update

リスタートの流儀
#02
オンライン化で
加速する地方創生

text:satoshi miyashita 

前回に引き続き、今年3月にUDS社長を退任された中川敬文さんとのオンライン版ケンチクウンチクをお届けします。中川さんは、現在、宮崎県の都農町という小さな町に拠点を移し活動中。コロナ禍の今、地方の役割とは何か? また、建築家にとって必要な視点とは? いろいろ語っていただきました。

@都農町(宮崎県) ⇄ 関内(神奈川県)
 

今回のケンチクウンチクは、初のリモート対談

 
移住後のライフスタイル

西田 移住された都農町では、コロナショックの影響はありましたか?

中川 それが、あまりなかったですね。ここは宮崎市から1時間ぐらいの町なので、コロナウイルスの感染者はまだ出ていませんし、もちろん自粛ムードはありましたけど、もともと対人距離もそこそこあって、町自体がソーシャルディスタンスな感じなので(笑)。

西田 (笑)。

中川 毎日見たような顔としか会ってないわけで、そういう意味では穏やかな町なんです。

西田 ライフスタイルはどうですか。時間の使い方とかで変化を実感されたりはしましたか?

中川 そうですね。それは劇的に変わったと感じています。今は自宅から徒歩5分くらいのところにあるコワーキングスペースを借りて、そこで19時まで仕事をしています。帰り道には、この町に1軒か2軒しかないスーパーで買い物をし、帰ったら晩飯の支度をして夕食。20時半か21時ぐらいになると、ちょっとパソコンをいじりながら本を読んだりして、仕事だか遊びだか分からない時間を過ごしています。夜はまわりに出掛ける場所がないから、腹筋でもして寝るみたいな(笑)。
 週末は、海が大好きなので、車で5分くらいの誰もいない海岸へ行って、そこで本を読むのが楽しみですね。

西田 なんか、いいっすねぇ。

中川 ひとりでいろいろ考えながら暮らしている感じです。さすがに900人、1000人の会社を経営していた時代と比較すれば、自分のことを考える時間は増えます。やっぱりそれがいちばん大きな変化ですかね。

自宅近くの海岸で週末の余暇を過ごしている中川さん

 
仕事はノージャンル

中川 僕は以前の仕事で新潟の上越に家族と移住し、そこで子どもを生み育てました。だから、コンサル的な立ち位置の人が「まちづくり」に関わること自体の限界を感じています。もちろんよそ者の良さもありますけど、やっぱり圧倒的に住んでみなきゃ分かんないことのほうが多いですから。

西田 そこは大事なポイントですね。

中川 あと首長さんとつねに至近距離にいるっていうことも。都農町で言えば、僕は町長の部下でもないし、従属関係もありません。ただ自分の強みは経営だから、町全体を俯瞰できる立場にいることが大事で、そうしないと自分を生かせないだろうと思っています。今、僕が取り組もうとしているジャンルは全部、都農町につながっていて、すごく頭の中がクリアな状態です。やらなきゃいけないことは、財政的なことも福祉のこともコワーキングも、「まちづくり」として全部一緒に考えなきゃいけない。

西田 コワーキングをコワーキングだけで成り立たせるのでなくて、都農町全体の循環の中で、福祉のことも一緒にどうあるべきかを考えようと。

中川 はい。もともとは「町のグランドデザインを考える」ってテーマで去年からやっていたことですけど、今年は都農町が誕生して100周年なので、「これからの100年を考えよう」と、町民500人ぐらいでワークショップの企画もしていました。でも結局、コロナの影響でできなくなり……。
 今はこういう時期なので、農業生産者の支援活動の一環として、オンラインでポケットマルシェを開催したり、AIの開発に携わるUDSのOBと農業者を連携させてみたり……。最近では「都農町らしいスマートシティー」として「デジタル・フレンドリー宣言」を町長に提案したりしてます。なんだかUDSにいた頃よりもノージャンルで関わっていますね。

西田 本当に多ジャンルですよね。

中川 UDSのおかげで建築を中心とする仕事ばかりしてきて、さらに運営もやっていたので、ジャンルは広いけど、結構「奥行き」もありましたね(笑)。

 

