ベルリン見聞録
#05
ベルリンから考えたこと
(最終回)
2019年8月にベルリンに行ってから、気がつけば1年以上も経ってしまった。その間にベルリンの壁崩壊30周年の記念日が過ぎ、日本は令和元年という平成のおまけのような、新しい時代のお試し期間のような時間が過ぎた。いよいよオリンピックイヤー2020年が到来した、と思っていたら新型コロナウイルス禍によってオリンピックが延期された。またドイツに行ける日がいつになるのか、今は想像がつかないけれども、僕の「ベルリン見聞録」もこの章を最終回としてまとめていきたい。書くのに時間がかかってしまったのは、あれからずっとこのまちのことと、僕がこれからどんなふうに仕事をし、何をやっていきたいのかとを並列に考え続けてきたからだ(という言い訳をしておこう)。
ベルリンの壁崩壊と平成
1989年に始まった平成という時代は、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一、冷戦終結とほぼ同時期だった。1985年生まれの僕はそのときの「時代の雰囲気」を思い出せないが、きっと冷戦が終わったとき世界から分断ががなくなって、「平和で景気のいい時代が訪れるのでは」とみんな思ったんじゃないだろうか。
ところが日本ではその後すぐにバブル崩壊と失われた30年がやってくる(批評家の宇野常寛は平成そのものを「失敗したプロジェクト」と呼んでいるが)。僕は人生の大半を平成という時代を生きてきたわけだけれども、輝かしい時代を生きたな、とはあまり思えない。最悪だったわけでもないけど良くもない。日本の人口は増加から減少に転じ、誰も経験したことのない縮退フェーズを迎えている。気がついたらモヤモヤとした閉塞感が国全体を覆っているような、なにか能天気に明るい未来を想像しづらい雰囲気になっている気がしてならない。
日本と背景は違うが欧州も混迷期に入っているように見える。Brexitが成立し、インターネット上の壁と言われるGDPR(欧州一般データ保護規則)も施行された。西側諸国では移民や難民の流入とそれに反発するような極右政党やポピュリズム政党の台頭が著しいと言われている。EUによって一つの広域圏にまとまってきたかのように見えるヨーロッパも分断が広がってきている。ますます国家や国土とは誰のものか、都市とは誰のものか問われる時代になってきたのだと思う。
分断の傷跡
さて、前段が長くなってしまったが、ベルリンの話をしよう。ここは文字通り「分断」を経験したまちだ。東側と西側、世界のイデオロギー陣営に対応するように物理的に「ベルリンの壁」が立ち上がって、行き来できなくなった。で、その壁がなくなって30年、すっかり観光客向けに残された部分以外はその分断の痕はわからなくなった、というわけではない。それどころか一度分断するとその傷は長い間癒えないということを教えてくれる。家賃は東側のほうが安く、未だに旧東ドイツ時代の建物が巨大な廃墟(旧統計局 Haus der Statistik)として一等地に残されていたりする。ドイツ全体でも東西格差は厳しく、フランクフルト証券取引所上場企業はすべて西ドイツの都市に本社を置いているそうだ。
しかし、そのまちの裂け目のようなスポットだからこそ面白い場所も生まれている。前の記事で紹介したHolzmarktも、もともと壁があったシュプレー川沿いだし、近くには伝説のクラブBerghain(ベルクハイン・僕は滞在中行くことができなかったが、ドアマンによる入場規制がものすごく厳しいことで有名)もある。一見、不法占拠された廃墟にしか見えないR.A.W. Geländeという複合施設も旧東側にある。対岸のKreuzberg(クロイツベルク)地区は旧西側だが、移民も多くクリエイティブな人たちにも愛されるまちとして雑駁(ざっぱく)な魅力を放っている。
Atelier Fanelsaでのレクチャー
今回の滞在中、僕自身初めての経験だったが、英語でレクチャーをさせてもらう機会を得た。Kreuzbergに建築設計事務所「Atelier Fanelsa」を構える建築家のNiklas Fanelsa(ニクラス・ファネルサ)が主催するレクチャーシリーズ「Spontaneous Lecture」に招いてもらい、30名ほどの聴衆に向けて僕の活動を紹介させてもらった。Niklasは僕とちょうど同い年で、東京工業大学で塚本由晴先生の研究室でも学んでいたことがあり、日本の建築にも明るい。そのつながりを活かしてNIONのメンバーとしても活動している。僕がNIONのナホさんに連絡したところから今回のレクチャーが実現した。
