植物×都市
#04
都市に異世界を
実装する価値
都市に植物がある価値とは何だろうか。
この問を考察するための客観的なデータはなかなか見つからない。そこで、今回はとことん主観の観察に振り切ってみた。都市の中で植物があるところに行き、自分の気持ちや思考がどのような変化するのか観察することで、この問いに対する答えについて考えてみた。
都市の植物に囲まれた私はどのように変わる?
ルポルタージュ 都市の中の植物がある空間
今回選んだ場所は、小石川後楽園、代々木公園、赤坂インターシティAIRの3か所だ。この三か所は全て都市の中にありつつも多くの植物が植えられている場所だ。一方で、敷地内にある建物や敷地面積、植物の配置の仕方は異なっている。
まずは、それぞれの場所に行った時の自分の気持ちや思考の変化を書きだしてみた。
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①小石川後楽園
水道橋駅近く、ビルが並び立つ中に、小石川後楽園という庭園がひっそりある。敷地内には池や丘が整備され、木や草花などたくさんの植物が植えられている。庭園から遠くを見渡すと、木々の向こうにビルが見えた。
庭園の植物の様子から、人の手がしっかりと入って管理されていることがよくわかった。こうした人の気配から、「危険な場所は取り除かれているだろう」という安心感を覚えた。また、人にとって心地よいだけでなく、植えられている植物にとっても適した管理がされているおかげで、植物も健康的に育っていた。人にとっても植物にとっても無理がない空間にいる、と感じた。時間を忘れて、何も考えずにゆっくり歩きたいと思った。
のんびり歩いていると、ふと、仕事のことが頭に浮かんできた。さらに、仕事のことだけでなく、SNSで見た友人の投稿や自分の趣味のこと、将来のことなどが無秩序にぽろぽろと浮かんできた。こうした思考を続けていると、不思議なことに、仕事に関するアイデアを次々思いつくことができた。景色や植物を見ているのに、自分の思考錯誤に没頭していた。この感覚は、シャワーを浴びているときや湯船につかってぼーっとしているときの感覚に近いと思った。創造性を刺激されている、そんな感覚だった。
景色にビルも映るが、都市の中とは思えない落ち着いた空間だった
②代々木公園
賑わっている原宿駅前から歩いてすぐのところに代々木公園がある。大きな噴水や開放的な芝生の広場がある。多くの人がいて、運動をしたり、ペットを散歩させたり、のんびりお喋りしたりしていた。木や花はこうした人たちの活動を妨げない範囲でたくさん植えられていた。
公園の中を歩いていて気付いたことは、自分の意識が植物よりも公園の中にいる人々に向かっていたことだ。キャッチボールしていて楽しそう、その場から動こうとしない散歩中の犬は遊び足りないのだろうか、ケンカしているカップル仲直りすると良いなといった具合だ。
次に代々木公園に来るときは友人と一緒に行きたいと思った。誰かと過ごす時間を良くしてくれる、そんな場所だと感じた。
多くの人が思い思いに過ごしていた
③赤坂インターシティAIR
溜池山王駅直結で、高層ビルと5000㎡の庭園をもつ複合施設、赤坂インターシティAIRがある。地下鉄の改札を出てエスカレーターで地上へ登っていくと、途中で植栽や人工の滝がある。地上階に出ると、街路樹に囲まれた庭園がある。庭園から空を見渡すと、アメリカ大使館やその他のビルが近くに見えた。庭園の中央にはコンクリートブロックで作られた小さな人工の川があり、その両脇にたくさんの木々や園芸植物が植えられていた。
赤坂はあまり馴染みがない上に、高級感溢れる高層ビルの雰囲気にのまれて落ち着かないだろうと、現地に到着するまでは思っていた。ただ、いざ来てみると庭園の中は静かで、桜やツツジなど馴染みのある植物に囲まれて少しほっとしていた。慣れない場所のアウェー感が和らいでいたように思った。
ただ、そのような中にあっても長居したいとは思わなかった。木々の間からちらちらと見える歩道には忙しく働いている人が行きかっていた。何となく、のんびりしている自分が場違いな気がした。
都市と植物がある空間が調和していた
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小石川後楽園で感じたような創造性にあふれてくる感覚は私にとって貴重なものだった。この時期、仕事の企画アイデアが浮かばず悩んでいたからだ。予想以上にたくさんのアイデアが矢継ぎ早に浮かび助かった。小石川後楽園のような空間が身近にあれば、たとえばふとした仕事の合間の休憩などで創造性を刺激する時間を持てる。そして、植物がこのような空間をつくるのに一役買っているのだとすれば、これは都市における植物の価値と言えるかもしれない。
創造性を刺激する空間での植物の役割は?