オンライン化で変わる暮らし

中川 コロナによる自粛期間中、町役場のネットワークすべてが情報管理の関係でクローズになりました。なので役人たちは役場に行かないと仕事ができず、結果的に彼らが一番、テレワークに対応できていない人たちになっていたんです。
 僕はそれを見て、まず最初に町役場からオンライン化をするべきだと思いました。彼らからしてみたら、ある種、これまでのアイデンティティーを自己否定されるようで、「自分の仕事、いったんなくします」みたいな話ですけど(笑)。でも、これって建築業界の人たちにも無関係な話ではないはずですよね。

西田 そうですね。例えば、これまでオンラインの場づくりとオフラインの場づくりって違うものだと思っていたのに、こうなってはじめて、「じつは一緒なのかも!」って気付かされるというか、示唆されている感じがしますね。

中川 都農町にはスマホ自体をまだ使えていない人もいるので、いきなり「zoom」って言われても、みんなやったことがない。でも、アフターコロナでは、もう元の社会には戻らないというのがひとつの定説だと思うので、これからは公民館でもzoom の役割が重要かなって、個人的には思っています。

西田 zoomの画面が、壁一面にあって……。お年寄りもそこに行ったら、東京に住むお孫さんと話せるみたいな。

中川 そうですね。公民館を「zoom」という名称にしようかな(笑)。でも、それが未来なんじゃないかって思うんです。そういう意味では、これまで以上に、建築とソフトとシステムがガッチャンコできればいいのかもしれません。
 「テレワーク」に関するアンケートなんかを見ていると、ネックになるのは「寂しさ」なんですよね。だから公共の場は絶対に必要だし、今後は「ソーシャルディスタンスの対策付き」みたいなことが重要になっていくはずです。そう考えると、かつて僕らも銀座でコワーキングのオフィス事業をやっていましたけど、今、あの高い賃料をソーシャルディスタンスでやっていたら、すぐに潰れます。つまりそういう文脈でも必ず地方が見直されていくだろうし、都農町民としても、今が千載一遇のチャンスっていうふうに考えています。

西田 こういう時だからこそ、ですね。

中川 じつは国から、ホテル・飲食業の離職者・失業者を、田舎の農業人材にマッチングする方針も出ていて、そこに対して宿泊費・飲食費の助成金が出るそうです。先日の役場の対策会議でも、今後はその受け皿としてちょっといい宿泊施設をつくる話もありました。

西田 今後は、たんに都会から農業をやりに行くだけじゃなくて、例えば、そこにはコワーキングスペースもあって、「ここなら半農半X的なことができますよ」みたいなほうが、地方へ行く側も気持ちが楽ですよね。

中川 そうですね。地方を意識する人が今までは一部の人だけだったのが、これからは建築家もそうですし、クリエイターの方々もより一層、地方に活躍の場を広げられるのではないか。今後、ますます東京での仕事がなくなるっていう前提で考えると、死活問題として地方にも取り組んでいくみたいな話はあり得るかなと思っています。

西田 今、オンデザインに40人ぐらいのスタッフがいますが、例えばその半分ぐらいは東京が好きだったり、横浜が好きな人で、残りが「地方で役立つための仕事をやります!」みたいなほうが、いい意味でシンクロしそうですね。

中川 そのほうがモチベーションがあがると思います。「有り難がられる」とか「褒められる」よりも、やっぱり「お役立ち感」のモチベーションは半端ないですから。

西田 そっちのほうがライフワークっていうか、生き方に直接つながっている感じがしますよね。

中川 今、僕が使っているコワーキングスペースの建物は、ある方が資金を引っ張ってきてくれて、今年5月にたまたま奇跡的につくることができたんです。とにかく都農町ではリノベーション工事が珍しかったのか、沿道を走っている車もゆっくりとこちらを見ながら通り過ぎて行くんです(笑)。

