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建築と模型とメディア 
#03
“建築”から考える
メディアの可能性

text:satoshi miyashita photo:akemi kurosaka illustration:awako hori

 
ハウスとホーム

西田 その話につなげると、最近、ちょっと面白いなと思ったのが家っていう概念の変化です。

松井 どういうことでしょう?

西田 最近の小屋ブームも同じだと思いますが、家っていうものが、土地に根差している2階建ての3LDKみたいな「ハウス」のイメージではなくて、どちらかというと「ホーム」に近いというか。

松井 なるほど。

西田 つまりすべてをひとつの空間に押し込むのには無理があるんじゃないかと。「ありのままの自分がこの家です」というよりも、それが複数あったほうが楽なんじゃないか、そう思っている人が増えている気がします。
 最近、渋谷に疑似家族をテーマにした「Cift(シフト)」っていうシェアハウスができたんですが、疑似家族と言っているだけあって、帰宅すると、みんなリビングでお酒を飲んでいるみたいな感覚です。ただ、ここはあくまで疑似家族用で、住んでる人の7割は、もう1軒、自分の家を持っているんだそうです。元気のあるときは、「Cift」に帰るけど、ちょっと仕事で疲れてひとりでいたいというときは、もうひとつの家に帰るわけです。つまりコミュニケーションしたいモードのとき、静かにひとりでいたいモードのときと、気分によってクラスター分けしているんですね。
 また子どもがいる女性も入居されていますが、その方もご主人が出張で、1週間から半月いないときは、「Cift」に滞在し、ご主人が帰ってくるときは、もうひとつの家に帰るわけです。彼女によると理由は、家で子どもとふたりっきりだとストレスで自家中毒になりそうで、ここに来れば、自分も時間が持てるし、子どもは入居者たちと社会性を育めるわけです。

松井 非常に興味深いです。

西田 また最近は地方と東京を行き来しながら暮らしている人も増えています。例えば東京以外に1カ月に1回しか帰えらない家が新潟にあって、そこでは友達と一緒に暮らせる居場所になっている。地元の友達は中学時代の友達だから、昔のたわいもない話で盛り上がれるし、東京のシェアハウスのほうは、比較的アッパーな人たちだから、最近の仕事の話で盛り上がれる。
 単純にコミュニティーが違うだけですが、ひとつの家で全部を解決しようとしないで、大事にしたいと思うものを、各ホームごとに投げ込むことで、家ができるみたいな。これって、例えるとスマートフォンにアプリを入れる感覚に近いと思います。アプリをダウンロードしてカメラはこれです、音楽はこれです、みたいな感覚と同じように、この家はこういう役割で、ここはこういう役割でと、自分自身で取り込むわけです。つまり家ってそういう対象なんじゃないかと最近、思っています。

松井 なるほど。その話でちょっと思い出したことがあって、私の専門分野でも、研究は縦割り的な性質が強いです。例えば、模型で言うと、先駆的には、辻泉さんという社会学者が交通メディアとしての鉄道の意味論を研究されていて、その中で少年文化の重要な対象として鉄道模型を扱っておられました。ただ、模型というモノ自体をメディアと捉える研究は、少なくとも単著レベルの研究としてはなかったわけです。
 その理由としては、模型が、マスメディアやソーシャルメディアといったわかりやすいメディアではなく、位置づけにくいので、これまで盲点になっていたことがあるのではないかと思います。でも実際には、科学、兵器、アニメ、デジタル化といったさまざまなテーマに関わっており、メディアと考えても非常に重要な対象なのですが……。ただ、現代社会はいろいろ流動化している時代ですから、模型をひとつのメディアとして措定することで、逆にさまざまな現象を統合的に理解できる部分は、これからもあるのではないかと考えています。
 そういう意味では、建築がいろんな分野と結び付くイメージは、僕の今の感覚と近いんです。テレビや新聞紙のように明確に制度化されてはいない模型って今後いろんなところでメディアとして機能していくと思っています。それはある種、今の時代だから、こういう研究ができたっていう側面もあるとは思うんです。

