建築家の職能
#08
人と人の絶妙な
距離感の設計者
建築家が、「人と人」や「人と社会」の関係性を創発することができるのはなぜだろう。
建築家が都市で担う「機能」や「役割」を言語化しながら整理する「都市を科学する〜建築家編〜」。#08は、東京都文京区の共同住宅「ホンゴウハイツ」をケーススタディに、絶妙な距離感を紡ぐ「思考のプロセス」を整理します。
気配を感じる距離感覚
中と外をなだらかに
暮らしを豊かにする挑戦
隣人、まち、社会を感じるプライベート空間
建築家は空間とともに、「他者や社会との絶妙な距離感」を設計しているのではないか。
東京都文京区の共同住宅「ホンゴウハイツ」は、そんなことを感じさせる建築のひとつだ。
ホンゴウハイツは、4階建ての1〜3階に一人暮らし向けの賃貸住戸が8室ある。
大きな特徴として、エントランスから各住戸への動線となる廊下が、通常のワンルーム賃貸よりも遥かに広いバルコニーを兼ねて設けられていることが挙げられる。
同じ空間が、共用空間である廊下と、専有的なバルコニーを兼ね備えるのだ。
部屋の前のバルコニーに椅子を出して本を読んでいると、ちょうど帰宅してきた隣人が通りがかり、軽く言葉を交わす−−。
そんなシーンが、日常的に繰り返されるのだろう。
設計したオンデザインの西田幸平さんは「単身者用の限られた空間の中でも、ほかの人や社会とさまざま距離感を取ることができれば、ひとりの時間だけでなく、ときには自然な交流をして、生活の幅を豊かに広げられるのではないか」と言う。
人間という生き物にとって、他者との「距離感」は、近すぎても様々な弊害が生じるし、遠すぎると孤独や寂しさを感じさせる。
この建築は、人が他者の存在を心地よく感じさせる「絶妙な距離感」をつくる試みなのだ。
では、「絶妙な距離感」を演出することができるのは、建築家のどのような「特性」や「能力」なのだろうか。
①曖昧な価値への感性
そもそも「絶妙な距離感」は、敢えてつくろうとすること自体に勇気が要る。
その価値が、曖昧で、不確実だからだ。
「なんとなくお互いの存在感が感じられる」
「自由な交流がはじまるかもしれない」
漠然と何かを期待させる要素ではあるけれど、「専有面積」や「日当たり」のように目に見えるわけでも、「コワーキングスペース」のように機能や利用シーンが明確なわけでもない。
では、西田さんはなぜ、この曖昧な価値にこだわることができたのか。
「いろいろなことを感じられること自体が、豊かなことだと思うんです。他人の存在だったり、その先に広がるまちの空気だったり。路地を歩くときに感覚にも似ていると思うんですけど、家の設えや、置かれているものが目に入ってきて、『こんな人が住んでいるのかな』と考えたり、道ですれ違ったときに軽く会釈をしたり。生活の中でのちょっとした発見や喜びって、直接的な交流以上に、心を豊かにすることもあるんじゃないかな、と」
端的に言えば、建築家としての自らの感性で、「この曖昧な価値こそが、人の暮らしを豊かにする」と確信したのだ。
②「中と外」の柔軟な考え方
では、この「絶妙な距離感」は、具体的にどのように具現化されたのだろうか。
ホンゴウハイツの設計の根底には、住戸の「中と外」を明確に区別するのではなく、なだらかなグラデーションを紡ぐという考え方があった。
「通常の単身用の部屋は、どちらかといえば社会から隔絶されて、隣にどんな人が住んでいるのか、自分がどんなところに住んでいるの、分からなくなってしまう」
そこで西田さんは、バルコニーを兼ねた廊下や、少しの段差などによって、「明確な住戸がありながらも、社会と隔絶されていない」感覚を演出することにした。
この感覚は、ホンゴウハイツの「中から外へ」、居住者の目線で追っていくと分かりやすい。
まずは20〜30平方メートルの専有部。
カーテンで2つに区切られた奥側は、プライベート性が高い寝室だ。
カーテンの手前のリビングは、観音開きの大きな窓でバルコニーとつながっている。
そのバルコニーは、「みんなの廊下」を兼ねた半専有空間。椅子を出してくつろいでも良いし、自分の“庭”のごとく隣人を招くのも良いだろう。
そして外出時は、「自分にとっての廊下」として「隣人のバルコニー」を通っていく。
西田さんが「中と外をなだからにする」ことの可能性を感じたのは、学生時代にブラジル・サンパウロ大学建築学科棟を訪れたときだった。
「建物は壁も扉もなく、ピロティがあるだけで、さらにスロープが続いていて。どこまでが外で、どこからが中かも分からず、気づいたら講堂に入っていたんです。『いつの間にか中まで来てしまった』と思っていたら、その先の小さな部屋から学生が出てきて、タバコを吸い始めた。彼にとっては『外』だったんですよね。『個人の気分や天気なんかによって、中と外を自由に決められるって良いな』と思ったんです」
