植物×都市
#02
植物の価値を
検証してみた
都市に植物が必要なのはなぜだろうか?
植物があることで人にどのような効果があるのだろうか?
今回は植物がたくさんある場所に行く前後で、自分にどのような変化があるのか実験してみた。
自然の“予想外さ”が創造性に?
植物といっしょに過ごすと創造力が豊かになる?
植物の効果を測るにはどのような方法があるだろうか。創造力を測る方法のひとつにRemote Associates Tasks(遠隔連想課題:以下、RATと記す)という方法がある。関係のなさそうな3つの単語に対して意味がとおる単語を答える問題だ。たとえば、“Pure”,“Blue”,“Fall”という3つの単語に対して、”Water“という単語を答える、という具合である。
ある研究によると、デザインを専攻する学生の創造性の成績が、このRATの成績に関係していたらしい。一見すると関連がなさそうなことから新しいアイデアを思いつく、という意味合いの創造性を測れるそうだ。そして、自然の中で過ごすことがこうした創造性を豊かにする、という報告がある。
自分の英語力が影響しないよう、使い慣れた母国語であることが望ましいと考えた。実は、このRATには日本語版がある。漢字二字熟語の穴埋め問題が使えるのではないか、という研究があったのだ。
そこで今回、この漢字二字熟語穴埋め問題をつかって植物と接する効果について実験してみた。舞台は、東京近郊のオアシス、高尾山だ。
検証方法はシンプルで、ある程度長いあいだ植物に囲まれてすごす前と後で、二字熟語穴埋め問題を5問解く時間にどれくらい差が出たか測定した。30秒ほど考えてどうしてもわからなかったらパスもOKとする代わりに、パスしたことも記録することにした。二字熟語穴埋め問題はインターネット上のものを利用した。
実験結果
まず、高尾山に行く途中の電車の中で問題を解くことにした。いい感じに自然が少ない都会感が出ている。
1回目。
1分35秒で5問完答。すぐに解けた。問題が簡単だったのだろうか。これ以上早く解ける気がしない。
2回目。
4分46秒。ぜんぜん解けなかった。2問パスした。むきになって考えているうちに30秒パスルールを忘れてしまっていた。
3回目。
2分25秒。1問パスした。3回目で疲れを感じ始めた。
次に、高尾山登山を楽しんだのち、登山道入り口に戻ってきてすぐに問題を解いてみた。
1回目。
1分15秒。すごい!早い!これは自然の中で過ごした効果があったのだろうか!?
2回目。
2分8秒。1問パス。そうでもない…?
3回目。
2分4秒。1問パス。これまた、どっちとも言えない結果。
今回の検証について、結論から言うと正直効果があったのかはわからなかった。何よりも、各回の完答率や合計時間のばらつきが大きい。念のため、高尾山登山以外の状況でも、例えば緑豊かな屋外でバーベキューをした、などの機会があれば同じ方法で検証してみた。確かに、自然の中で過ごすことで何となく頭がスッキリして、何かアイデアが浮かんでくるような気はする。だが、やはり結果は同じで数字としてははっきりわからなかった。
考察
まず、今回の実験はバラつきが多い、というのは考えておかなければならない。たとえば、他の人がやればもっと大きな効果が出ていたかもしれない、とか、その日の体調や環境によって変わる、とかである。また、漢字の得意不得意でうまく測れていなかっただけかもしれない。さらに、高尾山は都会ではない。したがって、高尾山での検証結果をそのまま都心に当てはめるのは難しいかもしれない。
そのうえで、効果の可能性について議論してみたい。あらためて高尾山を散策していて感じたことは、自然には予測不能な気づきがたくさんある、ということである。「よく見ると野イチゴがいっぱい生えてる!食べたらおいしいだろうか」とか、「カミキリムシがいる!子どものころはよく見ていたけれど、そういわれれば最近見なくなったなぁ」とか。そうすると、しだいに五感を研ぎ澄ませて周りの環境を観察したり、ふだんの生活では思い起こさなかった記憶をふと思い出したりするようになる。
余談だが、高尾山は「六根清浄」といって、ふだんの生活で汚れがたまった五感を正常に戻してくれる、というパワースポットでもある。ちなみに、「六根清浄(ろっこんせいじょう)」は「どっこいしょ」の語源にもなっているらしい。ふむ、ふだん使っている言葉の語源を探るのもなかなか面白いかもしれない。
ここまでの話をまとめると、自然には“わかりやすい必然性や意図が無い”ように思えるのだ。なぜそこに、この植物が生えているのか?なぜここに、突然こんなに大きな木が生えているのか?こうした予想外が溢れているのである。この予想外がふだんはあまり使わない五感をフル活用してみたり、自分の中の奥のほうにしまってあった記憶をふと取り出してみたりと、いかにも創造の素になりそうな心身の活動を促すのではないだろうか。
ここで対照的に、都内の人工物について考えてみたい。それらの存在にはたいてい明確な必然性や意図がある。ここに急に広告物があるのは意外と人が通るからだな、とか、大きい家の真ん中に吹き抜けがあるのは通気をよくするためなんだな、とかである。しかも、ある一定期間変わらずにそこにある。(逆に、行き止まりの曲がりくねったトンネルや日によって場所が動くビルなどがあったら大変だ。)こうした人工物にたくさん囲まれた環境で日々同じルーティーンで生活することに慣れてしまえば、五感などあまり研ぎ澄まさなくても目的の場所にたどり着いてしまう。
以上のように、必然性や意図という部分を抜き出して考えてみると、自然は創造性を高める効果があるのかもしれない。しかし、そうなると一本の街路樹のように、あまり代わり映えしない小規模な自然の場合は創造性を高める効果がないのだろうか。今回の考察については、あくまでも高尾山の自然の効果、という前提を強く意識しなくてはならないようだ。
まとめ
植物と接する効果、今回は特に、比較的大規模な自然のなかで過ごす効果について見てきた。必然性や意図がないことによる予想外な気づきに対して五感が刺激されたり、ふだんは思い出さない記憶をふと思い出したりすることで、新しい創造を行えるようになる、ということもあるかもしれない。そう考えると、都市の設計としても、アクセスしやすい場所に規模の大きな自然を取り入れる、ということや、都市の構造物に対しても安全な範囲で予想外なランダム性を取り入れることで、都会で過ごす人たちの創造性を高めることにつなげられるかもしれない。
今回は植物と接することで得られる効果、ということで、都会の条件とは少し離れた場所かつ規模の大きい自然の中での効果について検証、考察を行った。次はもっと都会の中にある自然や、その自然の規模に注目して検証してみたい。
次回以降も乞うご期待!
(了)
<文、写真:綾塚 達郎>
「都市を科学する」は、横浜市の建築設計事務所「オンデザイン」内にある「アーバン・サイエンス・ラボ」によるWeb連載記事です。テーマごとに、事例を集め、意味付け、体系化、見える化していきます。「科学」は「さぐる・分かる」こと。それが都市の未来を「つくる」こと、つまり「工学」につながり、また新たな「さぐる」対象となる。 そんな「科学」と「工学」のような関係を、思い描いています。
アーバン・サイエンス・ラボ記事一覧
「植物編」では、「都市に植物が必要な理由は何だろうか?」という問いを立て、著者自身が実際に見て、聴いて、体験しながら、都市における植物が人にとってどんな価値を持っているのか考察していきます。
「都市を科学する〜植物編〜」記事一覧