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ベルリン見聞録
#04
まちづくり
HolzmarktとNION編

text & photo : yoichi koizumi 

 

連載シリーズ第4回は、昨今注目を集めるベルリン発のまちづくりの取り組みについてレポートします。話題の「NION」のキーマンにお会いし、日本との連携も視野に入れた今後のプロジェクトなど、興味深い話をいろいろと–−。

 

 

「ベルリンに行こう」と思いたった時、まちづくりの先輩から教えてもらった本がある。メディア美学者を名乗る武邑光裕先生の『ベルリン・都市・未来』という著書で、2018年に出版され、最近のベルリンのスタートアップ事情や、テクノロジーが描く都市の未来像を伝えてくれている。

筆者の武邑先生は日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学などで教授職を歴任、インターネット黎明期からメディア論、デジタル社会環境論を研究してきた第一人者である。10年札幌に住んだ後、拠点を移して自分の情報環境を変えようと、ベルリンに移住したそうだ。

 

反ジェントリフィケーションの砦、Holzmarkt

僕がこの本を買ったのは、Holzmarkt(ホルツマルクト)についてもっと詳しく知りたかったからだ。Holzmarktについても、その先輩が視察に行ったことを伝え聞いたことから名前を知った。

まず、この場所について説明しよう。Holzmarktとは直訳すると「材木市場」という意味で、それ自体はただの地名である(新木場みたいなものかな)。

Holzmarktの入り口。クラブシーンの象徴、巨大なミラーボールが吊るされている

Holzmarktは、ベルリンを東西に貫くシュプレー川沿いの18,000㎡もの敷地をもつネオコミューンである。そこには、DIY的につくられたパブリックスペース、住居、クラブ、レストラン、幼稚園までもが渾然一体と存在している。

もともとベルリンの壁が立っていたこの場所に、壁崩壊後できたのがBar 25という伝説のクラブで、クラブのみならずレストランやホテルなどを自分たちでつくっていったという。

2009年、ベルリン市当局の再開発計画、メディアシュプレーによって突然閉鎖させられたBar 25のメンバーたちはそのホテルやマンション、マスコミ社屋などの高層ビル開発計画に反対し、スイス年金機構から融資を得てこの土地を75年リースとして再びその手に取り戻した。そうしてできたのがHolzmarktである。

その経緯や、創設者のJuval Dieziger氏の意図についてはこの記事が詳しい。ベルリンの都市型エコヴィレッジHolzmarkt。ネオヒッピーがつくる自然と文化と経済の循環コミュニティ | bound baw

再開発により、荒廃した街がきれいに生まれ変わることを「ジェントリフィケーション」という。新築のマンションや施設ができることで、エリアの地価が向上するが、もともとあった街の雰囲気や風景が失われることや、安くて広い住処や作業場を構えていた若く活動的なクリエイターたちが居場所を奪われることにもつながる。

そういった場所(テクノの本場ベルリンならクラブなど)からは独自のカルチャーが発信されていくことが多いので、開発者たちもその文化的な側面をいいとこ取りしてブランディングにつなげようとするが、追いかけただけ逃げていくのがオルタナティブなカルチャーというものだ。

信じられないほど家賃が上がったシリコンバレーやロンドンから出てきたクリエイターやハッカーたちが、今住んでいるのがベルリンだと言われているが、それもジェントリフィケーションによって脅かされつつある。そうした反ジェントリフィケーションの象徴的な砦がこのHolzmarktと言ってもいいだろう。

ベルリンにそんな自由な場所があり、その運営も有機的だと聞いて行ってみたくなった。今回の旅のいちばんの目的のひとつでもあった。

実際に行ってみると、なんのアポイントもなく入れるのは川沿いの空き地とビアバー、オーガニックなピザスタンドといった趣で、それはそれでピースフルでヒップで日本にあったら素敵だなと思うのだけど、意外とこんな感じなのか、と思ったのも正直な感想だった。

ピザスタンドのお姉さんたち。スタッフのフランクな空気感もいい場所の雰囲気をつくる

おそらく、建物側に入ったりクラブに行ったりすればもっと違う印象だったろうし、Juval氏たち運営メンバーと話したりすればその苦労やパッションを感じることができたのかもしれない。

