メディア横断座談会
“リレー”される
芸術不動産(後編)
(※本記事は、WEBマガジン『創造都市横浜』と『BEYOND ARCHITECTURE』によるコラボ企画です。『創造都市横浜』にも同記事が掲載されていますので、ぜひ、そちらもご覧ください)
『ヨコハマ芸術不動産機構』の立ち上げを記念して、前、中、後編の3回にわたって実施してきた本気企画。最終回の後編も芸術不動産の創設期から関わってきた建築家の佐々木龍郎さん、ACYの杉崎栄介さん、そして今後の事業運営を担うplan-Aの相澤毅さんに、芸術不動産の過去、現在、未来をテーマを語り合っていただきます。引き続きモデレーターを務めるのは、オンデザインパートナーズの西田司さんです。
前編はこちら→【 ”リレー”される芸術不動産(前編)】
中編はこちら→【 ”リレー”される芸術不動産(中編)】
@オンデザイン(泰生ビル)
西田:さて、次は芸術不動産の未来について。このテーマのキーパソンは相澤さんです。相澤さんの前職は横浜でも大手として知られるリスト株式会社(以下、リスト)という総合不動産会社ですが、何年ぐらいいらしたんですか。
相澤:15年間リストに在職して、今は独立起業して4年目になります。2005年頃の〈北仲BRICK&WHITE〉(前編*2参照。以下、北仲)は、まだ「横浜って面白そうー」ってすこしドライに引いた目で見ていました。私がエリアのことを真剣に考え始めたのは、2011年に新港ピア(*1)にあった倉庫〈新・港区〉(*2)がクローズされる頃からだったと思います。
西田:実際に芸術不動産に関わるようになったのはいつですか?
相澤:ちょうど民間への移行期間が残り3年となったタイミングでチームに入りました。横浜市としては、民間への移行について実証実験を事業推進するフェーズで、そこからの参加いうことになります。当時のチームは、私以外はほぼ建築家で、自分だけがザ・不動産屋。
西田:メンバーは、佐々木さんと、櫻井さん(櫻井計画工房)、片岡さん(山手総合研究所)?
相澤:あと曽我部さん(みかんぐみ)です。自分はみなさんと職種が違うので、あえて不動産屋に徹した意見を述べていたと思います。「賃料が安ければ仲介手数料なんて一晩、飲んだら終わっちゃうような金額なので、今のままだと芸術不動産事業単体では経営は成り立ちません」って。
佐々木:そうだよね(苦笑)。
相澤:でも、芸術不動産は不動産屋の職能がないと回せないこと、事業としては残すべきということも理解していたので、じゃあ残すために、どうすればいいのか。三年のうちの一年半くらいはそのことでいろいろ模索しましたね。
結局、さっきも言ったように不動産業のマインドって儲からないことはやらない。でも、たまに、そうじゃない人もいます。そういう人をどうやって見つけてくるか、そして、その人の会社にとって芸術不動産ってどんなメリットがあるのか。このふたつの立て付けをしっかりやらないと事業の継続は無理だろうなと考えました。
そこで取りあえず自分の古巣を説得するところから考えました。私が独立して最初にプロデュースした「G Innovation Hub YOKOHAMA」は、リストと芸術不動産をどう結び付けて構築するか、そこをわりとしっかりやったんです。何を目的とするかという大枠は、仲間をつくってからでいいと。
まずは体制構築を先にするっていう逆流現象で、皆さんにお声掛けをして座組をつくるところまで一気に走りました。ちょうど横浜市との連携協定締結のあたりですね。
同時に「創造都市」という長い歴史の中で、世代交代の必要性も各方面から聞かされていて、それこそ、佐々木さんや櫻井さんの世代から、我々40代がいったん引き受けることを考えていかなきゃいけなかった。ただ、40代ってめちゃめちゃ仕事が忙しいので、実際、中心軸となってゴリゴリ動けない。なので、できればその下の世代にも出てきてもらって一緒にやることで、自走できる状態をつくっていかないといけない。割と早いタイミングでそういうことに気付いて、今まさに、取り組んでいる最中です。
西田:そうすると、今はこれから動きだすための足腰づくりの段階?
