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オンデザイン師弟対談!
キーワードでひも解く
白熱建築論

text:satoshi miyashita illustration:awako hori 

オンデザイン在職7年目の萬玉さんは、これまで数多くの案件に関わってきた気鋭の建築家。現在は〈神奈川大学国際寮〉の設計プロジェクトのリーダーとして、また近々刊行予定のオンデザイン監修本の制作担当チーフとしても、その手腕をいかんなく発揮中だ。
今回のケンチクウンチクは西田さんと萬玉さんという師弟関係のふたりによる特別対論。「継承」「メディア」「コミュニティ」などのワードから、オンデザインが考えるパブリックについてや、ますます多様化するプロジェクトのことなど、熱く語り合ってもらった。

 

@オンデザイン

 

建築の継承について

西田 東日本大震災の津波で流された街並みを、模型で復元する「記憶の街〜模型復元ワークショップ」に取り組む神戸大学の槻橋修先生が、以前、「昔からあるものに触れると、その当時の風景を思い出す」ということをおっしゃっていました。つまり建物というのは「記憶のメデイア」なんだと。
 記憶っていうのは脳の中のシナプスが幾多に分かれて、その中にひき出しとして残っているもの。でも、なかなか日常生活ではそのひき出しをあけることってありません。
  たとえばかつて自分が通っていた小学校の敷地を訪れた瞬間、子供の頃の懐かしい思い出が蘇ったりしますよね。建物や都市の風景には、そうしたひき出しをあけるスイッチ効果があるのだと思います。大震災の津波によって、被災地のみなさんは、それを失ってしまったわけです。
 槻橋先生たちのワークショップでは、失われた街をシロ模型で再現して、自分の家の屋根をかつての色で塗り、「ここに郵便ポストがあったよね」と語り合いながら、住民同士が街の記憶を辿っていきます。つまり模型を通して街をつくるんですね。この結果分かったことは、街の風景を思い出すのと同時にそこに暮らしていた人たちを思い出すってこと。これって実際の街を訪れて思い出す感覚ととても近い。
 建築が「記憶のメディア」だとすると、リノベーションも昔の生活や、当時の面影に触れられるという効果があります。かつて親と一緒に住んでいた家を次の世代に継承したり、あるいは新たな人を介して再生させるという、両方の価値がリノベーションにはあると思うんですね。日常生活の中で、もし「昔の建物を残して、生活する」とすれば、そこには新しい“余白”というか“ノイズ”というか、ふだんの感覚とは違う発見があるはずです。また、それが自分に関係ない古い建物や街の風景だとしても、そこにある痕跡を通して、理解できるものはあります。昔の生活文化を使う側が勝手な想像を働かせて「じつはこうなんじゃないか」と。
 たとえば、こっちの窓は、この方向から風が抜けるから斜めにつくられているとか。昔の生活とか昔の素材とか昔の何かをすこしでも知識として持っていれば、人間はそこからいろいろ受け止めるんですよね。そのハイブリットな感覚が意外に面白いなあと思っています。

萬玉 リノベーションで言うと、2015年竣工の島根県の海士町(離島)でやった〈隠岐國学習センター〉が印象に残っています。築100年になる民家を改修し、さらに増築もしました。2012 年くらいにプロジェクトがスタートしたんですが、当時施主であるセンター長が、継承という言葉をよく使われていたのを覚えています。
 そもそも築100年の建物の改修自体、私もですが、オンデザインにとっても初めてのことでした。当時はまだリノベーションへの意識がいまほど高くなかった頃なので、「改修」や「継承」という言葉を後ろ向きで捉えてしまうというか、いわゆる「保存」や「修復」のような「元の状態に戻す」というイメージで受けとってしまっていたんです。しかし、オンデザインに「保存」や「修復」を求めているわけじゃないこともなんとなく分かっていました。だとすると“継承”っていう言葉の意味はどういうことなのかと考えたんです。
 さっき西田さんが言った「記憶のメディア」って、基本的には目に見えてない部分のことじゃないですか。もちろん「把手部分が懐かしい」といった目に見えるエレメントもあるのかもしれないけど、たぶんハードの部分を切り離したところにも、継承の価値はあるだろうし、それをきちんと使う人たちが引き継いでいけるような建築になってほしいと考えました。
 学習センターは、結果的に構造の軸組を部分的に補強しながら昔の間取りをほぼ一掃させ、ワンルームにして、かなりドラスティックに改修しました。ただ外観のボリュームは当時のまま崩さずに増築をしています。建築設計のプロセスも初期からなるべく建物をつかう島の高校生や学習センターのスタッフ、さらには地域の人にもオープンにしていき、今までの島の生活文化も引き継いでいく機会としました。
 結果的に分かったことは、継承って目に見えるものだけじゃなく、わりと「懐かしい未来」というか、未来のことを考える前提にあるものだということなんですね。学習センター長が「これを継承したい」というのは過去のものを引き継ぎたいと同時に未来のバトンも後世に渡したい、そういう時間軸が含まれている言葉なんだと感じました。

隠岐國学習センター完成予想図

隠岐國学習センター(photo:kouichi torimura)

隠岐國学習センター(photo:kouichi torimura)