西田 なるほど。

松井 一見すると、模型はレトロ風なんですけど、その発想自体は意外に現代的なのかなって、西田さんのお話をお聞きしながら思いました。

 

変貌するメディア

松井 『模型のメディア論』を出版して以来、社会学者やメディア研究者が推薦してくださったり、模型誌や製作者のブログなどで紹介していただいたのはもちろんですが、松岡正剛さんが『千夜千冊』の書評で取り上げてくださったり、哲学者の千葉雅也さんがSNSで言及してくださったり、まさにこの対談もそうですが、異なる分野からちょくちょく反響をいただいています。あらためて模型っていろんなところに関わっているメディアであり、モノだったんだなって思い知らされました。

西田 これはもしかしたら最初に聞いたほうがよかったのかもしれなかったですが、一言でメディアって言っても結構、幅広いじゃないですか。だから、「建築がメディアだ」とい言い切っても、いわゆるテレビとか新聞とかをメディアだと思っている人には認識されないじゃないかと考えることがあって。

松井 ああ、はい。

西田 松井先生から見ると、「建築とメディア」という、このつながり方ってどういうふうに捉えていますか。

松井 それは重要なご指摘だと思います。メディアっていうのは、本来、日本語では「媒体」や「媒介」という意味で、原義的に言えばすべてのモノが「メディア」であると言えます。もちろん、何も媒介してないようなモノを無理矢理にメディアと言っても仕方ないですが、基本的に人はモノを見て何かを想起したり、没頭して別の世界をイメージしたりする場合も多いと思います。つまり、メディアはある種の分析概念というか、思考概念だと思うんですね。化学物質みたいなものじゃなく、思考というか、ひとつの枠組みだと。
 「建築はメディアだ」と言ったとき、それがメディアにならないというのなら、その人のメディアという概念の理解度がそれほど深くないのだと僕は思います。先ほどの話にもありましたが、「マスメディアだけがメディアだ」みたいな四大マスメディア(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)を中心とするメディア論がいまだにあるのも事実です。もっと言うと、そもそもインターネット自体をメディアと考えるかどうか、みたいな議論もあります。
 模型という物質がメディアであり、もっと言うと、ミュージアムや教室などの空間もメディアであるという言い方は、最近のメディア研究ではわりとよく言われています。ただ、「それをメディアって言ってしまったら何でもメディアじゃないか」と言って、はなから理解しようとしない人もいます。個人的には、メディアとは「思考ツール」でいいじゃないかと思うんですけどね。

西田 きっとその理解度は時代の分脈の中でも変わってきますよね。

松井 はい。

西田 今後、長い尺で見たときに四大メディアの概念が空間や都市などにも広がっていくといいんですが。

松井 そもそも「マスコミュニケーション」と「マスメディア」という言葉は、第一次世界大戦時にアメリカで普及しました。第1次大戦中にマスコミュニケーションやマスメディアが注目され、総力戦体制と密接に関わるようになり、国のプロパガンダとして活用されていきました。ウォルター・リップマンが『世論』(1922年)でこうしたマスメディアが形成するステレオタイプを批判したのも、この時期です。その後、連合国側も枢軸国側もマスコミュニケーションとマスメディアに注目する中で第2次世界大戦が起きた。戦後、日本は民主化したけども、よく言われるように、マスメディアには戦時下に形成された性質が残っています。
 90年後半から2000年代以降には、ネットメディアが登場し、すこしずつですが、メディアという言葉の使い方も拡大しているように思います。学説的にも、これまでは四大マスメディアだけを対象にしてきたけど、どんどん広がってきて、西田さんがおっしゃったように、都市はメディアじゃないかとか、ミュージアムもメディアじゃないかとか、僕みたいに、模型もメディアなんじゃないかという人も出てきたりと、今はそういう状況かなと思っています。

西田 なるほど。すごいメディア論の歴史を学びました。

松井 もともと戦間期に強い発信力があったマスメディアがプロパガンダになり、戦後になると、そこにエンターテインメント性が加わって、単にメッセージを伝えることから、「人と人」や「人と世界」をつなぐみたいに、捉え方が変化してきたんだと思うんです。