Another City
#02
今日を摘みなさい
文 筆 家 ・ 佐 伯 誠 の
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「わたしが心配なのは、われわれが感化・伝染によって、この新大陸の没落、崩壊を早めてしまいはしないか、われわれの考え方や技術を受け入れて、大変な代償を払うんじゃないかということだ。」
『随想録』で知られるフランスのモラリスト、モンテニューは、16世紀にこう憂慮していた。
ここでいう新大陸というのは、発見されたアメリカ大陸のことだ。
文字も、衣服も、パンも、ワインもない無垢の大陸が、ヨーロッパの文明によって汚染されて変容するであろうことを案じていた。植民地主義に対して、批判的でもある。
けれども、モンテニューの先見の明も、歴史の奔流に抗うことはできなかった。そのことは返す返すも痛恨だと思う。
原始林が伐採され、凍土が発掘され、ウイルスが解き放たれて、まず野生動物が汚染されて、それが都市へと伝播するというメカニズムは、グローバリズムによってさらに加速した。
アメリカ大陸を踏んだ最初の一歩は、取り返しがつかない一歩だった。
お城に閉じこもって、ひたすら思索していた孤高の文人だと思っていたが、彼は、絶えざる戦争と虐殺の時代をくぐっていた。しかも、ペストの災厄は自身をも脅かした。
モンテニューの説く生きる知恵の一つひとつが痩せた地に育った果実のように、噛みしめると滋味が深い。ボルドー市長でもあった実践の立場で、移ろいゆく世の中をみつめて、世界は動いて、自分も動いているということを自覚していた。
慎重で、過激さをきらい、頭でっかちな人を遠ざけたという。
その説くところは、おぞましい戦中にあって、いかにして穏やかな生活を送るかということにつきる。
『随想録』が世に出てから440年経って、忌まわしいパンデミックについて、さまざまな言説が氾濫しているが、モンテニューならなんと言うだろう?
彼が言うことは、おそらく一つだろう。
「今日を生きよ、今日という日を摘みなさい」
それ以上のことを望むより、ポスト・コロナの日々にそなえて正しく呼吸を整えることだ。
マスクを付けて、ドアを開けて、大通りの向こうにあるスーパーへ自転車のペダルを踏んだ。
profile
佐伯 誠 makoto saeki
walker+cyclist+文筆家。コロナで閉じこもってみて、街には、路地と、古本屋と、ジャズの流れる喫茶店と、小さな映画館、それに酒がのめる蕎麦屋が、あってほしいと痛感。ヨコハマは、それがそろっている。奇跡的なことだ。いつまでも、そうあってほしい。
松本祥孝 yoshitaka matsumoto
photographer +横浜関内にてmatsumoto coffee roasters 主宰。料理写真、街歩き写真が得意分野。コーヒー焙煎と白黒暗室の奇妙な関係を探索中。コーヒーの出前屋台や出前授業なども行う。横浜野毛ジャズ喫茶ちぐさで日替りマスター隔週金曜日担当中。