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まちのような寮とは?
#03
講堂にはない
学びを得る場

text; akihiro tani, photo; koichi torimura

 

「まちのような寮」は、学生寮のあり方に、どんな示唆をしているのでしょう? 2019年夏に竣工した神奈川大学国際学生寮を、大盛況だった内覧会の参加者の言葉から考える連載の第3回は、人が関わり合って暮らすことで生まれる学びの社会的な価値について整理します。

たくさんの人が集まった「まちのような寮」の内覧会(筆者撮影)

 

「自由な空間の使い方を学ぶ」
「学生寮は、何を提供すべきだろう」
「暮らしの中でこその学びがある」

 

自由な空間を「使う能力」が試され、養われる

第2回までの連載で、「まちのような」学生寮は使い手の自由で多様な営みを引き出し、その連なりが他者との絶妙な関係を生み出すとともに、自分自身を相対化する場になると考えられました。

千葉大学の国際教養学部准教授でコミュニティ・イノベーションオフィスにも携わる鈴木雅之さんは、大学生活におけるカリキュラム以外の学び・体験への興味から、その価値と課題に言及します。

鈴木 この寮での生活は、「自分が何をやりたいのか、どう過ごしたいのか」を見つける機会になりそうですね。制約が多い一般的な寮とは対照的で、自由があります。その空間が生かされるために、学生のタイプとのマッチングも行われるようになると思います。自由な分だけ、空間を「使う能力」が必要とされるし、落ち着いて過ごしたい学生もいるだろうから。

それから、寮で暮らす間にこの空間の使い方を見つけて学んだ学生が卒業して出ていく社会には、こういう自由度が高い空間はまだ限られています。暮らしの場が、コミュニケーションなどを学ぶ場になるのはとても良いことですが、その暮らしの価値がもっと生かされるようになるには、社会や都市の中に、自由度の高い建築や空間がつくられていく必要があるように思います。

自由度が高い空間は、学生が「何をやりたいのか」を考えるきっかけとなる

 

学生寮は、何を提供するべきなのか

慶應義塾管財部長の繁森隆さんも、他者との関わりで得られる学びの価値を高める「共用部」のあり方に興味を持ちました。

繁森 通常の学生寮は、管理や効率性を重視して、結果として夢を圧迫するようになっているものが多い。でもここは、経済性をクリアしながらも面白い寮になっていて、とても画期的だと思います。

特に、専有部と共用部のバランスという点で、共用部に出ないと過ごせないような学生寮になっていることが興味深いですね。

繁森さんの興味の背景には、学生寮の新設への取り組みの中で感じた、学生や保護者が寮に対して求めるニーズがありました。

繁森 今の学生は、個室を望む子が多いんです。学生寮に他者との交流やコミュニケーションを求める、というニーズや発想があまりない。仲の良い人たちとはコミュニケーションを取るけれど、その交流の範囲を積極的に広げよう、 という学生は少ない。特に男子学生にその傾向があるように感じます。

では学生寮は、そういう学生の傾向に、そのまま応じるのが良いのでしょうか。保護者の方々が逆に、オープンな場でのコミュニケーションの経験を学生が得ることを望んでいるのも感じています。

そうしたニーズや傾向を踏まえ、「新しい学生寮は何を提供し、学生をどう誘導していくのか」を考え続けているので、この学生寮のあり方にはとても勇気づけられました。

まちのような空間には、さまざまなコミュニケーションの機会がある

 

正解のない問題へのアプローチを学ぶ場に

こうした「寮での学びの価値」をさらに掘り下げたのが、UDS株式会社の三浦宗晃さん。まずは、学生が「段階的」に、オープンな場に出ていくことを可能にしている空間のつくりを評価しました。

三浦 学生寮のように50人、100人が集まって生活する場には、「大きなスペースならではの居心地の悪さ」があります。新しいコミュニティができ上がっていると、新しく来た人はその中に入っていく最初の一歩に、すごく勇気がいるんですよね。地方や外国から来る若者なら尚更で、シャイな人も多い。