さて、小石川後楽園において植物はどのような役割を果たしていたのだろうか。代々木公園や赤坂インターシティAIRにも植物はたくさんあった。それにもかかわらず、同じような感覚には至らなかった。そこで、この2つの場所の様子と小石川後楽園の様子を比べながら考えてみた。
代々木公園の植物は、その構造によって人の活動を生かす役割を持っていたように思えた。例えば公園内に植えられている木は、公園と一般道を隔てるための壁であり、涼しさをつくる木陰であるといった具合に目的がはっきりしているように感じた。木はたくさん植えられていたが、自然あるがままの姿を表現しているような”森“ではなかった。ただ、このように植物の特徴をわかりやすく使っていることが代々木公園における植物の価値かもしれない。その場所の使い方の説明書きが無くても、「ここはレジャーシートを敷いて弁当を食べるスペースとして使えそうだな」といったように、その場所でどのように過ごせるかが見えてきたからだ。
一方で、だからこそ私の思考を目的の方向に誘導してしまっていたのかもしれない。そうだとすれば、創造性を刺激するのとは少し違っていたことにも納得できた。
大きな木の間では涼みながらお昼ご飯を食べられそうだ
赤坂インターシティAIRの植物は、植物に対する私の記憶を引き出すことで、その場所を馴染みのある場所に変える役割を持っていたように思えた。例えるならば、慣れない海外旅行初日に日本のラーメンチェーン店を見つけて少しほっとしたときの気分に近いと思う。長居できなかったものの、今まで一度も行ったことがなく緊張しそうな場所で一息つくことができた。これは、私にとって身近な植物が植えられていたおかげかもしれない。
ただ、自分の記憶に誘導された上に、隣接する歩道やその他のビルと明確に区切られておらず、自分の考えに集中できなかった。創造性を刺激する、という点においては私にとって物足りなさが残った。
桜やツツジなど身近な植物がふんだんに使われている
以上2つの場所に比べると、小石川後楽園は「自然的な異世界」だったのではないかと考えた。都市の中でありつつも、「ここはどこ?」と言いたくなるような、都市とは違う場所だった。推測するに、この異世界を都市に実装する役割を植物が担っている。そこに人の手がちょうどよく加わり安心感が出ていたことで、自分の考えに没頭でき、創造性豊かな時間を過ごすことができたのではないだろうか。
都市の中の異世界で、ふだんとは違う思考を回す
植物は都市に異世界を実装するツール
小石川後楽園の公式WEBサイトには、「各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。」と書いてある。自然豊かな別景色の実装に植物を使うことができるのだろう。もしそうだとすれば、都市に異世界を実装する役割をもつ植物は、そこに何かしらの方法で安心感が加わることによって、創造性を高める場づくりに役立つことができる。これが都市における植物の価値と言えるのかもしれない。
今回の記事での考察は主観にもとづいており、普遍性が高いとはいえない。ただ、都市に異世界を実装する植物は応用例もある。例えば、ディズニーランドは各ゾーンの雰囲気をつくるために、造園の技術を多く取り入れているそうだ。植物が都市に異世界を実装する役割を持つという考察は、私にとって大きな納得感があるもので、都市における植物の価値について考える際、大切な一つの観点としてこれからも取り入れていきたい。
(了)
<文、写真:綾塚 達郎>
「都市を科学する」は、横浜市の建築設計事務所「オンデザイン」内にある「アーバン・サイエンス・ラボ」によるWeb連載記事です。テーマごとに、事例を集め、意味付け、体系化、見える化していきます。「科学」は「さぐる・分かる」こと。それが都市の未来を「つくる」こと、つまり「工学」につながり、また新たな「さぐる」対象となる。 そんな「科学」と「工学」のような関係を、思い描いています。
アーバン・サイエンス・ラボ記事一覧
「植物編」では、「都市に植物が必要な理由は何だろうか?」という問いを立て、著者自身が実際に見て、聴いて、体験しながら、都市における植物が人にとってどんな価値を持っているのか考察していきます。
「都市を科学する〜植物編〜」記事一覧