レクチャーでは、僕の社会人として最初のキャリアの宮城県石巻でのISHINOMAKI 2.0の活動と、最近の仕事である吉日楽校とVIVISTOP柏の葉の話しをさせてもらった。聴衆は建築や都市計画を専門とする人たちが多く、いろいろな国から来ているようだった。ベルリンで活動する日本人も10人ほど来てくれた。石巻の話が気になる人が多かったようで、震災後ある意味勝手に若者たちの手でまちづくり(のようなモノ)を起こしていった活動に共感してくれていたようだった。ドイツ以外の出身者でも、ある課題を抱える地域でいかに市民主体でまちを良くしていくかという話だったり、ガバメントによる強権的な開発に反対して対案を示していくかだったりが質疑応答や懇親会で話した限りだと多かったように思う。(拙い英語でうまく答えられたかどうかはわからないが)
懇親会のあと、NiklasがKreuzbergのまちを少し案内してくれた。Kottbusser Tor駅前は広場になっていて、そこを囲むように団地が建っている。広場はビアガーデンでもあり、そこでカリーブルストとビールをごちそうになりながら、Niklasがいろいろ教えてくれた。この界隈は、もともと移民が多く彼らに向けた飲食店や食材店なども多いエスニックな地区だそうだ。
余談だけれど、ドイツは1960年代に労働者不足を解消するためトルコからの招待移民を呼び入れた。今ではその子孫を含め300万人いると言われている。彼らがドイツで創り出した名物が日本でも馴染み深いケバブサンドだ。ちなみに当時、東ドイツ側も招待移民を呼び入れており、それは同じ社会主義国家のベトナムからだったらしい。そんなわけでベルリンにはベトナム料理店も多い。(ドイツは「難民」受け入れも社会問題になっているけれどそれはまた別の話)
で、そのKottbusser Torの広場に面した団地は、移民やワーキングクラスがたくさん暮らしているそうだが、ベルリン全体の地価高騰のあおりを受けて家賃が急上昇しているという。それに対して反対する人々が、なんと広場に小屋を建て、そこを拠点にデモや集会などを行っているらしい。面白いと思ったのが、小屋を建てるだけでもすごいのに、それを強制的に撤去させられたりしないところだ。
この場合ベルリンの行政か団地を管理している事業者だかに反対しているのだろうけど、それ以前にどう考えても小屋を建てるのは違法だと思うのだが、話を聞いていると「反対する権利」が社会的に認められている節がある。前回の記事にも書いたけれど、このまちでは市民が納得のいかない権力の横暴に対して、声を上げ行動に移すことが正当化されている。もちろん暴力は論外だと思うが、デモをしたり、もっとパーソナルなビラやアンケートを配ったりというアクションが馴染んでいるように見える。このあたりはベルリン在住の漫画家、香山 哲さんの「ベルリンうわの空」という漫画にもその雰囲気が出てくるのでぜひ読んでみてほしい。Niklasも非常におだやかな青年だがこの小屋の話やエスニックなKottbusser Torのことを熱っぽく語っていたのが印象的だった。
Floating University Berlin
翌日、Niklasが朝一番に娘のAda(アダ。超かわいい)を保育園につれていく前にFloating Universityという場所を案内してくれた。ベルリン見聞録#01で紹介した元空港の公園Tempelhofer Feldの横に、この空港のための調整池がある。この半分乾いた、雨が降るときれいとは言えない水が貯まる池の上に、仮設の木造建築がいくつも建っている。2階建てのメインの建物(日本の建築家アトリエ・ワンがベルリンの展覧会のために設計しその後、別用途に転用されたアーバンフォレストが移築されている)、集会所、屋根付きのステージ、風呂、水の浄化システムなどそれぞれが桟橋でつながった群島のような体裁だ。夏の期間だけ開かれるワークショップやレクチャー、イベントのために造られた仮設の学びの場である。気候変動や環境問題について学ぶことをテーマにしたオフグリッドの施設だ。
ここを企画、運営しているのがRaumlabor(ラウムラボア)という建築家コレクティブである。彼らは都市のプロトタイピングをモットーに、実験的で仮設的なプロジェクトを数多く行っている。この場所もまた、行政当局による再開発の俎上に上がっていて、これは環境問題について考える場所であるとともに、都市の裏側のような場所を市民に開放し、再考を促すためのプロジェクトでもあるのだ。最近、日本語で読める記事が出ていたので、ぜひ見てほしい。
シチズンシップとパブリックスペース
Floating Universityの見学をもって、僕のベルリンへの旅は終了した。ホロコースト記念碑も、ベルリン・フィルハーモニーも、新ナショナルギャラリーも、ユダヤ博物館も見なかった。それでお前は建築家を名乗ってるの? というくらい名建築らしいものは見なかったのだけど、今回の旅で僕がそれらの代わりに見たものは、とても現代的な問と魅力を僕に突きつけた。とりわけ最新のものばかりだったわけではないかもしれないけれど、シチズンシップとパブリックスペースというものについて大いに考えさせられた。
僕はこれから、自分の国でどうやってまちづくりを仕事にしていくべきなのだろうか? クライアントワークをやるためだけに自分の能力と時間を使う人生でいいのだろうか? まちを自分たちの手に取り戻すにはどうしたらいいのだろうか?
