#01
アウトドア
ファニチャーの歴史
自宅でもオフィスでも、素敵なインテリアをつくるために欠くことができない重要なアイテムとなっているのが、“椅子”。じつはヨーロッパのライフスタイルには、古くから椅子を屋外で使用する文化がありました。
そして、その文化をいちはやく日本に取り入れたのが、NICHIESU(以下、ニチエス)です。1958年(昭和33年)、日本で初のガーデンファニチャーの製造販売会社として創業したニチエスは、現在も世界中のアウトドア家具を厳選し、輸入販売を続けてます。
今回から2回に分けて、ニチエスの田中夏子さんにお話を伺いながら、アウトドアチェアの歴史や日本の最新事情などについてお届けします。
産業革命がもたらしたライフスタイル
紀元前約3,000年頃から王の権力を表す象徴として存在していたと言われる「椅子」は、脚と座面という形を変えず、人間の暮らしにはなくてはならない存在です。もともとはプライベートな空間の“居場所”として、リラックスするための道具でしたが、アウトドア仕様となって屋外にも持ち出されるようになったのは、いつ頃のことだったのでしょう––。
「家具、とくに椅子は人間の居場所の最小単位として考えることができます」と田中さんは話します。太古の昔から、身の安全が確保されたプライベートな空間として、食事のため、作業のため、リラックスや語らいのために椅子は使われてきただろうことは、現代の私たちからにも容易に想像できます。
一方で、アウトドアに椅子を持ち出し、居場所をつくることが一般化したのは、太古の昔からずっと後の18世紀後半頃のことだと言われています。
18世紀後半から19世紀の産業革命では、金属製品(鉄製品)が大量生産できるようになったことで、人々の暮らしや働き方、余暇の過ごし方に大きな変化をもたらされました。椅子の素材にも鉄製品が生まれ、大量に供給することが可能になりました。
ただ人々の生活が便利になる一方で、環境問題や労働者の働き方や住環境の劣悪化など、さまざまな弊害も生まれました。
安価で粗悪な商品が大量生産されていく状況を憂慮したウイリアム・モリス(1834-96)がイギリスで、アーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)を提唱したのは、19世紀後半のことでした。
「伝統的な人の手による工芸を見直し、芸術的で美しい日用品や生活空間を提供することで、人々の生活の質を向上させる」という理想のもと始まったこの運動は、大量生産品を供給されるばかりの社会の中で、「人間が本来求めているものは何か?」を問い、人の暮らしを見つめることをデザイン理念とし、世界中のデザイナーに影響を与えました。
印象派から見る椅子の文化
時を同じくして、19世紀後半フランスの美術界では『印象・日の出』(クロード・モネ/1872)に端を発した「印象派」の潮流が生まれます。
それまで一般的だった歴史・宗教を主題とした絵画(それらはアトリエ内で制作されたものでした)から、風景や生活の移ろいをキャンバスに定着させる絵画様式が瞬く間に人々を魅了するようになりました。
自然光の質感や色彩の変化をいかに絵画で表現するか、に重きをおくこの様式の潮流は、画家たちを屋外での制作へと連れ出し、同じ場所であっても時間や気候が異なることでまったく異なる作品となり、一時的な陽の光だけではなく、その移ろいをも捉えられることに画家たちを夢中にさせました。
そして、絵画の制作時には画材道具だけでなく、椅子も持ち出されたことは想像に難くありません。
1877年、パリにて行われた第3回印象派展。そこに出展された『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(ピエール=オーギュスト・ルノワール/1876)には、当時のハレの場がいきいきと写し出されています。木漏れ日の中で人々が踊り、談笑する様子にはアウトドアファニチャーが欠かせないものだと見て取ることができますね。一方この絵画の中には、金属製の照明器具や鋳物の高架なども描かれています。産業革命の賜物もまた当時の都市空間には欠かせないものだと知ることができます。