コワーキングスペース「YARD1927」は、もともと歯科医院だった昭和2年築の建物を改修して生まれた

西田 それくらい珍しかったんですね。

中川 町中で「どこで働いているの?」って聞かれると、「最近、工事したところですよ」って言えば、「あー、あそこね!」って(笑)。でも、僕としては、これって少し風穴を開けた感触があるんです。「ひとつの建物で、町を一変させること」が可能なんじゃないかって、本気でそう思わせてくれたというか。これこそ、本来、建築がもっている魅力というか価値ってこういうことなのかなって。

西田 すごく分かります。

中川 これまでみたいに、あまり「地方」対「東京」みたいに肩肘張らず、これからは移住でも2拠点でもいい。そういう意味でも「地方創生」はどんどん加速するんじゃないかなって気がします。

西田 東京と宮崎って今の技術であれば距離感はあまり関係ないですからね。こういう時代感を捉えて、中川さんが動きはじめているのが本当に面白いと思います。

中川 たまたまですけどね(笑)。適当って、よく言われるんで。

西田 でもそういうノリというか、緩さみたいなのが、東京だとあまりないじゃないですか。遊びというか余白というか。「こんな感じかな」ぐらいのことをはじめようと思うと、「KPI(重要業績評価指標)どうなの?」って言われたらもうできない。

中川 そうですね。この間も、都農町である会社経営のお手伝いをはじめて、そこの社長さんから「なんで、そんなペテン師みたいなことが言えるの?」と、10回ぐらい「ペテン褒め」してもらいました(笑)。でも、やっぱり夢やビジョンとか、青臭いことを堂々と言語化してくのは大事だし、こういう時期だからこそ余計にそう思います。

 

今、建築家が持つべき視点

西田 最後にお聞きしたいのですが、これからの建築とか都市について、「こう考えていったらいいよね」っていう中川さんからの提案みたいなものがあれば。

中川 う〜ん、表現の順番間違えると誤解されるかもしれないけど、昨年デンマークに行って、ヤン・ゲールさんのオフィスに伺った時に、自分の中ですごく整理がされたことがありました。
 それは、まず人の行動があるべきで、その次に町並みがあって、最後が建物だっていうこと。彼らは、ライフ、スペース、ビルディングっていう区分をしていたけど、それがイラストになって分かりやすく表現されていたんです。
 UDSっていう会社は、そもそも建築設計の会社だから当たり前だけど建築をやらないと仕事にならないわけです。「建築をどう町に開いていくか」っていう意味での「まちづくり」がUDSのやり方。なので、きっかけは全部、建物から入ります。たまに住民とワークショップとかをやっていたけど、それは微々たる仕事で原則は建物から。

デンマークの建築家ヤン・ゲールのオフィス(ゲール・アーキテクツ)にて

 でもヤン・ゲールさんが言っていたことって、本当はそこの住民がどういう行動を起こしたいかが先で、その結果、公園はこうあるべき、デザインはこうあるべき、そして建物が……っていうことですよね。これは僕が長年UDSで抱いていたギャップでもあるんだけど、そっちの順番でやりたかったから、都農町に来たっていうのも、会社を辞めた理由のひとつにはあったんです。

西田 それは、すごく分かりますね。

中川 これまでは、建築でお金をもらっている以上は、なくなっちゃうと困るから、やっぱりそこでは建物の必然性を説くじゃないですか。でも、町民目線からしたら、「そんな建物、要らねえから、公園に芝を張ってくれ」みたいな話も、まちづくりの文脈ではあるはずです。だからここに来てから、実際、予定していた建物を止めようなんて話も出てきています。

西田 さっきのオンラインの公民館とかも、そうですよね。

中川 そうそう。行動のアクティビティーとランドスケープとビルディングが、やっぱりそれぞれ、UDS時代の企画・設計・運営みたいな感じで、一体になってかなきゃいけない気がしています。

西田 なるほど。

中川 だから建築系の人は、よりランドスケープにも、あるいはアクティビティーにも踏み込んでいくべきだと思います。また、アクティビティーや住民のワークショップを提案する人は、もっと建築を理解しなきゃいけない。都農町でも、ヤン・ゲールさんを見習って、行動と空間と建物の関係が、もうちょっと包括的になるといいと思っています。