日本だったらこんな都心の一等地の川岸にパブリックスペースを民間が運営していること自体が奇跡のような存在だと思うし、僕らも最初に入ったとき、それなりにがっつりハシャいだのも事実だ。

前出の記事にあるように、このパブリックスペースのビール代が売上の大きな部分を占めているのだとすると、川面の煌めきとそよ風を感じながら気持ちよくビールを飲むことがここの正しい過ごし方なのだろう。

ただ、違和感を感じているというよりも、自分がこの場所のいち観光客でしかなく、再開発に反旗を翻す闘士のひとりでないことへのもどかしさを感じていたのかもしれない。この場所は、たぶん一緒につくっていく側に入ったほうがずっと面白い。Holtzmarktは今も決して安泰なわけではなく、なおも取り壊して再開発を進めようという計画に反対を続けている。

 

ベルリンと日本をつなぐ新しいまちづくりプロジェクト、NION

じつは渡航前、Holtzmarktでインターンかボランティアをできないだろうかと考えていたのだけど、武邑先生の本やAXISの記事などを読み、そこで「Holtzmarktの次の世代の取り組みとして注目」というような紹介をされていたNIONというプロジェクトが気になった。

調べてみると旧来の知人だった井口奈保さんという方がChief Community Catalystとしてコアメンバーのひとりを務めていることがわかり、Facebookで連絡を取ってみると、快く受け入れてくれることになった。と言ってもNIONで僕がボランティアやインターンをするフェーズでもないということで、あるプロジェクトのアイディエーションのワークショップに参加させてもらうことになった。

ちなみに5年ほど前に、ベルリンの奈保さんたちが主催したラーニングジャーニーには、宮城県石巻で僕がとてもお世話になっている石巻工房の千葉さんや、イトナブの古山さんも参加している。ふたりともその時のベルリンでの経験を絶賛していたということも、今回の渡独の後押しになった。

さて、NIONとは何か、それを一言で表すのはとても難しい。というか、今も完全に理解できていないだろう。武邑先生のテキストの中には「ジャパンタウン」という表現があるが、これも正確ではないと感じている。

NIONは起業家でありアーティストのRyotaro Bordini Chikushi(リョウタロウ・チクシ)さんと井口奈保さんのふたりがベルリンのアーバンプランナーたちと創業したプロジェクトで、創立から3年ほど経っている。

ほかにもメディア系の人や、建築家、デザイナーなど、様々なメンバーが有機的に参加している。ドイツ人のメンバーも、日本に何度も行っていたり、住んでいたこともあるような人ばかりで、それぞれの名刺に書いてあるカタカナの名前表記からも日本への愛が伝わってくる。

彼らが目指しているのは、日本とベルリンをつなぎ、そのエッセンスを持ちながらベルリンで新しい「まちづくり」をしようというものだ。日本の商店街や工芸、アート、テック、銭湯や自然といった要素を取り入れながらベルリンに新しいコミュニティの拠点をつくる。そしてそのためのワークショップやイベント、学びの場をいくつも開催している。

Co-founderのリョウタロウ・チクシさん。日本で暮らしていたこともある

だが、まだ「ここに行けばNIONがある、わかる」という場所はない。活動の拠点もフレキシブルで、コアメンバーも専業でNIONだけをやっている人はおそらくいない。

僕がリョウタロウさん、奈保さんとともに参加させてもらったワークショップは、これからつくろうとしている、ある巨大なリノベーションのためのブレストで、詳細はまだまだ初期段階のため未公開なのだけど、カルチャーやビジネス、食も含めた新しいライフスタイルのための拠点を目指している。

実現のために、今後もぜひ関わり続けたいと思うようなプロジェクトだった。なにより、今回一緒にブレストさせてもらったリョウタロウさんと奈保さんのポジティブなヴィジョンがとてもよく、「街ってこうやって個人が考えてつくっていっていいんだよな」と改めて思い出させてくれる機会でもあった。その時のワークショップの様子については奈保さんがNIONのブログに記してくれている。

NIONのCo-founder井口奈保さん。今回とてもお世話になった

日本で、例えば中心市街地に何万平米という大きな空き床が出たときに「次、何ができるんだろう?」と思ったとしても、それを自分たちでなんとかしてみようとはならない。お金ないし、でかすぎるし、いろいろ理由をつけて一瞬思い浮かんだ妄想を振り払う。

