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まちのような寮とは?
#01
多様な居場所が
学生を自発的に

text & photo; akihiro tani

 

オンデザインが手掛けた「神奈川大学新国際学生寮・栗田谷アカデメイア」が2019年夏、竣工しました。「まちのような国際学生寮」というコンセプトが大きな注目を集め、2度の内覧会は大盛況。では、「まちのような」寮とは具体的にどんな建築で、どんな価値を生み出すのでしょうか? 内覧会に集まった方々の言葉から、全3回の連載で考察します。

初回は、寮内の動線上に点在する共用空間の「ポット」を、3人の建築家の視点で読み解きます。何気ない日常生活から出会いや交流を誘発する狙いでつくられた「小さな居場所」は、どのように機能するのでしょうか?

 

まちのような寮とは?

「学生の振る舞いを生み出す図式」
「自発を引き出すバリエーション」
「気まずさをなくす工夫がある」

 

たくさんの参加者が「まちのような」寮の空間を体験した内覧会

 
建築というガイドが、ユーザーの振る舞いを生み出す

松島潤平建築設計事務所を主宰する建築家の松島潤平さんは、「毎日がお祭りのようで楽しかった」という予備校時代の寮生活を思い出しながら、ポットが生み出すユーザーの振る舞いに思いを馳せました。

松島 高校時代のプレハブの部室棟や、予備校時代に1年間住んでいた何の変哲もない寮ですら、毎日思い出深い出来事がたくさん起こりました。それに近しいプログラムでこれだけ工夫された空間を見ると、一体ここでどんなことが起こるんだろう、と自分の青春時代の記憶が加速されてうずうずしますね。

「ポット」は人が集まるための原初的な“しつらえ”。そこから使い手の営みがはみ出す瞬間がきっと面白い。共有物、便利なもの、たぶん意味不明なものもポットに現れてくるでしょう。そうして寮という空間の自治状態が顕在化される。ここまで細分化された立体的なまちは現実にはないわけですが、「まちのよう」になるのはきっとその時、つまり、設計段階で描いたイメージや、用意したマニュアルのようなものが、良い意味で裏切られる瞬間だと思うんです。

ポットで「話す」とか「食べる」とか「待ち合わせる」といった空間利用のコミュニケーションがどんどんと発展していって、たとえばDIY工具やメンテナンスの材料が置かれて、自分たちが住む場所を修繕したりアレンジするような空間生産的なアクションが起こり始めると、本当にここが「まち」になると思います。

一方でそのような集団行動だけでなく、ただ佇んだり、ふと一望できるポイントを見つけたりするような、ひとりだけの大事な時間が生まれ得る質も感じ取れます。楽しかったり寂しかったりする総合的なユーザーの振る舞いを通じて凝縮された「まち」のようになる原型の空間が、建築として立ち現れていると思います。

内覧会で空間の感想を伝える松島さん(中央)

 

では、ユーザーの多様な振る舞いを生み出すのは、どんな建築なのでしょう。

松島 私が建築で期待したい、あるいは実現したいことは、「ガイドは示すけど、命令はしない」という距離感のデザインです。設計者がシーンを想定しすぎると命令的になってしまうし、ユーザーに丸投げするとカオスになってしまう。では、どこでボールを手放すのか。“図式”までを建築が担保して、その先の振る舞いをユーザーがつくっていけるようなバランスが大切で、ここではポットのテクスチャやしつらえのバリエーションでその塩梅を探っていくように見受けられます。

それから建築の“精度”にも、緊張しないおおらかさを感じます。住宅ですと少々「荒っぽい」と言われてしまうかもしれませんが、この規模の「まちのような」寮にとっては、使い手の営みがはみ出し得るような、ある種の“隙”を感じさせるちょうど良い精度だと思います。

きっと誰もが一度は夢想したことがある空間図式ではないでしょうか。しかし建築として実現するには相当なパワーが必要だということを改めて窺い知れる、とてもパワフルな建築でした。

吹き抜け部分に連なるポットと動線の構造

 

「使われ方」を考えた空間の多様性が、自発性を引き出す

ポットの多様性のつくり方に注目したのは、建築家の中川エリカさん。かつてオンデザインの建築家としてヨコハマアパートメントを手掛けた経験も踏まえ、「どう使われるかを考えて設計すること」の重要性を言葉にしました。