西田 確かに、スクラップ・アンド・ビルド的というか、建物を建てる行為だけを「建築」と呼ぶのは、すこしクラシックな考え方だと思うんです。建物というのは、その土地の文脈なり、建てた人の歴史でもあるわけだし、建てたことによって周辺の環境や街にもつながっていくわけです。それイコール未来でもあるんです。そういう縦軸と横軸の両方につながりが発生するのが建築の醍醐味なのに、20世紀的な建築教育は、建物の敷地だけ渡されて「ここに図書館を建てるから考えて」みたいな。教育の仕組みがそうなっていたと思うんです。でも、それだと分断されるんですよ、いろんなことが。
 もちろん、かつては都市をつくったり、建築を考えるのにはそのほうが効率的だった時代的背景もあります。右肩上がりの経済のなかでは、たくさん建物を建てることが、使う人も増えていくわけですから、よしとされてきた。でも今は人口も減ってきています。建物の価値を語るときには、地域や使い手との“関係性”を大事にする比重が大きくなっています。敷地の中だけを考えるのではなく、そこに発生した時間や周辺を巻き込むことも含めて考えるようになっているんだと思うんですね。

萬玉 私はわりと学生のときから設計課題でそういったテーマを扱ってきました。大学がいわゆる工学部建築学科じゃなくて、衣食住を扱う生活環境学部で、私たちのような建築学生と一緒に服をつくっている学生もいるようなところでした。生活環境学の授業のときによく言われていたのが、「都市にしても、建築にしても、衣服にしても何であれ、人を中心に考えるところからアプローチする学問だ」ということ。私にとっての建築の入り口がそっちだったので、「人との関係性」という考え方はわりとナチュラルに理解できました。けれど、実際に社会で実践していくとなると簡単なことではないということも同時に身にしみています。
 ここ数年、オンデザインにくる依頼も、「ホテルを建ててください」というよりも「ここでこういう感じで滞在してほしいんですよね」とか「この場所でこういう過ごし方とか活動ができるといいね」というものだったりするし、たとえば私たちがもし保育園を提案したとしても、きっと保育園そのものというよりは、「子育て世代と街づくりの関係性ってどうだろう」といった観点で考えると思うんです。子供とお母さんと保育士だけでなく、子育てに協力するための立体的な街の保育環境というふうに捉えたほうが、その建物に関わる人の数(分母)が圧倒的に増えるという感覚があります。設計に、そういうアプローチの手法があるんだってことは、オンデザイン入ってから気付かされましたね。

 

パブリックへの信頼感

西田 そう言えば昔、萬玉さんに〈ヨコハマアパートメント〉の完成直後の運営を任せたことがありましたよね。月1回の入居者会議で住人の意見や感想など、いわゆる“ライフログ”を記録してもらってたんです。そのときに「西田さん、なんでこれ、やってんるですか?」って、つぶらな瞳で質問されたことがありましたね(笑)。

萬玉 周りの友人たちは設計事務所に入ったら模型をつくったり図面を描いたりしているのに、私はオンデザインに入ってまず、ヨコハマアパートメントの運営を任されるという(笑)。もちろん模型や図面の仕事もやっていましたけど、月一回、入居者会議に行き、冷蔵庫の使い方とか、大掃除の日を決めたりとか、「なんで、私はここに住んでもないのに掃除を手伝っているんだ?」と(笑)。
 でも、大家さんは毎回会議でおいしい料理をつくってくれるし、まあ半分仕事で、半分おいしいご飯が食べられるからいいかみたいな。ただ、この経験がどう設計や建築に還元されるのかは、たぶん当時の西田さんの頭の中にも「ここが将来、役に立つんだよ」という明確な答えがあったわけじゃなかったと思います。ある意味、実験だったのかなと。

西田 萬玉さんが言うように、確かに僕自身もここでどう暮らしていくべきなのか、いまいち分からないところがありました(笑)。

萬玉 なので当時の私自身は、運営を任されながらも「管理者になってはだめだ」という思いが強くあって、あくまで運営サポーターとして、1階の共有スペースを入居者や外部の人に、「どんどん使ってください」と背中をあと押しながら、それがヨコハマアパートメントの実績につながっていけばいいと思っていました。
 実際にまったく知らない外部の人たちが同じ空間を共有するって、当時の大学出たての私からすると「あっ、こうやって人と人って空間を利用するんだ」とか、「こういう場所だと近所の住人がやって来るのか」とか、それまで絶対に見えなかった光景がある程度実感をもって見えてきたというのはありました。
 だからこの経験を設計にもフィードバックさせたいと思っていたし、建てて終わりというよりは、竣工後も建物が育っていくプロセスや、「じつはパブリックな空間ってここまで使えるよ」という、“信頼感”とか“実感”を提案できるようになれたのは大きかったと思います。これもいまだから言えますけど(笑)。

西田 僕は萬玉さんの「なんでこんなことを〜」という質問に、当時は、「こういうことをやると公共を理解できると思うんだ」とか、「いまはパブリックを蓄えているんだよ」とか、すんごくぼんやりした回答をしていたと思います。いま考えると、かなり謎でしたよね(笑)。

萬玉 私も西田さんの言葉に、内心、「パブリックかぁ。壮大だなあ」と思っていたんですけど、徐々に「あっ、でもパブリックって案外身近じゃん!」っていう感覚になっていきました。パブリックというと、ついつい全体性から入っていってしまいますが、結局は人の集まる環境の話だから、ひとりひとりという小さな単位から考えるものなんですね。

西田 ヨコハマアパートメントって、メディアにも多く取り上げられているにも関わらず、「同じような建物をつくってほしい」って依頼されたことが、これまで一度もないんです。でも、最近思うのは、もしかしたら依頼のされ方が違うだけで、結果的にやりたいことはヨコハマアパートメント的なことなんじゃないかって思うことが多々あります。
 わかりやすく言うと、これはオンデザインの傾向かもしれないけど、依頼されるクライアントの多くは建物の色やカタチなどを見ているのではなくて、完成するまでの過程や完成してから楽しそうに空間を使っている様子を見て、そこに共感しているんじゃないかって思います。  

ヨコハマアパートメント入居者会議の模様

ヨコハマアパートメント入居者会議の模様