相澤:まさにそんな感じです。昨年11月、連携協定締結をリリースしてからは相談案件がすごい勢いで立て込みました。なかでも意外だったのは関内界隈で新たな拠点を創設したいというゼロベースの相談でした。創業して事業計画もつくり、事業融資の借り入れをして、ちゃんと運営していきたいと。
西田:それは中長期的な案件ですね。
相澤:はい。従来の芸術不動産事業だとそういった法人設立の相談は、業務仕様上「事業範疇外なので申しわけないけど支援はできません」と答えざるをえなかった。でも、自分はスタートアップを支援する「YOXO BOX」の運営にも関わっているので、今のような体制なら、いわゆる創業まわりもフォローができるわけです。これからは、不動産、創業支援、建築など複合的な要素を兼ねながら現在進行形で走っていく感じですね。
西田:相談案件が増えた理由は、芸術不動産への期待値が高まっているというのもありますか?
相澤:というより発信の仕方を変えたら、困っている人たちがたくさんいたことに気付けたという感じですね。芸術不動産の連携協定締結のリリースには、「横浜市と新たなことをどんどんやります」みたいなことは書かれなくて、「民間として動くことになりますよ」「そこで横浜市と連携協定を結びますよ」っていうことだけ書かれていた。
杉崎:確かに、創業という切り口での相談案件はこれまでなかったですね。2015年に芸術不動産を引き継ぐ以前は、ACYの相談窓口にクリエイターの移転や拠点開発の話は多くありました。ただ、それはあくまでも創業における“移転”部分の相談であって、創業支援相談ではありませんでした。ACYから機構に移り、防火建築帯の活用事業モデルに走ってからは、さらにその部分が見えづらくなりました。
今回あらためて“関内や横浜の可能性”をリリースしたことで、これまでにはない相談が生まれているのかもしれませんね。
西田:そのリリースには、「不動産所有者によるアーティスト支援としての物件活用」っていう内容は謳われているんですか?
相澤:謳ってないですね。
佐々木:でも、そうなった経緯には実は理由があって、2014年までの芸術不動産は、アーティスト・クリエイターのための物件にしか助成してこなかったんです。つまり彼らの住居までは芸術不動産リノベーション助成制度は適用されなかった。でも、ACYから引き継いだ芸術不動産では、2015年にリノベーションした「弁三ビル」で、住居用の物件も取り組んだ。なぜかというと防火建築帯というある種、このエリアの歴史的建造物を活用するということで文化観光局に理解してもらった。
杉崎:不動産業は中区の主要産業というか、どの都市においても中心市街地は不動産業が主力なので、不動産業を創造産業の一部として呼んだら良いと会議で話していました。
佐々木:はい、要するに住まいまで対象を広げてもいいんじゃないかと。2015年から2017年にはそういう動きがありました。
杉崎:うちも徐々に対象を広げたけれど住居までは無理で。やっぱり、ACYの芸術不動産はアーティスト向けの支援事業以外ではできなかったと思うんですよね。でも、相澤さんはまさに不動産事業だから。
相澤:そうですね。連携協定締結の時、今の話を予め横浜市には確認しました。「芸術不動産の今後っていうのは、アーティスト・クリエイター支援なんですか? それとも、遊休不動産の創造的活用なんですか?」って。「それによっては、もしかすると自分じゃできないかもしれません」って。横浜市からの回答は「遊休不動産の創造的活用です」とはっきり言われたので、「それならできるかもしれません」と。
西田:なるほど。この差はめちゃ大きいです。分母が全く違いますからね。
相澤:違いますね。
佐々木:アーティストに限らず、誰もが不動産で仕事して、食べて、寝て、だからね。「アーティスト支援するといったら、まず不動産でしょう」と立ち上げの時から言ってきた。
西田:そこへさらに創造的活用という文脈が入ってきた。
佐々木:アートやデザインにお金払う人が住みたくなる物件があれば、それってアーティストにとってもプラスというか。
西田:「創造的活用とは何か?」という問いこそが、未来の話だと僕は思いました。もちろん立ち上げられたみなさんにはいろんな思いがあるでしょうが……。