そういう意味でこの寮は、まずは小ぢんまりとしたポットで数人で打ち解けて、段階的に全体へと入っていけるつくりになっているのがとても面白いです。

共用部の居場所の大きさも、少人数向きの小さなものから、大勢で過ごすスペースまで多彩だ

 

三浦さん自身もUDSで学生が成長する寮をプロデュースした経験があります。学生同士の交流の重要性を踏まえつつ、「学生は大学で何を学ぶべきか」という問いに迫っていきます。

三浦 大学のキャンパスで学ぶのは、基本的に知識の吸収で、現代ではどんどん無料化が進んでいる。では、なぜ大学へ行くのか。正解のない問題へのアプローチやリベラルアーツが注目されるようになっています。

そういう発見や学びは、暮らしの中にこそある。ならば学生寮を、「居住型の教育施設」だと考えれば良い。生活習慣や宗教、価値観が違う人達が一緒に暮らせば、小さな問題はたくさん起こるし、簡単に解決しないこともあるでしょう。それを問題としてネガティブに捉えるのは簡単ですが、学びになると考えることもできます。

内覧会でオンデザインの西田社長に、まちのような寮の印象を語る三浦さん(右)

 

三浦さんが神奈川県藤沢市にプロデュースした学生寮「NODE GROWTH」は、地域コミュニテイの結節点となるとともに、学生が寮生活の中で成長する環境を提供するよう、入居学生自身がResident Assistant (RA)として積極的に寮運営に関わる仕組みを導入しています。

三浦 「NODE GROWTH」では、住んでいる学生同士で話し合って、「試験期間は共用部でも私語を禁止にしよう」といったルールを自らつくったりしています。こういう学びは、大学の講堂の中ではつくれません。学生寮ならではの学びです。逆に、ルールをひとつひとつ細かく作ってしまうと、問題は起こりにくくなるかもしれませんが、息苦しくなる。

「大学」と言っても、ユニバーシティとカレッジはもともと別物でした。「研究施設」であるユニバーシティに対して、カレッジは「滞在しながら学ぶところ」です。大学が郊外から都市の中にまた戻ってきて、ビルディングタイプのキャンパスが増えている中で、この寮は「カレッジ」のビルディングタイプとして、とても面白いです。

「まちのような寮」だからこそ、学生が社会的な学びを得る時間となることが期待される

 

「得られる価値は何だろう?」という、もうひとつの問い(設計者より)

「まちのよう」な空間が生み出す社会的な価値に言及した3人の言葉は、オンデザインの設計チームのひとりである神永侑子さんにも大きな気付きをもたらしました。

神永 今回いただいた言葉には、「まちのような空間があったときに、人はそこで何を感じ、何を得るのだろう?」という、「問い」があるように感じました。

私たちが設計段階から持ち続けてきたのは主に、「まちのような空間とは、どんな空間だろう?」「まちのような空間は、どんな使われ方をするのだろう?」という問い。「まちのような」空間から、「交流のための交流」ではなく「生活や文化の息づかいがある交流」が生まれ、それが学生の「学び」につながるという仮説は持っていました。ただ、その具体的な「学びの内容」や「社会的な価値」まで踏み込んで考えることは、多くはありませんでした。

「人がそこで得る価値」は、「体験・使い方」と必ず一致するわけではない。とすれば、「得られる価値は何だろう?」をより深く考えることで、設計する空間で想像する人の振る舞いの解像度が変わっていくように思います。 「まちのような寮」に限ったことではなく、特に多くの人が使う施設を考えるときに持つべき、新たな視点をいただいた感じです。

 

その「価値」をあらためて考え、神永さんが思い浮かべたのは、プレオープン後の学生の様子や、かつて自身も体験したシェアハウスでの生活。「まちのような寮」が設計者の手を離れていく感触を、そこで暮らす学生がやがて社会に出た後の「自分の人間性を振り返る瞬間」にまで思いを馳せながら言葉にしました。

神永 9月からプレオープンとして40名ほどの学生が生活をスタートさせています。たまに覗いてみると、ポットにテレビが勝手に置かれて団欒スペースになっていたり、吹き抜けのどこかから料理の美味しそうな匂いが漂ってきたりして、建物に血が流れたような活気を感じます。

