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植物×都市
#03
都市で植物を
“育てる”価値

 

都市に植物が必要なのはなぜだろうか?

前回は植物を五感で感じることによる価値について実験し、都市における植物の価値について考えてみた。今回はそうした受動的な関り方ではなく、育てる、という能動的な関り方について考えてみたいと思う。

 

植物を育てると、都市生活が豊かになる?

 

 

植物と人の間に生まれる価値―回想・記録・愛着―

植物を“育てる”という行為に都市の植物の価値を見つけるべく、園芸療法士の本田ともみさんにインタビューしてみた。

園芸とは、広い意味では植物を育てる行為のこと。園芸療法とは、「医療や福祉分野をはじめ、多様な領域で支援を必要とする人たち(療法的かかわりを要する人々)の幸福を、園芸を通して支援する活動」(日本園芸療法学会)で、本田さんは園芸療法士として活動している。

本田ともみさん。園芸療法士としての活動の様子

 

園芸療法の効果の一つとして興味深いのは、療法の対象者に回想を促すことだ。高齢者向けの園芸療法では、サツマイモやヒマワリなど親しみのある植物を育ててもらう中で、自分の過去のことを回想して話していることが多いそうだ。自分の記憶をたどり、思い出し、言葉にすることで、認知症への予防になる効果も期待でき、「回想療法」と呼ばれている。

植物を育てることが回想へとつながる理由については、いくつかの文献を探ってみると、作業や道具、材料が生活に密着したものが多く、暮らしや文化を再認識させる、とあった。

 

では、「回想の機会」が得られることは、都市の暮らしにおいてどんな価値を生み出すだろうか?

都市にはサービスやモノ、仕事、情報が多く集まる。この環境は大変魅力的な一方で、日々忙殺されることも少なくない。そうすると、自分がかつてなりたかった自分や大切にしていた考え方、記憶などを思い出す機会が少なくなる。そうした中、植物を育てることで過去のことを回想し、本来の暮らしのリズムや思考を整えることができるかもしれない。こうして、都市における暮らしを豊かにできるのではないだろうか。

 

さらに、植物は一定期間育てることによって、「自身の記録」になるという側面もある。

本田さんはこのように話す。

「植物は手入れした分だけしっかりと育ちます。自分が行ってきたことと、目の前の元気な植物の様子はつながっています。植物を育てることは、こうした少し長い時間軸での自身の記録といえるかもしれません」

私の場合、昨夏職場の同僚からもらったかぼちゃのことを思い出す。途中まで順調に育てることができ、小さい実もポツポツつき始めていた。そんな矢先、日照りと暑さが続く高温の中で水やりを一日忘れたことで見事に枯らしてしまった。悔しさのあまり、その後しばらくはカンカン照りの日が来るたびにかぼちゃのことを思い出していたし、今でも鮮明に思い出せる。私の夏は、枯れたかぼちゃとともにあるようだ。

枯れてスカスカになったカボチャの苗

 

これは極端な例としても、どのように手を入れたかで育ち方が変わってくる。「花が咲いた」「実った」「枯れた」という植物の変化は、「育てる」という主体的な関わり方をするからこそ、自分自身への「反応」と感じることができ、「自身の記録」となっていくのではないだろうか。

「自身の記録」が少しずつ蓄積されていくことで、植物への「愛着」が芽生えていく。その愛着はしだいに、育てている場所への愛着にもつながっていくと思う。私は職場の仕事机でアボカドを育てており、出勤してアボカドの様子を見て水やりをするのが毎朝の楽しみになっている。この愛着が、たとえ少し憂鬱な仕事を抱えている日でも、仕事机を少し楽しい場所に変えてくれている。都市の生活の中に「愛着」を抱く対象が生まれることは、日々の時間が楽しくなることを意味するのではないだろうか。

 

園芸が、人と人の間に生み出す価値

ここまでは、都市において植物を育てる価値として、植物と人の一対一の関係を見てきた。では、植物を育てる場において人と人の関係にはどのような変化が生まれるのだろうか。

本田さんは、園芸療法の効果としてコミュニティづくりを促す事例も紹介してくれた。内に閉じてしまいがちな精神疾患の患者向けのプログラムだ。

このプログラムでは、最初からいきなり患者の方に植物を育てる作業をやってもらうことはしない。まずはその人が畑に来られるように、みんなで見守る。すると、最初は園芸作業を遠くから見ているだけだった患者が、時間が経つにつれ、「今は何をやっているのですか?」、「この作業、少しやってみてもいいですか?」といった具合に少しずつ参加してくれるようになる。ときには、通りがかりの方がコミュニティに加わることもあるという。

園芸療法の一場面。みんなで協力しながら黙々と作業を進めている

 

本田さんはその様子を楽しそうに話してくれた。

「おもしろいのは、通りがかりの方が声をかけてくれたり参加したりしてくれて、いつのまにか人の輪が広がっていくことです。植物を育てる場、というのは、コミュニケーションが生まれやすい場なのかもしれませんね」

閉鎖的な狭い空間の中で植物を育てるのは難しいため、おのずとオープンな場で、他の人に見える形で手入れが行われることが多い。黙々と楽しそうに愛着のある植物に手入れする姿は人を引き付けるように思う。さらに、難しい作業だけではないので、部分的に作業を分担することができる。こうして植物を育てることからコミュニケーションが生まれ、その延長として今までは繋がりが無かった人とのコミュニティが生まれるかもしれない。実際、私も職場で、先ほどのアボカドがきっかけとなってふだんはあまり話さない人と会話が生まれたことが何度もある。

仕事机のアボカド。「この植物はなに?」とよく聞かれるので、植物名の札も一緒に置いてある

 

都市にはたくさんの人が集まるのに、何の関係も生まれずにすれ違っていく人が本当に多いと、九州の田舎出身の私はよく思うことがある。植物を育てることは、都市の人たちのコミュニケーションのきっかけとしても、機能するのではないだろうか。

 

「育てる」という行為の価値

植物を育てることは、回想、記録の促進や愛着の醸成によって、個人を温かい気持ちにしたり、人と人のコミュニケーションのきっかけになったりする。そこには、「主体的、長期的に関わる」「反応が得られる」「その時間を他者と共有できる」などの“育てる”という行為に紐づく要素があるのではないだろうか。

同じ要素は「子育て」や「ペット」、あるいは「シミュレーションゲーム」のようなものでも得られるかもしれない。ただ植物はその中でも、適度な「気軽さ」と「リアル」を両立していて、都市の暮らしで「育てる」価値を実感しやすいと思うのだ。

ぜひ、捨てそうな手元のプラスチックカップに土を入れて、植物を“育てる”楽しさを味わってほしいし、そんな場面が都市の中にたくさんあると良いと思う。

(了)
<文、写真:綾塚 達郎>

 

「都市を科学する」は、横浜市の建築設計事務所「オンデザイン」内にある「アーバン・サイエンス・ラボ」によるWeb連載記事です。テーマごとに、事例を集め、意味付け、体系化、見える化していきます。「科学」は「さぐる・分かる」こと。それが都市の未来を「つくる」こと、つまり「工学」につながり、また新たな「さぐる」対象となる。 そんな「科学」と「工学」のような関係を、思い描いています。
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「植物編」では、「都市に植物が必要な理由は何だろうか?」という問いを立て、著者自身が実際に見て、聴いて、体験しながら、都市における植物が人にとってどんな価値を持っているのか考察していきます。
「都市を科学する〜植物編〜」記事一覧