西田 かつ、それがちゃんと水平展開っていうか、上下関係じゃないってことですよね。

中川 そうです。クリストファー・アレグザンダーが提唱したパタン・ランゲージ(『パタン・ランゲージ』/鹿島出版会刊)が、僕は好きだけど、やっぱり小さな町に行けば行くほど、建物はお上が建てるものだと思っている町民が多いように感じます。使いにくいけど言っちゃいけないんだ、と。「ここは病院よりも公民館のほうがいいんじゃん」「いや、やっぱ学校だよ」というように、これからは用途をまたぐ考え方も必要です。その辺りが、今後、建築をやっていく方々にすごく問われるんじゃないですか。
 「じゃあ設計料はどこでとるんですか」という課金の話は別にして、過疎化する人口1万人規模の小さな町で、ふるさと納税による自主財源はあっても、それを建物に投資すべきか、ITに投資すべきか、ベーシックインカムのように町民に給付すべきか、同じお金をどう配分するのか、すべてリソースの配分です。そのような経営者的な観点を建築家も持つようになればいいんじゃないかと思っています。

西田 それは経営とまでは言わないけど、その都市の限られた財源の中で、建築にはこう分配されて、こういうプロフェッションがあるけど、他の教育とかITとかにもあるんだよっていうことを理解して、行政とやりとりすべきだっていうことですか?

中川 はい。要はパブリックと言えばパブリックなんですけど、民間のクライアントに「ホテルをつくってくれ」って言われた場合は、これって当てはまりません。

西田 そうですね。

中川 よく言われているように、まちづくりっていう点においては、財源はべつに行政のものじゃないわけです。民間の事業者も住民も含めて考えるのがパブリックだとすると、やっぱり設計者たる者、もっとパブリックな考え方をしなきゃいけない。あと行政側の問題では、昔からのリーダーの力関係で予算の配分が決まってしまうとか。

西田 課長みたいな人のところに……。

中川 そう。そういう、みんながちっちゃい利害で向き合っているとストレスになるかなと。だからこそ設計に関わる人が行政の予算配分のところまでも知っているのはいいことだと思います。西田さんもそうですが、今、まちづくりで活躍されている建築家の方って、みんなそういうスタンスですよね。

西田 そうかもしれないですね。

中川 都農町では「僕は、みんなさんの下請けです」って言っています。町長の下請けもやり、保健福祉課の下請けもやります。そのぐらいが、すごく心地いい。
 最近「まちづくり2.0」とかって言われるじゃないですか? 3.11の時に、東北大の先生たちが大忙しだったのと同じように、アフターコロナによって、まちづくりの根幹を変えなきゃいけない時期に、やっぱり建築家の動向がこれからますます問われると思います。

西田 そうですね。都市計画の人も建築家の人もお互いインタラクションされるといいですよね。(完)

 

profile
中川敬文 keibun nakagawa

イツノマ代表。1967年、東京都生まれ、関西学院大学社会学部卒業。1989年ポーラ入社。 1991年オーディーエス入社、93年家族で新潟県上越市に移住、「上越ウイングマーケットセンター」企画開発運営。 1999年都市デザインシステム(現UDS)入社、2011年社長、2020年退任して宮崎県都農町に移住、イツノマ設立。 UDSではキッザニア東京や神保町ブックセンターなどの空間プロデュース、地方自治体のまちづくりプロジェクトを手がけてきた。 著書(共著):『おもてなし・デザイン・パターン』(翔泳社)
BLOG :http://likework.blog.jp/

profile
西田 司 osamu nishida

オンデザインパートナーズ代表。1976年、神奈川県生まれ。横浜国立大学卒後、スピードスタジオ設立。2002年東京都立大大学院助手(-07年)。2004年オンデザインパートナーズ設立。2006年横浜国立大学大学院(Y-GSA)助手(-09年)。現在、東京理科大学准教授、明治大学特別招聘教授、大阪工業大学客員教授。近著に『オンデザインの実験 -人が集まる場の観察を続けて-』(TOTO出版)がある。