いや、こんなふうにベルリンに行ったことで以前の考えが180度変わったかのように書いてしまったが、そうではない。僕は元々そういうことがしたくて建築を始めたのだし、石巻にも行っていた。ベルリンで見たものにちょっと背中を押してもらったにすぎない。そして、僕が夢想していた社会がそこには実現していた。単純に僕が正確に理解せず誤読していた部分も多いだろうし、市民主導のまちづくりというのはごくわずかしかないのかもしれない。ベルリンだけが特殊ではなく、ヨーロッパ(例えばアムステルダムやコペンハーゲンなどでは)よくある取り組みなのかもしれない。なのだが、こういった取り組みの日本版、表層だけではなく思想や哲学の部分から学び、日本の都市を少しでもアップデートしよう、と働くことには意義があるのではないだろうか。
今回、NIONのメンバーやNiklasと出会えたことも大きい。僕がベルリンから帰ってきたあと、わりとすぐ(2019年10月)にNiklasが西日本のローカルでの実践を見るために家族で来日した。すかさず僕がレクチャーさせてもらったアンサー代わりに、横浜で小規模なレクチャーをしてもらった。急な開催で平日だったこともあって全然人が集められなくて申し訳なかったけれど、改めてそこで聞いたNiklasのレクチャーはとても共感した。Floating UniversityやHaus der Stastikのワークショップに建築家として参加したり、Gerswaldeというベルリン郊外の田舎町に自分のサマースタジオを構えて2拠点居住をして市民参加型でそのまちの古い建物たちをリノベーションしたりしている。NIONの活動など、国際的な情報交換や自身のアトリエでのレクチャー開催なども積極的に行っている。
今まで同世代の海外の建築家や学生と話したことがなかったわけではないのだけど、初めてNiklasとはとてもシンパシーを感じたし、意気投合できたと思っている。これからも日本とドイツでお互いに切磋琢磨していきたいし、情報交換を続けていきたい。いや、それにとどまらず近い将来、仕事を一緒にできるといいと思う。これが僕の一方的な片思いでないといいのだけれど(笑)。
NIONもこれから具体的なプロジェクトをどんどん実現させていくだろうし、日本に興味のあるドイツの若者たちがNIONのプログラムを通じてたくさん来日するだろう。彼らの動きをキャッチアップして、そういう若者と交流したいし、積極的に日本でのレクチャーやプロジェクトを実現させたいと思う。もう、勝手にNIONの日本側の共犯者になるくらいのつもりでいる。
_about your city
さて、これを書き終えようとしている今は2020年の10月だ。新型コロナウイルスが世界をかつてない勢いで分断している。ドイツや日本のみならず世界中が、感染拡大とそれに続く都市ロックダウンで、外出自粛とソーシャルディスタンスを求められている。最近はその中でも緩和されつつあるけれど、半年前と世界がすっかり変わってしまったように思える。
そんな世の中で僕は9年間働いたオンデザインを退職して独立することにした。退職した3月最終週には、オンデザインもリモートワークが始まっていたから全体会議での挨拶も送別会もなかった。東日本大震災のあと、フェードイン的に入社した僕らしい、フェードアウト的な卒業になった。
with Coronaとかafter Coronaとか言われている、今までの当たり前がガラガラと変わっていく時代に新しい環境で仕事を始めるのは、震災直後の石巻で闇雲に(文字通り電気も復旧しないうちは真っ暗闇のまちなかだった)動き回った日々を思い出す。そのときと違って、今は物理的に動き回ることははばかられるが、何をなすべきかじっくり考える時間を与えられたのだと思っている。
新しく始める事務所の名前は「about your city」と名付けた。建築や都市計画、ワークショップデザインを軸に、都市をアップデートするためのアイディアと実践を行っていくチームだ。「あなたのまちについて」という何屋かわからない感じも気に入っている。
もちろんメンバーはまだ僕一人だけど、これから同世代の様々なスキルを持った仲間たちと、コレクティブな集団を作りながら現代の都市の課題に取り組んでいきたいと思っている。これから、どんなことが求められていくか、自分にどんなことができるのか、どういう社会になるかわからないけれども、楽しみながら頑張っていきたいと思うのでどうぞよろしくお願いします。
おわりに/Danke schön
ベルリン見聞録、いかがだったでしょうか。こんなに最後の記事を書くのに時間がかかるとは思わなかったし、その間にこんなに世の中が変わってしまうとはもっと思わなかった… こうやって振り返りの記事を書いたり写真を見返しているとまた夏のベルリンに行ってビールを飲みたいなと思うわけですが、また再び海外に渡航できるのはいつになるのかさえわかりません。こればかりは自分の力ではどうにもならないので、この期間をきっかけにもっと自分の身近なネイバーフッド、ベルリンの言葉で言えば「Kiez(=キーツ)」を楽しんだり掘り下げたり、貢献したりすることができるとよいなと思っています。
最後に、このベルリンへの旅でお世話になった方々、一緒に飲みに行ってくれたりしたみなさま、ありがとうございました! みなさんの健康とご活躍を祈っております!
全5回にわたってお届けした「ベルリン見聞録」は今回が最終回。おまけ記事付きの本連載はnoteで掲載中。ぜひ、こちらもご覧ください!
(これまでの記事)
現地報告!「ベルリン見聞録」#01 パブリックスペース編
ベルリン見聞録 #02 マルクトとフード、クラフトビール編
ベルリン見聞録 #03 シェアモビリティと自転車編
ベルリン見聞録 #04 まちづくりHolzmarktとNION編
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小泉瑛一 yoichi koizumi建築家/ワークショップデザイナー |
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