「『講堂』というひとつの目的だけを果たすだけではなく、いろいろな人を引き寄せて、もっとたくさんの価値を出しているように感じたんです。建物としての気持ちよさがあるだけでなく、まちや社会とのつながりまで感じられてしまうような、そういう環境をつくることができたら良いな、と」
西田さんは以来、「中と外」のあり方をさまざまな角度で考えてきた。
それが、ホンゴウハイツの「絶妙な距離感」の引き出しとなった。
③設計の前提を更新する
では、こうしたアイデアを実際の形に落とし込むプロセスでは、何が大切になるのだろう。
「『与えられた空間を、どう使うのか』を考えて形にしていくという点は、ホンゴウハイツも通常の設計と変わりません。でも振り返ってみると、『そもそも住まう人の暮らしは、どうすれば豊かにできるのか』という根本的な問いと常に向き合っていたように思います」
一般的な単身用の集合住宅の設計は、多くの場合、「プライベートを担保した専有部をなるべく広く取るためには、空間をどう使うのが良いだろう?」などといった問いに対する解をさがす。
そこに、「人の暮らしは、プライベートが担保された専有部が広く取られているほど、豊かになる」という前提があるからだ。
しかし西田さんは、「空間をどう使うのが良いだろう?」を考える際に、「人の暮らしは、どうすれば、最も豊かになるのだろう?」という一段階前の問いに、何度も立ち返った。
「人の暮らしは、プライベートが担保された専有部が広く取られているほど、豊かになる」という前提をそのまま受け入れるのではなく、ホンゴウハイツにあわせて更新していったのだ。
これは「手段を自己目的化しないこと」の重要性を示唆しているとも言える。
集合住宅において「専有部を広くする」ことも「他者と交流する」ことも、いずれも「人の暮らしを豊かにする」ための手段に過ぎないからだ。
「ホンゴウハイツでも、分かりやすい交流のための共用部をつくることはできたかもしれない。でも、交流を目的とした空間って、なんか“気持ち悪い”と感じたり、全然使われなかったりするんですよね。だから、“他者を心地良く感じられる距離感”にこだわったんです」
「人と人」や「人と社会」の関係をつくる意味
西田さんは、ゆるい関係性がもたらす曖昧な価値への感性と、中と外を柔軟に考える引き出しがあり、「人の暮らしを豊かにする」という上位目的に立ち返り続けた。
だからホンゴウハイツは、人と人が「絶妙な距離感」で互いを感じ、関係性を発展させることもできる空間となった。
「隣の人との関係性の延長に、まちや社会とのつながりがある。だから、『環境が社会との関わり方をつくり、暮らしを豊かにしていく』という考え方を、大切にしているんです」
こうした考え方は、大型施設(「まちのような国際寮」など)や住居(「観察と試み〜深大寺の一軒家改修〜」など)、あるいはまちの拠点づくりなど、オンデザインのさまざまなプロジェクトに息づいている。
いずれも、安全性やプライバシーとのバランスを取りながら、状況や目的に応じた「適度な距離感」で、他者や社会とつながる空間がつくられているのだ。
西田さんは、そのさらなる応用の可能性を感じている。
「他者の存在を心地よい距離感で感じることは、適度な刺激や安心につながるし、それは建築家が生み出せる大きな価値だと思うんです。オペレーションや安全性の課題もあるだろうけれど、“社員寮”とか、“ヘルスケア”や“高齢者施設”なんかでも応用できるかもしれない」
人と人が互い適度に感じ合い、ときに関係をつくっていくことは、そこに住まう人の良さを引き出し合うことであり、さまざまな社会課題の解決にもつながっていくのかもしれない。
建築家は「絶妙な距離感」をつくることによって、そんな計り知れない価値を生み出す可能性を秘めている。
(文:谷明洋、写真:鳥村鋼一)
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西田 幸平 kohei nishida
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「都市を科学する」は、横浜市の建築設計事務所「オンデザイン」内にある「アーバン・サイエンス・ラボ」によるWeb連載記事です。テーマごとに、事例を集め、意味付け、体系化、見える化していきます。「科学」は「さぐる・分かる」こと。それが都市の未来を「つくる」こと、つまり「工学」につながり、また新たな「さぐる」対象となる。 そんな「科学」と「工学」のような関係を、思い描いています。
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