そういう大きなプロジェクトはデベロッパーや投資家の仕事だ、と思おうとする(実際に、東京のデベロッパーで仕入れの仕事をしている僕の叔父は、空地が出る何年も前から何十人もの土地オーナーと交渉を続け、細かい土地をまとめていって再開発へと働きかけている。都心の土地を細かく個人が所有しているという日本独特の状況がそうさせているのだろう)。

できあがったら、100点の僕ら好みのものはできないだろうけど、60点くらいの、まだほかに入ってないおしゃれなテナントをリーシングしたり、ちょっとしたエリアマネジメントとかに取り組んでいい感じにやってくれたらいいから、と考える。いや、「いつからそんなに都市に対して諦めモードになったんだ?」と自分に驚く。「建築学科に入学したばかりのころはもっと夢に溢れていたじゃないか!」と。

NIONメンバーと。真ん中はブロガーのマイケさん。日本通のメンバーにふさわしいお土産を熟慮した結果、石巻で調達した米と海苔と缶詰の「オリジナルおにぎりセット」

なんというか、NIONだけじゃなく、ベルリンの人たちは都市を自分たちのものと思う気持ちがとても強いと感じている。それは、HoltzmarktのようなDIY的なプロジェクトももちろん、前出の記事で紹介したTempelhoferfeldという公園に開発の手がかかろうとすることにも猛烈に反対する。世界最大の企業、Googleが欧州拠点をつくろうとすることにも反対、開発計画はキャンセルに追い込まれた。

今、ベルリンはヨーロッパの中でも物凄い勢いで家賃が高騰していて、「貧しいが魅力的」な街からきれいで高級な街へと変わろうとしている。

そういったジェントリフィケーションに徹底抗戦しているのが今のベルリン市民たちだ。ただ金持ち企業が来ることが嫌なのではなく、それが「自分たちの街らしくないから」という理由で退けようとしていることが胸を打つ。

おりしも僕の住む横浜は、港湾地区最後のフロンティア山下ふ頭にIR(=Integrated Resort)施設を誘致することを市長が決め、議論を呼んでいる。

しかし、その反対意見の多くはギャンブル依存症が増えるとか、カジノはいらないと言った声がほとんどで、横浜のアイデンティティに言及されることは見られない。もちろん、ネット上の意見は自分が観測できる範囲に偏りがあることはわかっているけど、「本当は、自分たちの街らしさとは何か」が第一に来るべきなんじゃないかと思う。

そして、それに対する反対意志の表明が市長のリコールしかないのか、というのも疑問がある。市長の首をすげ替えることがしたいのではなく、ただ横浜が横浜らしい誇りを持てる街づくりをしてほしいだけなのだ。

ベルリンを東西に流れるシュプレー川。左手の茶色と白の建物はメディアシュプレー計画でできたNhow Hotel。レコーディングスタジオ併設で、音楽家ニーズに特化しているデザインホテル。建築家セルゲイ・チョーバンとデザイナーカリム・ラシッドの設計。これだってオシャレで、世界中から観光客やクリエイターを呼び、経済を好循環させる。それのいったい何が悪い?

僕たちは、自分の街らしさ、自分が暮らしを営みたい街とはどういうところか、もっと考えないといけない。どこに住み、どこで働き、どこで買い物をし、どこで安らぐのか。

一つひとつの生活の選択が、自分たちの街をつくる。そしてもっと直接都市のことを語り、行動したっていいはずだ。

 

次回の「ベルリン見聞録」も、お楽しみに!
(前回までの記事)
現地報告!「ベルリン見聞録」#01 パブリックスペース編
ベルリン見聞録 #02 マルクトとフード、クラフトビール編
ベルリン見聞録#03  シェアモビリティと自転車編
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小泉瑛一 yoichi koizumi

建築家/ワークショップデザイナー
1985年群馬県生まれ愛知県育ち。2010年横浜国立大学卒業。2018年青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム修了。2011年、宮城県石巻市で復興まちづくりの市民アクション「ISHINOMAKI 2.0」設立に参画、現場担当として様々なまちづくり活動に携わる。横浜の建築設計事務所オンデザインで拠点運営やエリアマネジメント、市民ワークショップなどを中心に担当。参加型デザインがテーマ。共著書に『まちづくりの仕事ガイドブック』(学芸出版社)。趣味は自転車。