壁をぶち抜いて、ひと部屋にしましょうか」とか。その時にやらなくても、大工さんから言われたことで今度やろうかなってなります。
松本 そういう可能性もあるんだっていうことが分かる。
西田 ええ。
松本 つまり住み手の選択肢が広がるってことですね。そのことで言えば、減ってはきていますが、今も田舎のほうには、お坊さんの「月忌参り(月参り)」という慣習が残っています。檀家さんの命日に各家庭の仏間にお坊さんがお経をあげに伺うんです。だからお坊さんも結構、家の中に入るんですよね。
西田 確かに、そうですよね。
松本 その際に、暮らしの提案も、ちらっとできたらいいかもしれません。
西田 それ、めっちゃいいじゃないですか(笑)。
松本 お経をあげるだけじゃなくて、そうした「お役立ち」もできれば。
西田 ぜひ、建築側からネタ帳みたいなのを提供したいです。
松本 チェックポイントを?
西田 はい。家の手入れをするためのポイントは決まっているので、それを分かっていれば、「今は、こういうことをやったほうがいいですよ」と言えますから。
松本 建築って「建物」であると同時に「環境」でもあるわけですよね。建築家は、住む側に四季をどういうふうに感じてもらうか、どんな暮らし方が季節ごとにできるのか、そういうことを当然考えながら設計しているのだと思います。
私たち寺のお坊さんも、節分、お盆、お彼岸、暮れといったように、季節を届ける役割があります。そう考えると暮らしを豊かにする提案って、じつは私たちにももっとできそうな気がしています。
西田 都市部で暮らす人は、どこの家もエアコンの環境下で暮らしているので季節をリアルに感じることがあまりありません。だから「こういう季節にはこういうことが大切だ」ってことを知るだけでもいいと思います。もしかすると、この提案は家だけじゃなくて仕事場にも有効かも。
松本 あっ、じつは最近、ある企業にお坊さんを派遣してみようと思っているんです。
西田 おお、それ具体的に聞きたいです!
松本 今、私たちは「テンプルモーニング」の後に「テンプルコワーキング」といって、境内にコワーキングスペースをつくって、一般の方とお坊さんも一緒に仕事をしています。
西田 はい。
松本 先日、ITベンチャーの社長と、この「テンプルコワーキング」について話をしていたら「ぜひ、うちの会社にお坊さんを派遣してください」と頼まれて。その社長いわく、社員はビルの中で、一日コンピューターと向き合いながら、不自然な働き方をしているので、鬱になる人も多いと。結局、産業カウンセラーや精神科医に診てもっても、薬の処方だけで終わっちゃうので、本当の解決にはならないそうなんですね。
ならば心の存在であったり、居場所であったり、そういったサードプレイスを誰もが必要としている時代に、何げなく月1回、会社にお坊さんが来る日があるのもいいんじゃないかと。
西田 すごく、いいと思います!
仏道と神道
松本 ただ、こうやって楽しくお話をしていると、いろいろとユニークな発想が広がりますが、「でも、宗教でしょ、お寺は」っていう結論が、やっぱり壁になるんですね。いつも最後のひとつが乗り越えられない。それはなぜかと言えば、仏教が宗教として「(私たちの)信者になりませんか」っていう雰囲気をどこかに出しているからだと思うんです。
西田 なるほど。
松本 この前、福岡で神道の方々に講師として招いていただいたんですね。そのとき、同世代の神職さんたちと話をしていたら、神道ってまさに、文字通り「神の道」なんです。だから彼らには「宗教者」という感覚もないし、「神社が宗教です、神道が宗教です」っていう自己認識も薄い。「宗教法人に押し込められちゃっているのが、むしろ居心地が悪い」っていうふうにおっしゃっていたんです。
西田 ええ。
松本 確かに本来、神道にははっきりとした教義的なものがないですし、いわゆる「○○イズム」でもない。ならば同じように仏教も無理やり宗教(religion)と肩を並べようとせずに、仏道に戻ったほうが、かえって受け入れられやすいと思うんです。
西田 僕自身、宗派にこだわりが元々ないからなのかもしれませんけど、今の日本人の日常性には、そっちのほうが合っているような気もします。
松本 そうですよね。
西田 日本人って、多様な人々の中で寛容的なコミュニティーをつくることにすごく長けているなぁって感じます。それこそ神道は、八百万(やおよろず)というすごい数の神がいますし。仮に仏教が仏道になったとしても、日本人はそれを受け入れると思うんですけどね。
松本 私もそう思います。でも、宗教としてのふるまいにお坊さん側が慣れすぎてしまっているから、変わるのはそう簡単ではありません。
西田 昔からのヒエラルキーもありますから。
松本 はい。でも、そこをお坊さん自身が手放していかないと。前回も言いましたが、仏陀自体がそういう思想なわけですから。
シェアリングするお寺
西田 松本さんのそうした考え方って、現状ではまだまだメジャーではないですよね。
