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新連載
「暮らしのあとがき」
~ストリートを探す?

text & photo : naoko arai

“建築家とつくった家で暮らしたい――”
そんな夢を実現させたのは、雑誌や広告、また弊Webマガジン『BEYOND ARCHITECTURE』にもたびたび寄稿いただいているライターの荒井直子さん。リノベから新築まで、これまで多くの住宅案件を取材対象にしてきた荒井さんにとって、自ら体験した家づくりとはどんなものだったのか。竣工から一年が経過した今、“家づくり”の醍醐味を3回にわたって連載していきます。

エッセイの舞台は、隅田川沿いの下町風情とモダンな街並みが融合する清澄白河。

 

ことのはじまり 

 少しでも住まいに興味をもつ人ならば、一度は「自分好みの家をつくりたい」と夢見たことがあると思います。ましてやわたくしライター荒井、もともと家好き・間取り図好き。そのうえ、住宅・建築を見始めておよそ四半世紀ともなれば、頭のなかは夢と妄想でパンパンだったことは言うまでもありません。

 そんな私に、家をつくれるかもしれないという、願ってもないチャンスがおとずれました。直接的なきっかけは、住んでいた賃貸住宅の退去を迫られるというちょっとしたハプニングだったのですが、その理由も今となってはいい後押しになったと思います。とにかく、これまでため込んだ知識を使い、夢を実現できるかもしれない絶好の機会がやってきたのです。

 ところが、いざ自分事としてスタートしてみると、家づくりは想像以上に一筋縄ではいかぬもの。場所選び、家選び、新築かリノベーションかと、紆余曲折の長い道のりが待っていました。もちろんそこには、予算という最大の壁が立ちはだかっているもので……。結果、計画スタートから竣工までおよそ3年の月日を費やすことになりました。この連載では、その道のりをお伝えしていこうと思います。

荒井 直子

清澄通り

 
東京・下町の中古マンション探しからスタート

 計画スタート当時、わが家が住んでいたのは東京・江東区の清澄白河。商店街沿いに建つ小さな賃貸住宅で、駅もスーパーも徒歩数分。商店街では年に数回お祭りが開催されるような下町らしい賑やかな場所で、子どもが小さかったこともありとても気に入って住んでいた。さらに、両親やきょうだいも近くに住み、夫の実家も電車1本30分ほど。エリアは迷わずに清澄白河に決定した。

 次に考えるのは住まいの形だが、これも迷わず中古マンションに。仕事柄、移動が多く、さらに自分や子どもの将来を考えると暗い夜道はなるべく短くしたい。となると駅から近いマンションがいいだろうという結論だった。

 ところが探し始めて1年余りが経った頃のこと、両親が知り合いの一戸建て売却話をもってきた。一戸建ては想定外だったが、近所だったこともあり軽い気持ちで見学に。結果的にそれが大きな転機となった。

 

まちにすぐ接続できる一戸建ての良さに開眼

 結論から言うとこの家にご縁はなかったが、一戸建てを見学してからというもの、実は自分の描く理想の暮らしは一戸建てのほうが適しているかも? と思うようになっていた。というのも、私は住まいと仕事場を兼用するフリーランスの身。家はプライベートな場でありながらも、意識的にはパブリックでもあり、外の世界に緩やかにつながる場。物理的にも心理的にも外にアクセスしやすい一戸建てのほうがより自分のライフスタイル、ワークスタイルにフィットすると感じるようになった。

 そしてやはり、一戸建ての空間の豊かさは魅力的だった。はじめに見学した家は標準的な広さで設計やデザインもごく一般的。それでも吹き抜けや天窓、ロフトといった多層構成だから叶う装置がたくさんあった。小さな子どもがいることを考えても、一戸建てのほうが楽しい暮らしができるだろうな……。その思いは家族も同じで、これを機に一戸建てに方向転換することになった。

 清澄白河はもともと職住が混在したエリアで、昔は材木店や米店の倉庫など商業地として使われていた土地が多い。近年はそうした商業地がマンションになったり、建売住宅になることも多く、案外、土地の流通がある。しかし当時の清澄白河はブルーボトルコーヒーの日本上陸に代表されるカフェブーム。さらに2020年に予定されていた東京オリンピックを前に不動産価格も上昇中。条件のいい土地はもちろん価格も高く、なかなか落としどころが見つからない。迷いながらもいくつか候補の土地をピックアップし、まずはこの段階で一度オンデザインの扉をたたくことにした。

サードウェーブの火付け役となったブルーボトルのある通り

隅田川近くにある通り

 

なぜオンデザインの西田さんに相談したのか?