相澤:YOXO BOXの運営やG Innovation Hub YOKOHAMAの運営をしていた時に思ったんですが、この界隈のシェアオフィスには対外的にも面白い人材がいるのに、残念なことにその人材が成長した後の受け皿がない。みんな東京に流れてしまう。彼らが横浜でも活躍できるようにするには、現状のネットワークだけでなく、異種の人材が交わりあうことが重要です。私が「アーティスト支援だと、もしかするとできないかもしれません」って言ったのは、アーティストの入居だけを促進させるのでなく、違う領域にいる人たちとつながることで、新たなビジネスが生まれたりする、それがすごく大事なことだと思ったからです。つまり、それが自分の中での創造的活用になっていくんだろうなと。
西田:確かにこれまでは、ゼロイチをつくることが多かったけど、今の話だと、ここで育った人が「5」くらいになった時に、「5」が「10」になるようにするには、不動産だけじゃないネイバーフッドのコミュニケーションとかが必要で、それこそが創造的活用なんじゃないかってことですね。
相澤:そうです。
佐々木:お金のあるアーティスト・クリエイターは自分の手でアトリエを丸々借りられるけど、そうじゃない人は自分たちでコミュニティーをつくって借りるよね。例えば、建築家の永田賢一郎さんが手掛けた「藤棚アパートメント」とかは、彼が不動産所有者と直接交渉して自分で全体をコーディネーションしていると聞いたし。そういう職能ってACYのマンパワーだけだとやっぱり弱くて、もうすこしフリーのディレクターのような人材を入れてもいいんじゃないかと。やっぱりアーティストがどうやって不動産を活用し、家賃を払っていくかっていうアドバイスをできる人がいないとこの先、難しいかなって。
杉崎:今後、相澤さんが不動産事業にシフトしてくれることで、自分たちの仕事が原点回帰できると期待しています。ACYの使命である「芸術と社会をつなげる」でいえば、開発フェーズが終わり、今後は市内に集まった担い手にバトンを渡す時期、普及フェーズに入っています。これまでは芸術文化の”活用”について頭を巡らせていましたが、今は芸術文化振興のそのものの意義に立ち返って、様々なことを考えています。
佐々木:2015年に芸術不動産を市が引き取った時にハードとソフトに分けて、ソフトをACYが手掛けるっていう関係にしたんだよね。
杉崎:はい。最近はさらに行政側と財団側との役割分担について、議論を深めている段階です。
西田:でも、芸術不動産が「遊休不動産の創造的活用です」ってなった時に、創造的活用の中には、もしかしたらさっき相澤さんが話していた面白い人材って、例えば、変なパフォーマンスをする弁護士だったり、人気のYouTuberだったり……、今までならアーティスト支援の枠に入らなかった人も含まれるのかもって、ちょっと思いました。
杉崎:そうですね。新しい芸術不動産ではその部分はクリアできていると思うんです。むしろ、ACYでは今までどんなクリエイティブな仕事をしている人が横浜を選んでくれているのか、横浜を面白がる人ってどういう理由からなのか。それについて考えることを仕事としてきたので。
佐々木:横浜の立ち位置だよね。東京に対しての立ち位置。
相澤:あー、すごく分かります。
杉崎:上場したいっていう会社にとっては、横浜よりも東京のほうがメリットがあるんじゃないですか?だって、それだけのメンバーが東京には揃っているから。でも、オンデザインの西田さんやNOSIGNERの太刀川さん、plan-Aの相澤さんのようなビジネスをやりたいっていう人にとって、上場って目標なんですかね?結果的に上場することはあっても…という話です。この人たちが横浜の良さをどう思っているかっていうことは、すごく重要だと思います。
最近の事例でいえば、泰有社が”弘明寺”でオンデザインやYADOKARI、渡辺篤さんなどと取り組んでいる弘明寺プロジェクトは、横浜における1つの潮流だと考えています。他にも、建築家の永田賢一郎さん(YONG architecture studio)や小泉瑛一さん(about your city)の世代(30代)などの活動を見ていると、都市部よりも生活に近い場所、都心から離れた商店街とかに拠点を構えるケースが増えていて。これを俯瞰すると彼らが選んでいるエリアって昔の市電の沿線なんですよね。戦前広がっていった横浜市第3次市域拡張地区で、まだ横浜市が5区しかなかった時代。市電のターミナルだったり、中核になっていったエリアなんです。藤棚の近くには浜松町という駅があったし、弘明寺は市電の終点、最近アートプロジェクトが始まった鶴見も終点近く、いわば都市横浜のエッジだった。