中川 多くの建築家は形やサイズを変えることで、バリエーションを生み出そうとします。でもこの寮のポットは、ひとつひとつ、素材を変えたり、棚やソファーといった家具を変えたりして居場所をつくっている。実際にどう使われるかをよく考えて、ポットにバリエーションを与えてるところに、オンデザインらしさを感じます。

ポットは素材やしつらえがひとつずつ異なる。黒い扉は専有部の入り口

中川 端的に言えば、「学生たちの好き嫌いに対応できるだけのバリエーションを備えている」ということです。ポットが生かされるためには、学生たちの自発性を引き出す必要がある。バリエーションがないと、建築側から「ここはこう使ってね」と規定することになって、使い手が自発的にならないから、その空間は生きながらえないんです。

ヨコハマアパートメントであれば共用部にある大きな机とかになるのだけど、そういうモノのあるなしによって、空間が使われるか使われないかは大きく変わる。それをオンデザインは、私も含めて目の当たりにしてきました。4部屋のヨコハマアパートメントから200人が住む学生寮にスケールに変わっても、そのあり方を実現していくというのが、ポットを生かすためのオンデザインの作戦だったのだと思います。

4室の専有部があるヨコハマアパートメントの共用部。調理台になるテーブルやスクリーンになる壁があることで、広々とした空間が生きる

 

中川さんはポットを生かすという観点からもう一つ、周辺空間のつくり方にも言及しました。

中川 ポットの周りの廊下のたっぷりとした幅だったり、ポットと個室の距離感だったりが、ちょうど良い。こういう「中間のスケール」が絶妙で、ポットの価値を高めていると思います。

オンデザインがポットをしっかり作り込むというのは、思っていた通りだったんですが、この中間のスケールは印象的でした。提案段階では、「どうせ通る動線なんだから有効に使おう」という発想だと思っていたんですが、これならば「ポットが目的地になってやってくる」こともありそうですね。

寮の空間の構造を眺める中川さん

 
猫のように、居場所や経路を選択しながら暮らす

トミトアーキテクチャを共同主宰する建築家の冨永美保さんは、ポットと周辺の空間が「気まずくない距離感」の選択を可能にすると感じた様子。

冨永 学生寮は同世代の他人と一緒に生活する場なので、気まずかったりすることもあるかと思います。「心地よさ」と「気まずさ」のバランスを考えることがとても重要ですよね。そういう意味で、この寮は「発明」だな、と思いました。

たとえばポットでコーラを飲みながら短パンでくつろいでいる時に、目の前の部屋の扉が開いて人がやってきたとして、片廊下だとどうしてもお互いに気まずく感じてしまいそうなところがあります。でも、この建築にはちょっとした段差や経路の長さが散りばめられているので、程よい距離をお互いに選択しながら暮らすことができそう。「経路や居場所を選択しながら暮らす」って、まるで猫みたいですよね。そういうところが魅力的だな、と思いました。

ちょっとした段差やスケールが、すれ違うときの気まずさを軽減する

そんな「気楽さ」「ラフさ」を感じさせる空間への期待は、いろいろな文化の人たちが集まる「国際学生寮」だからこそ、より大きく膨らみます。

冨永 以前、留学生のホームステイ用の部屋がある家をつくるプロジェクトがあったんですが、完成して実際に運用が始まると、生活の感覚の違いよく分かるんです。たとえば、ぱっとサンダルで外に出て、テラスでランチすることに慣れてるんだな、みたいな。

この寮では、そういう「生活の中でふとあらわれる感覚」が表に出てきやすいのではないかと。そうするとポットは、単にコミュニケーションのための空間ではなく、無意識的にあらわれる文化的なクセのようなものが映される“鏡”としての働きをしそうですよね。違った感覚をお互いに知り合うための「メディア」になると思うんです。

いろんな国の文化や生活の感覚が見えてくること、それ自体がまず楽しみだし、空間がそのためにどう機能するのかも興味深い。「楽しみになる学生寮」って存在するんですね。

「まちのような」寮の模型を見ながら、設計者に感想を伝える冨永さん(左奥)

 
自分の場でも、みんなの場でもある状態を目指した(設計者より)

3人の言葉から浮かび上がってきたのは、多様なポットが生み出す、ユーザーの主体性や豊かなアクションの価値。オンデザインで設計を担当した萬玉直子さんが、あらためて振り返ります。