同時に、場所を発見的に使うという小さな出来事の延長で、教育や社会との繋がりを拡張していくには、やはり竣工後の時間軸も重要だと感じています。「暮らしの中で得られる経験こそが社会的な学びである」と学生本人が気付けるのは、共同生活を送っているその時ではなく、社会に出て様々な人と協働している自分の人間性を客観的に振り返った時かもしれません。

わたし自身も、6年前にシェアハウスでの共同生活を体験しました。そこでの学びは、ルールを守れない人がいるのが当たり前であること、いろいろな考え方の人と意見を交換しながらバランスをとっていくこと、自分の役割を探ること、共同生活での緊張のほぐし方を知って自分らしく生活すること――など、「生き方」に通ずるものでした。

三浦さんのリベラルアーツの話は、他者との共同生活で自分自身の可能性を探っていたシェアハウスでの感覚に近いなと思いました。共同生活と聞くと、ついついルールを決めてそれに従うことが良しとされがちなのですが、それでは一緒に住んでいるからこそ起こる学生同士のコミュニケーションは生まれません。複数の他人と生活を共にする時にこそみえてくる客観的な“自分らしさ”(#2の川添さんの話に近いです)を見つけることが、ルールや体裁、肩書きなどが付いてくる少し窮屈な社会に出てから、自由に生きる創造性を発揮できるのではないでしょうか。

まちのような国際学生寮がひとつの社会だとすると、「自分たちのまちは自分たちでつくる」というようなシビックプライド的な自治が起こると、とても楽しくて健全な社会経験に繋がりそうです。

 

「まちのような寮」が生み出す価値

これからの学生寮には快適さだけでなく、使い手の愛着や自治を醸成し、暮らしの中での「学び」を重ねていくような場となることが求められるのかもしれません。全3回の連載で出てきた言葉の関係性を考えてみると、次のような相関図が描けます。

建築家は、共用居場所「ポット」の自由での自発的で多様な活用を可能にするために、さまざまな工夫を重ねました(黄色い四角)。その空間で、学生たちが自由に振る舞いながら交流し「人間関係」という財産や、「楽しさ」を獲得しながら、自治的にポットの利用を拡大していくことが期待されます。

そんな循環が回っていくと、「他者の存在感」が高まり、「自己相対化」の材料になります。他者との接点が増えるため「厄介な問題」も発生しますが、自治的な「解決への取り組み」につながると考えることができます。「自己相対化」「解決への取り組み」は、「楽しさ」とはまた別の、寮ならではの「学び、成長」の機会になるのでしょう。

そんな連鎖が楽しみな「まちのような寮」は2020年、いよいよ運用を本格化させます。「楽しさ」や「賑わい」にとどまらないどんな価値を生み出していくのか。実際の風景から見えてくることに、期待が高まります。
(了)

 

【関連記事】
まちのような寮とは?#01 多様な居場所が学生を自発的に
まちのような寮とは?#02 絶妙な距離感が学生自身を相対化

 

【プロフィール】

鈴木雅之(すずき・まさゆき)千葉大学国際教養学部准教授、コミュニティ・イノベーションオフィス 地域イノベーション部門長、COC+推進コーディネーター/NPO法人ちば地域再生リサーチ事務局長/2015横芝光町シティマネージャー

繁森隆(しげもり・たかし)慶應義塾管財部部長/一級建築士/学生寮・外国人研究者宿舎の新設・運営管理業務を部門で担当

三浦宗晃(みうら・ひろあき)UDS株式会社事業企画部ゼネラルマネージャー。山形県鶴岡市生まれ。東北大学工学部建築学科卒業後、株式会社都市デザインシステム(現UDS)でリゾート開発プロジェクトなどを担当し、現在は学生寮やシェアハウスを通じたまちづくりプロジェクトなどに従事

神永侑子(かみなが・ゆうこ) 建築家/1990年 茨城県生まれ/2012年〜現在 オンデザイン/2018年 アキナイガーデン設立

 

取材・文章:谷明洋、写真:鳥村鋼一