2005-2006年の北仲世代のキャリアあるクリエイターが現在中心部にいるように見えるけど、BankARTが始まった旧第一銀行の周辺って当時は空き地で、いわばみなとみらいと関内双方にとってのエッジだった。山下ふ頭も新港もエッジで、東横線跡地とか黄金町もそうですよね。でも、創造都市施策が生まれてしばらく経ってから再開発が進み、それらがエッジではなく都市の中心になっていったわけです。今や市役所が建っていますよね。その次の世代の若いアーティスト・クリエイターたちは都市のエッジを探して、関内、関外のさらに外へ出ているんじゃないかと……。ちなみにこれ、私の仮説です。
佐々木:考えたら、移っているのはみんな北仲世代のOB、OGなんだよね。例えば、西田さんのオンデザインで、一度この界隈を経験した世代が、今後は自分でも界隈をつくってみたいと思って、自然に杉崎さんの仮説のようなアプローチになるのでは。
相澤:なるほど。
佐々木:そういう意味でも新陳代謝していかなきゃいけない。例えば、みなとみらい地区の建設も一通り完了しましたよね。あそこは低層部にクリエイティブな用途を入れようみたいな縛りがあって、いろんな企業が面白い空間をつくっています。これからはそういうところとのリンクも大事だと思う。
相澤:それ、めちゃくちゃありですね。
佐々木:いろんな意味で、種は蒔かれて育ってもきたんだけど、今までと違う人たちが組み合わさって動き出す時期なんだと思う。
相澤:今日はいろいろ話を伺って、正直もうお腹いっぱい状態です(苦笑)。もしこれが私じゃなくて、若い人や外部からきた人ならいきなりは理解できないと思う。だから、「創造都市って何?」というレベルからアーカイブとして残しておいて、誰でもアクセスできるようにしておかなきゃいけないと思います。それがない限り、「新たなことをやりましょう!」って言っても、「新たな定義って何?」となってしまう。
西田:なるほど。さて、そろそろ時間も押し気味なので、順番にご自身の中で、今後、芸術不動産との関わり方や捉え方がどう変わり、その結果、こうなっていくんじゃないか、みたいなことをお聞かせいただければ。では、佐々木さんからお願いします。
佐々木:僕は全く変わっていないんだよね。ずっとお見合いおじさんとしての立場。横浜で設計とかもやりたいと思った時期もあったけど、それやり出すと、ちょっと利益相反になってしまうかもしれないから徹底的にお見合いおじさんとしてのポジションで行こうと。自分ができることは最大限にフォローするし、できないことは誰かを探して一緒にやる。人と不動産をつなげる場をつくるっていう基本中の基本をやり続けるだけかな。
西田:佐々木さんはつねにファクトの積み上げで語ってくれるので助かります。
佐々木:僕が協力できるとすれば、そこしかないと思うから。さっき相澤さんがアーカイブの話をしていたけど、ファクトをなるべく正確に共有できていれば、誰かのヒントになるかもしれないっていうこと、それに尽きます。
西田:ありがとうございます。杉崎さんは過去から現在をつなぐ役まわりだったんですけど、いかがですか?
杉崎:そうですね。結局は鮮度が大事ってことでしょうか。いつまでも佐々木さんや僕らの世代がやっているのでは駄目で。いろんな担い手が横浜にはいて、その人たちの顔がどんどん出てくることが横浜全体のブランディングになっていくわけです。横浜なら新しいチャレンジができるっていう印象を持ってもらうためにも、芸術不動産がこれからも違う形で発展していけばいいなと思います。
西田:やっぱり財団っていうプラットフォームだからこそできることがあって、2007年からだと15年間。その前の創造都市の2004年からを入れると18年間。今年、19年目になるところで、相澤さんとしては、そのバトンを、どんなふうに受け止めていきますか?
