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ボクたちの
“パブリック”は、どこへ
向かうのか?#03

text:satoshi miyashita photo:akemi kurosaka illustration:awako hori

「BETTARA STAND 日本橋」から、これまで2回にわたって「生き方」と「働き方」について熱い議論を交わしてきた、YADOKARIのふたりと、オンデザインの西田さん。今回は、場所を「ヨコハマアパートメント」に移し、新しいパブリックと住まいのあり方について語り合ってもらいました——。

 

@ヨコハマアパートメント

YADOKARIをヨコハマアパートメントに案内する西田さん

 

ライフログのメリット

西田) ヨコハマアパートメントでは、月に一回入居者会議をやっています。そこでは、使ったものをすぐに片付けるとか、トイレ清掃は当番制にするとか、とくに管理会社がいるわけではないので、住人同士が会議でゆるいルールを決めています。

ウエスギ) 入居者会議は、西田さんの他のプロジェクトでもやっているんでしょうか。

西田) このような共有空間がある住宅ではないけど、「泰生ポーチ」という関内にあるシェアオフィスや、「八○○中心」という小さなマイクロオフィス+ペントハウスの案件でもやっていますね。

ウエスギ) 建築家ってハードをつくるだけじゃないんだってヨコハマアパートメントを見て思いました。

西田) もちろんハード自体も新しくなっているから、設計者自身がそれを実感するためにもいわゆるライフログを残すことは重要だと思っています。

ウエスギ) なにかしらソフトというか、生き方というか、考え方があってのハードだと。

西田) そうです。ライフログによって、その先に、なにか新たに提供できることがあれば、いいんじゃないかって思います。

ウエスギ) ヨコハマアパートメントで、ライフログをとりはじめたのって、竣工当時からだったんですか。

西田) そうです。建てている時から、ここにどう住むかっていうことが想像しにくいかなと感じて、ならば自分で住んでみようと。竣工時から一年間、家族と住んでみたんです。その時に、写真なり、記録なりを残せば、こうやって住めばいいんだなということが発見できると思って。ここで、こんなこともできるんだということが次に住む人の想像力にも繋がると思ったんですね。よくヨコハマアパートメントについての講演をさせていただくんですが、ハード面の紹介よりも、こんなことがありましたっていうライフログの紹介のほうが百倍も受けるんですね。

さわだ) 竣工した2009年っていわゆる3.11の震災前ですし、半パブリックな暮らし自体、当時はまだそれほど認知されていませんでしたよね。 

西田) そうですね。竣工時のヨコハマアパートメントは住み方の新提案ということで注目されました。でも、震災後は、「繋がり」だとか「一緒に何かをする」みたいな、コレクティブな方向に社会が向かったので再評価されたところはあります。

ウエスギ) 僕らも震災以降、世界中の小さな住まい、新しい暮らしの提案をウエブ上で紹介してきました。そこで思ったのは、戦後、日本人が他者と共有スペースで一緒に暮らすケースって、あまり例がなかったんじゃないかということ。戦前は長屋とか、パブリックな井戸とか、いろいろあったのに。

西田) 確かに。じつは昨年、ヴェネチアビエンナーレでヨコハマアパートメントを紹介させていただく機会がありました。各国が自分の国で、いまこんなことに興味をもっていますよって提案するんですが、日本館からは311後に顕在化した「繋がり」をテーマに出展したんです。他の参加国をみると、多民族国家として抱える移民の問題についてなど、異なる文化を都市や建築でどう共存できるか(否できないかも)というシリアスさが関心事だったりするんですが、日本は単一系民族なので、シェアの概念自体もともと受け入れやすいベースというか、共生が根底にあるんだと思いました。日本らしいテーマだったと思います。

ウエスギ) そうですね。

西田) 最近のシェアハウスとかシェアオフィスの人気も、そこにシフトしやすい下地が日本人には感覚としてあるんだなと感じています。

さわだ) なるほど。

1階「広場」についての西田さんの解説に、興味津々のYADOKARI