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植物×都市
#05(完)
都市の日常で
植物を再認識する

これまでの連載では、植物がある環境に赴き私自身の変化を見ることで、都市における植物の価値について考えてきた。こうした価値はわざわざ出かけなくても身近なところで得られないだろうか?私の日常を振り返りながら、考えてみた。

 

植物が都市空間を生き生きとさせていたことに気づきました。

 

 

日常的な都市生活の場面 通勤路

私は、職場までの通勤路が好きだ。

場所は人工的につくられた埋立地、お台場。高いビルや大きなショッピングモールが点在し、広い道路や駐車場に囲まれ、整然とした区画整理が行われた都会の景色だ。その中に、街路樹や花壇、芝生がいたるところに配置されている。よく見ると雑草もさまざまな種類のものが生えている。生えている植物は四季に合わせて変化し、また、管理者が四季に合わせて草花を植え変えてもいる。

私がこの通勤路が好きな理由を3つ紹介したい。

通勤路のようす

 

創造性を刺激してくれる

1つ目は、道沿いに生えている、または植えられている植物の観察ができることだ。通勤路の植物観察では小さな発見がたくさんある。この発見を積み重ねる中で、たとえ少し眠い時でも頭がじょじょに冴えてくる。たとえばある日、花がほぼ地面すれすれに咲いた背丈の低いタンポポを見つけたことがあった。草刈りが丁寧に行われている芝生では、背丈が高いものはたちまち刈られてしまう。なるほど、このタンポポは芝刈り機を回避し生き残ったタンポポなのだ。私は科学館で働いていて、こうした話が植物の遺伝子や生態学などの学問の話につながり、イベント案の設計や記事執筆のアイデアにつながり、その日の仕事で良いスタートを切れる。

植物×都市の連載の#2では、以下のようなまとめを行った。

必然性や意図がないことによる予想外な気づきに対して五感が刺激されたり、ふだんは思い出さない記憶をふと思い出したりすることで、新しい創造を行えるようになる、ということもあるかもしれない。

植物×都市#02植物の価値を検証してみた

#2では、高尾山でたくさんの植物に囲まれたときの自分の変化を追った。都会の景色と高尾山では状況が違うが、植物が予想外の気づきを促す、という点では似ていると思う。植物は私にとって意外な一面をたくさん見せてくれる。この意外な一面の発見が別の知識や記憶を思い起こさせ、仕事のアイデアを閃かせてくれる。そして、職場に着いた頃には今日も一日がんばれそうな気がしてきているのだ。植物は日ごとに形を変えるので、この小さな発見は毎日続く。

 

通勤が快適

2つ目は、この通勤路は街路樹が植えられていて涼しいことだ。暑い夏の日差しを防ぐ木陰がありがたい。さらに、風がふけばサラサラと音が鳴り、気分も少し涼しくなる。ミストシャワーが付いた屋根を延々と作った道よりも、街路樹がたくさん植えられた木陰の道のほうが私は好きだ。

#4の中で紹介した代々木公園における植物の役割について、私は以下のように考えた。

代々木公園の植物は、その構造によって人の活動を生かす役割を持っていたように思えた。例えば公園内に植えられている木は、公園と一般道を隔てるための壁であり、涼しさをつくる木陰であるといった具合に目的がはっきりしているように感じた。

植物×都市#04都市に異世界を実装する価値

都会にも少なからずある不便さを、植物は構造物として解消する特徴を持っていると思う。

 

異世界を想像できるのが楽しい

3つ目は、植物がうまく植えられていることで、想像をふくらませることができ、通勤の楽しみが多いことだ。春先には道中の花壇にチューリップが毎年植えられる。私にとってチューリップは、小さい頃、学校の授業の一環でよくわからないながらに一生懸命育てた記憶がセットになっている。そのためか、チューリップ畑を見るとつい、元気な子どもたちがチューリップを植えて育てている景色が見えるような気がしてくるのだ。実際には、私の職場のスタッフ含め、その区域の大人たちが奉仕活動として一生懸命植えている。このエピソードを聞いたとき、イメージとのギャップに思わず笑ってしまったことも覚えている。

#4では、植物は都市に異世界を想起させるツールとなるのではないか、と考察した。小石川後楽園で感じた異世界感について、以下のように書いた。

小石川後楽園は「自然的な異世界」だったのではないかと考えた。都市の中でありつつも、「ここはどこ?」と言いたくなるような、都市とは違う場所だった。推測するに、この異世界を都市に実装する役割を植物が担っている。

植物×都市#04都市に異世界を実装する価値

私の通勤路でも、植物がきっかけとなって想像が膨らみ、ちょっとした異世界が脳内で実装されていると思うのだ。

 

日常的な都市生活の場面 自宅の庭

さて、ここまでは都市の中の身近な植物の価値を受け身的に得る様子について書いてきたが、最後に能動的に植物を育てることで生まれる愛着についても述べておきたい。

私は家の前の小さな庭に、ダイコンをはじめとしたいろんな植物を植えている。

ダイコンには菜の花のような形をした白い花が咲く

 