相澤:まず、個人的には、そのバトンがめちゃくちゃ重い。
西田:それ、いいコメントです(笑)。
相澤:ネガティブな意味じゃなくてね。
佐々木:分かるよ、分かる。
相澤:ちゃんとやらなきゃっていうマインドになっちゃう(笑)。それは大事なことだけど、前々回の芸術不動産機構の会議でメンバーから「相澤さん、力、入り過ぎ」ってすごく怒られたばかりなんです。「こんな儲からないことを、真面目にやり過ぎるのは駄目です。もっと楽しみましょうよ!」って。言われてみて「その視点は確かになかったよな」と思ったんです。つまり自分自身が楽しまないと、事業って面白くはなんない。それに、面白がっている人のところに人は集まるんです。以来、メンバーとは、まずは楽しもうっていうことを言っていますね。
あと今後、対象エリアが関内・関外以外にも広がることはプラスだけど、なればこそ、なぜ横浜なのかをしっかり考えないといけない。そうしないと、いたずらに領域だけ広がって空中分解しそうで怖いから。そこはできるだけメンバーとも議論を継続しつつ進めたいと思います。
西田:聞きながら、相澤さんが襲名したばかりの老舗問屋の何代目かに見えてきました。
相澤:ええ?(笑)
西田:僕はその何代目かは、ばっさりいくのがいいと思います。結局、伝統ってなくなんないから。ファクトベースの積み上げがしっかりあれば。
佐々木:そうなんだよね。
西田:もちろん過去を無視するっていう意味じゃないですよ。でも、自由にやったほうがいい。そのほうがリブランディングされていく感じがあるから。
杉崎:私もそう思いますね。
佐々木:ちょっと知っておいたほうがいいなってことだけは、一応かいつまんで伝えるようにするから。
相澤:心強いです。いやー今日めっちゃいい日だったな。
西田:芸術不動産からヨコハマ芸術不動産機構となり、これからの展開が楽しみです。本日はみなさん、長時間ありがとうございました。
一同:ありがとうございました。
〜後編・了〜
協力:創造都市横浜
撮影:大野隆介(※を除く)
*1新港ピア:2008~2015年。横浜市中区新港二丁目あった展示施設。現、横浜ハンマーヘッド。
*2新・港村:2011年。新港ふ頭にある展示場「新港ピア」(横浜市中区新港2)に、「ヨコハマトリエンナーレ2011」の特別連携プログラムとしてオープンしていた「新・港村~小さな未来都市」(BankART Life III)のこと。
前編はこちら→【 ”リレー”される芸術不動産(前編)】
中編はこちら→【 ”リレー”される芸術不動産(中編)】
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相澤 毅(Tsuyoshi Aizawa)
株式会社plan-A代表取締役、合同会社plan-A TOYAMA代表社員。Project Designer、Innovation Booster。大手生活ブランド勤務を経てから前職ではデベロッパーにて社長室に所属し不動産開発から海外事業におけるスキーム構築・広報P R・販売戦略・広告クリエイティブ・ブランディング・新規事業企画・商品開発・人材育成制度構築・産学連携など手がけてきたが、2018年5月に独立起業。今は不動産事業者や大手家電メーカーのコンサル、企業の事業開発参画、不動産開発事業、場のプロデュース、拠点運営、自治体とのまちづくりや創業支援、企業の取締役や顧問、NPO法人の理事等を手がけ、多様な働き方を実践している。
佐々木 龍郎(Sasaki Tatsuro)
1964年東京生まれ。株式会社佐々木設計事務所代表取締役。生業は建築の設計監理。住宅・共同住宅、医療福祉建築、公共建築、商業建築などを手掛ける。そこで得た知見を活かして、地域デザイン、調査研究、人材育成などに携わる。株式会社エネルギーまちづくり社取締役、一般社団法人横濱まちづくり倶楽部副理事長、一般社団法人東京建築士会理事、千代田区景観アドバイザー、神奈川大学・京都芸術大学・東京都市大学・東京電機大学・東洋大学・早稲田芸術学校非常勤講師。
西田 司(Nishida Osamu)
1976年神奈川生まれ。使い手の創造力を対話型手法で引き上げ、様々なビルディングタイプにおいてオープンでフラットな設計を実践する設計事務所オンデザイン代表。東京理科大学准教授、ソトノバパートナー、グッドデザイン賞審査員。主な仕事として、「ヨコハマアパートメント」「THE BAYSとコミュニティボールパーク化構想」「まちのような国際学生寮」など。編著書に「建築を、ひらく」「オンデザインの実験」「楽しい公共空間をつくるレシピ」「タクティカル・アーバニズム」「小商い建築、まちを動かす」。http://www.ondesign.co.jp/