「当時、工業化の進んだ社会の中で揺り戻しのようにアウトドア文化、ピクニック文化が発展した」という田中さんの言葉はとても印象的で、工業製品によって豊かになった生活のなかであっても、人はアウトドアの気持ちよさを忘れること無く、むしろそこへの憧れを強めるという心の動きがあったと知ることができました。
屋外で気持ちよく過ごすため、居場所を作るためのアウトドアファニチャーの歴史が本格的にはじまった時代であるといえます。
アルミの時代の始まり、一方、日本では
20世紀に入ると、アルミニウム加工技術の発展によりそれまで工業材料だった鉄だけではなく、アルミ製品の大量生産が可能になりました。日本でも戦前からアルミニウム製錬・加工工場が次々と現れ、戦中の軍需により大きな発展を遂げ、戦後には軽くて加工性に優れたアルミ製家具が一気に浸透していきました。
日本の戦後といえば、高度経済成長期を迎え「働き者の日本人」のイメージを確たるものにした時代でもあります。当時は「会社で働き、家で寝る」を淡々と繰り返すライフスタイルが一般的で、がむしゃらに働くことの美徳の影で、余暇の過ごし方はないがしろになりがちでした。レジャー産業はまだまだ発展途上の時代だったのです。
そんな最中の1958年に、日本エスエス管工業株式会社(現在のニチエス 株式会社)が誕生しました。もともと銅をはじめとした非鉄金属製品の製造をしていた創業者の久野春雄は、アルミパイプによる独自の加工技術を使った製造を開始しており、同時期にアメリカを旅した際に目にしたアウトドアレジャーに衝撃を受けたとそうです。
田中さんによると「車に折りたたみの椅子を積んで、レジャーに出かけるなど、当時の日本のように働いて寝るだけでないアメリカ人の余暇の使い方、アウトドアライフの楽しみ方がとても豊かで、その衝撃が会社の方針にも大きく影響を与えた」と話してくれました。
1960年代、ニチエスが提案したアウトドアライフの販促資料には、家具を庭に持ち出し、家族団らんを楽しむイメージビジュアルがあります。
そこには、日本のライフスタイル、余暇の過ごし方により多くの選択肢をもたらしたい、という創業者の思いが伝わってきます。今見ても、とても楽しそうだし、オシャレ。
日本では馴染みのなかったアウトドアファニチャーをいち早く取り入れ、まずは庭やテラスをリビングのように使い、屋外を使ったより豊かなライフスタイルを目指し提案し続けてきたニチエス。
現在では樹脂やポリエチレンによる素材の種類も多岐にわたり、輸入アウトドア家具の販売最大手としてその道を切り開いています。
オフィスで実験をしてみる
産業革命後、人々の心がアウトドアや自然に揺り戻されたことは前ページで紹介した通り。
IT化が進んだ現代も、オフィスワークの量が膨大に増えたことと、ここ数年のアウトドアブームには同じ関係性があるのではないか、と田中さんは分析します。
仕事から離れた時、リフレッシュやリラックスするために、自然を求めることは、人間の本能と言えます。イノベイティブな企業ほど、社員がPCの画面に向かわない時の空間づくりや雰囲気づくりに積極的に取り組んでいるのも、そのあらわれと言えるかもしれません。
「百聞は一見にしかず、とはよく言いますが、アウトドアファニチャーの良さは言葉を尽くすよりも一度体感することでその価値を一気に納得してもらえることが多いんです」と田中さん。
オンデザインのオフィスでは、代表の西田さんをはじめ20名もの建築家たちが日々仕事をしています。設計という仕事は、まだこの世にはない空間を創造するだけでなく、そこにいる(だろう)人の快適さ、心地よさも一緒につくり出すことが求められます。
そこで世界で愛用されるアウトドアファニチャーをニチエスから提供していただき、日々使うことで設計のイメージを広げていく、という“実験”を始めています。
次回は「都市に新しい居場所をつくる椅子」と題し、引き続き、ニチエス の田中さんにお話を伺いながら、実際に公共空間で使われているアウトドアファニチャーにスポットを当てながら、そのストーリーを紐解きます。
profile |
田中夏子 natsuko tanakaニチエス株式会社 専務取締役 |
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