Book Log
#02
オンデザイン読書会
テーマ「居場所」
居場所の種類
櫻井 今回、私が選んだ本が一番“私的”な居場所のように感じました。
西田 選んだ理由の「自分の手で簡単に変えられる居場所のつくり方」には僕もすごく興味があります。
櫻井 自分が動いたら居場所も動くような、場所ではなくモノに依存している居場所もある気がして。
鶴田 自分でつくれる居場所!
伊藤 居場所には、自分でつくる居場所もあれば、人と喋ったり、コミュニケーションが居場所をつくることもあると思う。スナックって、基本的にお酒飲んでワイワイ話したり唄ったりする場所で、知らない人とも気軽に話せる空気感があって、みんなと場を共有するから魅力的な居場所に思われるのかなと。
櫻井 たしかに、スナックはひとりでも数人でも、ママとも話せるし周りの人とも話せるイメージがあります。
鶴田 いろいろな小さい要素が重なって、居場所は生まれいるのかな。例えば、人が話している状況、ちょっと座って腰掛けている状況、街に対して建築がオープンであったり、気候が気持ちよかったり、そういう小さな要素から居場所って生まれているのかも。
居酒屋(※一部抜粋)
居酒屋を〈消費する場〉としてより〈交流する場〉として見据えていることである。つまり、私が居酒屋で注目したいのは、物の流通および消費ではなく、人との出会いおよび交流、さらに、〈人〉・〈店〉・〈街〉の重層的な関係である。
「日本の居酒屋文化—赤提灯の魅力を探る—」より抜粋
空間と居場所(※一部抜粋)
空間(space)は人間が居なくても成り立つ。場所(place)は人間が居て始めて成立する。空間の創出に明け暮れた都市計画を超えて、場所の創造を企図するプレイスメイキングをめぐり、生き生きとした人間の活動と地域への誇りはいかにして可能かを考える。
「人間の居る場所」より抜粋
西田 僕は『人間の居る場所』を読んで、「居場所」と「空間」の違いにとても納得しました。自分たちの仕事を振り返ると、じつは空間をつくっているというよりは居場所をつくっているなと。建築設計もまちづくりも、結局、そこにどういう人がいて、どういう空間があればいいのか、どういうイベントがあればいいのかを考えるわけで。
まちづくりって、自分が参加している感覚が強いかがどうかが結構重要なのではないかなと思う。まさにスナックがそれで、せいぜい10人以下しか入れない空間で、顔なじみの客と喋りながら過ごす。そうやって場所自体を自分のものとして捉えられると居場所だと感じるのではないかな。
櫻井 私は『日々が大切』を読んで、それはモノに置き換えて語られているような気がしました。例えばコップは水が飲めればいい器だけど、自分の興味や好みに引き寄せてコップって選びます。「自分のモノにしている感覚」は「自分が参加している感覚」と近い意味なのかも。
伊藤 自分のモノとして捉えられるかどうかが大事な要素だと考えると、面白いのが飲み会の二次会。結婚式で考えるとわかりやすくて、一次会と二次会の切り分けを考えた時に、習わしや建前で行うのが一次会で、二次会はそれよりもカジュアルな会で、むしろリアリティがあるように思える。どんな会もたいていは二次会のほうが盛り上がるし、非日常なので居場所とは違うかもしれないけど、自分が参加している感覚と似た感覚はある。
西田 そういう二次会の舞台のひとつがスナック的な居場所という部分にもつながっているような気がする。
伊藤 みんなと過ごす居場所と、櫻井さんの話す個人の居場所と今ふたつの居場所があがりましたね。
自分の好み(※一部抜粋)
店選びは自分の好みを自覚することから始まるものである。
「日本の居酒屋文化—赤提灯の魅力を探る—」より抜粋
鶴田 櫻井さんが話すような個人の居場所は自分の好みを自覚した上でつくられている。スナックも自分が参加して居心地がいいという感覚を実感した上で場所ができる。それがふたつの居場所の共通点なのかなと思いました。
共有する
櫻井 あと自分の好きなことを人と共有するのも結構大事かも。
四季折々のプレゼント(※一部抜粋)
私は昔、週刊誌の表紙に絵をつける仕事からスタートしました。
自慢になるけど、幼稚園や保育園の入園お祝いに、私がプリントの絵を描いてたパジェマをあげると、お昼寝などに持たせるのがうれしいと喜ばれていたらしいのです。
「日々が大切」より抜粋
鶴田 オンデザインが手掛けている「津久井プロジェクト」の中で、共有部に自分の好きな本があるだけで何となく空間をきれいにしようと思ったり、自分の本が他の人に読まれたのかなって感じるだけで相手の顔が見えなくても何となくつながりを感じたり、居場所のつくり方には、そういう些細な生まれ方もあるのかなと思いますね。
伊藤 確かに好きなことを共有する楽しさもありますよね。あと、自分の好きなことだけではなく、自分の感情や境遇なども共有することが大事かなと。
なぜスナックで語りたくなるのか(※一部抜粋)
ママの人柄や店の雰囲気を慕って、客が「宿り木」あるいは「居場所」でくつろいでいる。うれしい話も、悲しい話も、仕事の愚痴も、打ち明け話も、自由にやりとりされている。
「スナック研究序説—日本の夜の公共圏—」より抜粋
伊藤 そうやってママや常連のお客さんに、励まされたり叱られたりしながら過ごすのがスナック。人と会話をし、共有することで居場所ができているのかなって思う。
鶴田 その「共有している感覚」っていうのが居場所には大事なのでしょうね。プロジェクトごとで居場所を考えるときも、それがモノなのか、コトなのかは様々だけど、何かを共有することを大事にしていると思う。
西田 つまり、今、話している居場所には2面性があって、公共の場でみんなと過ごす居場所と、家など身の回りにある自分にとっての居場所。何となく公共の居場所は、その場所にあるコミュニティから発生して居場所ができていたり、伊藤さんが言うように、会話をすることから居場所ができているので想像しやすいけど、自分の身の回りの居場所は、もう少し言語化できるといいかなって思います。それは櫻井さんが選んだ本のように、自分の身の回りに、自分の趣味や好きな本を置いたりして、その場所をカスタマイズすることで自分の居場所が生まれるってことなのかも。
「居場所とは何か」っていうのは、もちろん設計のコンセプトを決める段階でつねに考えるけど、例えば「神奈川大学国際学生寮プロジェクト」は、街のような居場所がテーマ。廊下を歩きながら路地を歩いているような体験から、もっと交流を促進させることができるのではないかと。またそれを具体的にどう空間に落とし込んでいくか。これって、つまり居場所がどう生まれるかって考えることと同じだと思うんだけど、それが個人の居場所とどう関係してくるのかなと思いました。