たとえばダイコンをよく観察していると、モンシロチョウが卵を産み付けにきて、その幼虫をねらってカナヘビが住み着き、アブラムシを狙ってテントウムシが元気に這っている。

 

植物への能動的な関りが、その土地への愛着へつながる

もともと何も植わっていなかった庭だが、私がダイコンを植えたことからこの生態系は始まった。私はダイコンを育てることで、小さな新しい世界を作ったことに感動を覚えた。そして、この小さな新しい世界を観察することが私の楽しみになった。休日、時間があるとぼーっと眺めていることも多い。この空間は私にとって大切な場所になった。この空間に愛着がわいたと言えると思う。

このように、植物を育てることはその植物だけでなく、その空間に愛着をもたせることにつながると思う。#3では、以下のように考察した。

植物を育てることは、回想、記録の促進や愛着の醸成によって、個人を温かい気持ちにしたり、人と人のコミュニケーションのきっかけになったりする。そこには、「主体的、長期的に関わる」「反応が得られる」「その時間を他者と共有できる」などの“育てる”という行為に紐づく要素があるのではないだろうか。

植物×都市#03都市で植物を“育てる”価値

このダイコン畑の話は友人との会話での鉄板ネタとなっている。私がただ自慢したいだけ、という面もあるが、おおむね友人も楽しそうに聞いてくれる。その意味で、コミュニケーションのきっかけにもなっていると言えるだろう。

 

日常的な都市生活の中で植物の価値を再認識した

今回、都市の日常的な生活の場面で植物の価値をたくさん見つけることが出来た。高尾山や小石川後楽園、代々木公園のような少し遠い場所に出かけるよりも手軽に植物の価値を得られる。特に植物が好きな私にとってはとてもありがたいことだ。

もちろん、植物の価値を求めに離れた場所へ行くことにも意味があると思う。日常的な場所から時間をかけて離れていくことが、行った先の体験に特別感を出してくれるからだ。高尾山に行ったとき、電車から見える景色がどんどんと自然あふれる景色に変わっていった。その変化に合わせて、これから自分は植物を堪能するのだ、という気持ちが強くなっていったことを覚えている。植物に対して自分をより積極的にしてくれていた。もしかすると、普段はあまり深く考えていなかった植物の価値に気づかせてくれた理由の一つなのかもしれない。

ここで面白いなと思ったことがある。今回、通勤路のような日常的な風景に今まで考察してきた植物の価値を見つけた。しかし、今までずっと植物の価値を得ていなかったかというとそうではない。つまり、無意識のうちに得ていたものを今回言葉にすることで再認識したのだと思う。

このように考えると、都市における植物の価値は、植物が好きな私だけではなく、都市で暮らすもっと多くの人が受け取っている、と言えるのかもしれない。確かに、都市に植物がなくても私たちは十分生きていけると思う。だが、「都市に植物は必要か?」と尋ねて、「全くいらない」と即答する人には個人的には会ったことがない。

都市における植物の価値を単純明快な数値やデータに落とし込むのは難しい。また、頭の中でいろいろと考えてみてもしっくりくる答えをなかなか思いつけない。一方で、実は私たちはすでにその価値を得ていて、心のどこかでわかっているのではないだろうか。

 

植物×都市連載のまとめ-植物は、都市になぜ必要なのか?

植物がたくさん植えられた都市は魅力的だと私は思う。例えば、植物の多様な姿が発想力を刺激し人の活動の質を上げる。街路樹のような植物はその空間を快適にしてくれる。そこに生えている植物を好きになると、その土地も好きになれる。

植物が都市に必要な理由は、植物が都市をより生き生きとした空間にしてくれるからだと思う。

ただ、これはあくまで私が感じたことだ。ほかの人が私と同じように、実際に意識してやってみる、行ってみる、自分の変化を感じてみるというプロセスを試せば、別の価値を見つけられるかもしれない。そして、都市における植物をその人らしく楽しんでくれれば、この記事を書いた私としては仲間が増えていくようでとても嬉しく思う。

(了)

<文、写真:綾塚 達郎>

 

 

「都市を科学する」は、横浜市の建築設計事務所「オンデザイン」内にある「アーバン・サイエンス・ラボ」によるWeb連載記事です。テーマごとに、事例を集め、意味付け、体系化、見える化していきます。「科学」は「さぐる・分かる」こと。それが都市の未来を「つくる」こと、つまり「工学」につながり、また新たな「さぐる」対象となる。 そんな「科学」と「工学」のような関係を、思い描いています。
アーバン・サイエンス・ラボ記事一覧

「植物編」では、「都市に植物が必要な理由は何だろうか?」という問いを立て、著者自身が実際に見て、聴いて、体験しながら、都市における植物が人にとってどんな価値を持っているのか考察していきます。
「都市を科学する〜植物編〜」記事一覧