萬玉 いきなり話が逸れるかもしれませんが、私がオンデザインで最初に任されたことはヨコハマアパートメントの運営でした。「設計事務所に入ったからにはバリバリ設計するぞ」と思っていた当時の私は、少し拍子抜けしたことを覚えています。月1回の入所者会議や、2~3ヶ月に1度の展示や演劇などのイベントから、冷蔵庫のマナーやお隣さんとの音のトラブルなど、設計業務からはまるでかけ離れているようなことに奮闘した1年間でした。

しかし、いま振り返って思うことは、この運営を通じた観察こそ、「空間を用意するだけで人間の豊かな営みが自足するとは限らない」という“生身の建築”を、身体的・感覚的に理解する機会だったのだということです。

人間の自発的な行動を呼び込むために、どいういうテーブルを用意するか、素材は何にするか、光環境はどうするか。中川さんが言うように、「建築をとりまく細やかな情報によって出来事はナビゲートされる」ということをヨコハマアパートメントで経験しています。

今回のように、ポットひとつひとつを違ったものにするのは、正直に言えば設計も施工もめちゃめちゃ労力がかかるわけです。それでも、バリエーションがあるからこそ生活の創造性への余地を学生たちに残せることも確信しています。

ポットをはじめとする「小さな居場所」で、多彩なアクションが起こることが期待される(クリックで拡大)。イラスト:千代田彩華

 

と同時に、寮は「生活の場」でもあります。多様な居場所が引き出すユーザーの創造性は、他者との距離感をコントロールできる実感があるからこそ、より活かされるのかもしれません。

萬玉 「まちのような国際寮」とヨコハマアパートメントは、規模感が全く違います。まず、200人で集まって住むというスケールに対してポジティブであると同時に、ネガティブな側面も気になりました。それは、例えば隣の部屋の人と少し気が合わないとか、今日はひとりで食事したいとか、集まって生活していれば絶対芽生える人間の状態でしょうか。一般的には、集まる=コミュニケーションというポジティブな側面が表に出ることが多いですが、ここは寮なので、あくまで生活環境です。なのでひとりで過ごせる環境が、学生同士のコミュニケーションの場でもあるという共存を目指しました。

そういう意味で、冨永さんの「気まずさをなくす」という解釈はとても発見的でした。

動線も含めた居場所の選択性だったり、お互いに見えているけど物理的な動線距離があったり、と、視覚や物理的な距離、心理コンディションなどによって、距離感のコントロールができるようになっています。

当初は、求心性のある場所(ポット)が点在することで生まれる多中心な状態が「まちのような」と思ってテーマにしていましたが、プロジェクトが進む中で、ポットは、みんなの場所でもあるけど自分の場所でもあるという「所有感」こそが「まちのような」状態になるのではないかと思うようになりました。松島さんの指摘する「自治」が起こった時や、体験こそがまちなのでは? という投げかけは、ぜひこれからの寮の観察によってフィードバックが欲しいなと期待しています。

運用が始まった寮の様子。写真:鳥村鋼一

 

次回は、小さな居場所が連続する「まちのような学生寮」の全体を少し広い視点で眺め、住む人たち同士の関係性から生まれる価値を考えます。
(つづく)

【関連記事】
まちのような寮とは?#02 絶妙な距離感が学生自身を相対化
まちのような寮とは?#03 講堂にはない学びを得る場

 

【プロフィール】

松島潤平(まつしま・じゅんぺい) 建築家 / 松島潤平建築設計事務所主宰 / 東京大学・芝浦工業大学非常勤講師 / 三つ子の父 http://jparchitects.jp/

中川エリカ(なかがわ・えりか) 建築家 / 中川エリカ建築設計事務所代表 / 東京藝術大学・横浜国立大学・法政大学・芝浦工業大学・日本大学非常勤講師 http://erikanakagawa.com/index.html

冨永美保(とみなが・みほ) 建築家/ tomitoarchitecture / 慶應義塾大学・芝浦工業大学・横浜国立大学・関東学院大学・東京都市大学・東京電機大学非常勤講師/ https://www.tomito.jp/

萬玉直子(まんぎょく・なおこ) 建築家/1985年大阪府生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業、2010年神奈川大学大学院修了。2010年〜オンデザイン。2016年〜オンデザインにてチーフ就任。2019年〜個人活動としてB-side studioを共同設立。主な作品は、「大きなすきまのある生活」「隠岐國学習センター」「神奈川大学新国際学生寮」など。共著書に「子育てしながら建築を仕事にする」(学芸出版社)。趣味は朝ドラ。最近はアレクサに話しかけるのが密かな楽しみ。

取材・文章・写真:谷明洋