松本 はい(笑)。これから広めようと思っています。うまく伝わるか分かりませんけど、シェアリングエコノミーが進み、世の中、ものを所有しない時代になっていきます。だから、「固く縛る」「結び付ける」っていう語源のreligion(宗教)としてのふるまいではない、例えば「お寺シェアリング」と言ったような何か新しい仕組みが必要ではないかと。
西田 それでいうと、松本さんはすでに「テンプルモーニング」や「テンプルコワーキング」をやられているので、違う階層や役割の人たちを同じ場所に集めながら、タイムシェアリングしていますよね。
松本 確かに、そうですね(笑)。
西田 さっきおっしゃっていた「サードプレイス」は、レイ・オルデンバーグっていう社会学者が書いた『THE GREAT GOOD PLACE』という本で使われた言葉ですが、いわゆるいろんな階層の、いろんな人たちが自分の場所として認知できる場みたいなこととしてサードプレイスが書かれています。松本さんのお話は、まさにそれをお寺で体現しているように感じました。
松本 「普通に生活していたら絶対に会わないよね」っていう人がつながっていくって、すごい価値だと思うんですよね。
西田 はい。
松本 そう考えると同質性の高いコミュニティーは、結構一神教的なのかもしれません。例えば、勤めている企業の社長が作詞した社歌を毎朝歌わされるとか、クレドを大声で読まされるとか、極端ですが宗教っぽい会社ってあります。最近は、その「おかしさ」にみんなが声をあげはじめています。「働き方を変えよう」とか「多様な価値観が大事じゃないか」っていう世の中のムードがそうですし、「#MeToo」もそのひとつだと思います。
その時に仏教が率先して、こういう時代だからこそ軽やかな生き方を体現していくべきだと思うんです。「テンプルモーニング」などはまさにその一環です。
西田 営利目的じゃないっていうのもいいなあと。
松本 そうですね。
西田 日本で使われる「public(パブリック)」という言葉は、さっきの「religion」の語源の話と一緒で、「publicus」というラテン語が語源です。そこには「人々の」という意味があって、自分自身も含まれます。ただ、日本語に訳すと「パブリック」は「公共」で、公共の「公」の字は昔の公家を表現しています。
松本 あぁ、確かに。
西田 つまり「公共」と「パブリック」は全く違う語源なんですよね。日本は「パブリック」=「公共」になっちゃうけど、ベーシカルな部分では地域も含めた「みんなのもの」です。松本さんがお寺は公園とも違うと感じたのはきっとそういうことなんだと思います。
松本 そうですね。さらに言うならお寺は「仏様」の家なので、「人」ですらない! 仏様だから、とくに自分の所有を主張しないでしょうし(笑)。
西田 でも、ちょっとどこかで見られている感じがするのも、いい緊張感というか。
松本 そう。見守ってくれている感はあります。テンプルモーニングやテンプルコワーキングも「仏様の前だから肩書きとか脇に置いて、出会いましょうよ」っていう場であってほしいんです。
西田 プライベートスペースなのに自由にふるまえて、一人ひとりがバラバラのことをやっているのに、何となく一緒にいられる。場所自体はいわゆる寺がもっているという意味では、正確にはパブリックではないけれど。
松本 誰のものでもなくて、もはや国のものですらない。そういう場所がいいですよね。アジール的とでも言うのでしょうか。
西田 ええ、分かります。
松本 私は、これからのお寺はそういう場所であり続けてほしいと思っています。 (了)
前回までの記事はこちらより
僧侶と語る建築“法談”#01「実家とお墓を軽くする方法」
僧侶と語る建築“法談”#02「掃除がお寺を聖地化させる?」
profile |
松本紹圭 shokei matsumoto神谷町光明寺、衆徒。1979年、北海道生まれ。未来の住職塾塾長。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)他。(光明寺オフィシャルサイトより) |
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profile |
西田 司 osamu nishidaオンデザインパートナーズ代表。1976年、神奈川県生まれ。横浜国立大学卒後、スピードスタジオ設立。2002年、東京都立大大学院助手(-07年)。2004年、オンデザインパートナーズ設立。2005年、首都大学東京研究員(-07年)、神奈川大学非常勤講師(-08年)、横浜国立大学大学院(Y-GSA)助手(-09年)。現在、東京大学、東京工業大学、東京理科大学、日本大学非常勤講師。近著に『オンデザインの実験 -人が集まる場の観察を続けて-』(TOTO出版)がある。 |
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