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ワークスタイル再考
#03
会社を溶かし
空気のような存在に。

text:satoshi miyashita photo:akemi kurosaka illustration:awako hori

 

「働き方」をテーマに、これまで2回にわたって連載してきたPARTYの伊藤さんとオンデザインの西田さんによる対談。今回も引き続き、ふたりの白熱トークをお届けします!

 

 
クリエイティブと経営の狭間

伊藤 最近、経営自体がクリエイティブだと思えるんですね。僕自身、まだタイムシェアで言うと3割ぐらいしか経営にはタッチしてないんですけど、年齢を重ねていけば、5割、6割と増えていくと思います。最近は、「Airbnb」や「スナップチャット」のように経営者がデザイナー出身者だったりしますし。
 自分も“経営”をやっていることが、ある種、表現をしていることでもあるのかなあと思うんです。その表現っていうのが、前回の対談にも出てきた、デザインの定義みたいなところにも通じると思っています。デザインって見た目という可視化だけで捉えちゃうと、すごく狭義になってしまいますよね。今、大学生には「そう捉えるな」ってしきりに言っているんです。

西田 今までそれしかやってきてない美大生に?

伊藤 そうです。grafの服部(滋樹)さんも同じ京都造形大学で教えているので、一緒に「可視化だけがデザインじゃない」というテーマでワークショップをやったりしてカリキュラム改革みたいなことをしています。担当は彼が「コミュニティー」で、僕が「情報デザイン」。美術の授業と言えば、いまだに白い紙に絵を描いて、花丸をもらうような世界です。まだまだ可視化っていう部分が強いんですね。
 この間、中学と高校の美術の教科書が今どうなっているのかと思って見てみたら、アートのことは触れられているのに、デザインについてはほとんど触れられていませんでした。これだと誰もデザイナーにはなりたがらないだろうなと思いました。学生たちに、「なんでデザインをやりたいのか?」と聞いても、アニメだったり、ゲームのインターフェースに興味があるから、という回答が多いんです。つまり美術教育が与える影響ってとても少ないのが現状です。

西田 なるほど。「大学でデッサンを描いていたから、デザインのほうへ行った」とかではなく?

伊藤 そう。なおかつ最近は授業から美術の時間が削られる対象で、英会話やプログラミングとかに時間を割くことになってます。だからこれからはデザイナーの人材危機だと思っています

西田 たまたま見たんですが、アドビシステムズ社の調査で、日本とイギリスとアメリカとドイツで中高生を対象に、「自分はクリエイティブだと思うか」っていう質問を投げ掛けたところ、アメリカはほぼ半数、イギリスは37%、ドイツは40%の学生が、「クリエイティブだと思う」って答えていて、日本だけが8%だったそうです。同じく先生にも、「学生はクリエイティブだと思うか」って質問して、日本以外の国はだいたい平均27%ぐらいだったけど、日本は2%。
 その質問の先に、「職業としてクリエイティブなものを選ぶか」、つまり「そこには可能性があると思うか」みたいなものもあったんですけど、グローバルの平均だと80%ぐらいの学生が「可能性がある」って答えるのに、日本は40%ぐらいでした。

伊藤  その調査結果は、どこかYouTuberになりたいって言ったら親が猛反対している日本の現実と通じますよね。今や、YouTuberのスクールもできはじめてるのに……。

西田 YouTuberは、子どものなりたい職業の上位ですからね。

伊藤 いや、小学校、中学校では1位ですよ。でも、親が激怒して「何を言ってんだ!」って、周りの圧力でYouTuberになることを諦める子供が多いと聞きます。そこは止めちゃいけないって思うんですけど。

西田 今ない職業だからこそ未来なのに。

伊藤 そうなんです。ただ親は、「YouTuberなんかになって何にするの? 引きこもりにでもなるの?」って、そういう感じで考えているわけです。

西田 でも、それって、「見えないものも含めてデザインだ」というふうに伊藤さんが考えはじめた経緯ともつながりますよね。最初、法学部からスタートして、法律っていう、全くオブジェクティブでないところから、ストーリーを描かなければいけなかったわけで……。だからまさに今、デザイン業界にいて、それを実感値として体現しているところなのでは?

伊藤 そうかもしれませんね。

西田 「経営はクリエイティブだ」という言い切るデザイナーも珍しいですし(笑)。建築家でも、「経営がクリエイティブだ」と言っている人を見たことがないですからね。
 僕らも、ふだんからまちづくりの一環で、建物のユーザビリティや運営についての話をしていますが、いまだに建築業界の年配の方々からは、形がない仕事に建築家が口を出すことに対して「どうなのか?」って見られていると思うんです。

伊藤 確かに建築やアートってある種の権威ですけど、そういう意味じゃ、僕のような人間はアンチアカデミズムなのかもしれません。
 デザインの世界って、源流は1950年代後半ぐらいが発端で、当時、デザイナーの亀倉雄策さんらが中心になって「日本デザインセンター」が設立されました。グラフィックデザインやピクトグラムなど、今でこそ空港などで当たり前のようにあるサイン計画は、当時、英語が分からない日本人のためにつくったわけです。
 日本でピクトグラムが発達したのは、それが発端だったとも言われています。で、似たような状況が、それから50年ぐらい経った今のインターネットの世界にも到来しているように僕は思います。PARTYという会社は、当時の日本デザインセンターの成り立ちをすごく意識しています。もちろん手法などは全然違いますが。
 僕らの組織の在り方は、会社を溶かし、オフィスを溶かし、空気のような存在にした、その先に、PARTYがあるっていう考え方なんです。そうやって、いわゆるコレクティブオフィス化にして、「PARTYのオフィスはどこですか」って言われたら、「京都にも鎌倉にも東京にも、LAにもありますよ」みたいな。

西田 どこか一箇所に存在するのではなく、複数になれば存在は自然に薄まっていきますよね。

伊藤 そうです。フィンテックにおけるサーバーの在り方と一緒で、中央集権的な管理をされているサーバーがあるから銀行とかカード会社が存在しているわけで。でも、そうじゃなくて、ブロックチェーンのように、各自のパソコンがサーバーになって、互いが相互に監視し合う、そういう分散主義型の世界がある種インターネットの究極なので、我々のオフィスも、「東京の銀座に200坪のオフィスがありまして……」みたいな中央集権型ではなく、そこかしこに小さいオフィスがちょこちょこある分散型オフィス(コレクティブオフィス)にしていこうと

西田 どうしても顔を見合わせたければ、Skypeを使えばいいし。

伊藤 そうです。そうすると、京都にいる美大生や任天堂のエンジニアがふらっと(京都の)オフィスに立ち寄ってくれたり……。今後は、そういう人たちと仕事をすることになるのかなと。