 実は数年前から、もしも自分に建築家と家をつくるチャンスがあるならば、西田さんにお願いしたいと考えていた。西田さんのことは前身のスピードスタジオ時代からメディアを通して知っていた。当時は大学を出てすぐに独立した将来有望な若手建築家の一人という認識で、繊細なアーティストっぽい風貌がちょっと近寄りがたい雰囲気だな、と勝手に思っていた。

 しかしながらその後、実際に西田さんやパートナーとして組むスタッフの人たちと取材現場で何度もお会いするうちに、西田さん率いるオンデザインならきっと気持ちの良いコミュニケーションが取れて、いい議論ができて、家づくりのプロセスを楽しめるんじゃないだろうかと思うようになっていた。西田さんたちの考え方やつくる家が好きだったことはもちろんだが、やはり家づくりはその過程のコミュニケーションがとても大事。しかもおそらく、人生で建築家と家をつくれる機会は一度のこと。思い残すことなく、遠慮することなく相談できる建築家にお願いしたいと考えていた。

 さらに、西田さんの建物の設計だけにとどまらない近年の仕事ぶりに共感するものがあったことも大きい。私はこれまでたくさんの建築、住宅、まちづくりを見てきた。デベロッパーの商品企画や新規事業の生まれる場に立ち会う機会もあった。そうした経験のなかで、住宅そのものが心地よいことはもちろんだけれども、まちの環境やまちとのつながり方も心地よさをはかる重要な要素だと思うようになっていた。西田さんは東日本大震災をきっかけにうまれたプロジェクト『ISHINOMAKI2.0』の頃から、まちづくり、居場所づくり、コミュニティの設計から運営まで、従来の建築家の仕事の範疇を超えた活動が目立っていた。そんな西田さんなら、住まいをまちとの関係性からいっしょに考えてくれるに違いない。そう考えた。

 

脳と肌の総面積は同じ⁉

 初めての打ち合わせでは、これまで暮らしてきた家の履歴から、今の賃貸住宅の立地を気に入っていること、その賃貸住宅を2年後に退去しなくてはならないこと、家族構成と年齢、ワークスタイル、家に対する夢や希望といったことを一方的に西田さんに話した。西田さんはとくに口を挟むことなく黙々と目の前のパソコンのキーボードを叩いていた。その後、候補の土地情報を見せながら、この道は車が通れないとか、この道は夜になると人通りがなくて心配とか、この場所はちょっとさみしいとか、それぞれの決めかねる理由を話していると、西田さんがポツリと言った。

 「荒井さんは結局、どのストリートに住むかが大事なんじゃないですか?」

 ストリート……? 目から鱗の視点だった。立地にこだわっている自覚はもっていたが、西田さんに指摘されるまで明確に“ストリート”という視点はもっていなかったと思う。でも、思い返せば西田さんに話していることは、前面道路がどういう環境にあるかということばかり。確かに、西田さんのいうとおりだった。そして西田さんが続けた。

 「なんで土地を決められないのかなって思って話を聞いていたんです。だから、何を大事にしているのかなって思って。僕たちはどんな土地でも基本的には建てられるから、荒井さんが絶対にココって思う場所を選ぶことが一番ですよ。たぶん、荒井さんがピンときていないのなら、きっとそこではないんだと思います。よく肌感覚っていいますけど、なんとなく引っかかるとか、なんとなく好きとか、そういう感覚ってすごく大事なことだと思っていて。人間の脳の皺を伸ばすと肌の総面積と同じくらいって言われていて、それはつまり頭で出す論理的な判断と肌で感じる直観は同じくらい重要ということなんですよね。予算とか広さとか駅やスーパーからの距離っていうスペックを頭で判断することはもちろん大事ですけど、いま感じている肌感覚を大事にしたらいいんじゃないですか」

清澄公園の横道

清澄庭園の横の通り

 

暮らしたいストリートとは?

 西田さんの言葉を胸に、東京に戻ってから改めて土地を見返してみた。その結果、それまで検討していた土地はすべて候補から外すことにした。西田さんのいう肌感覚。頭ではなく直観を頼りに、そして“住みたいストリート”という視点で土地探しをリスタート。

 住んでいるエリアでの土地探しだったので、チラシや不動産屋の情報はもちろん、とにかく好きなストリートを歩いてまわり、空き地や空き家はくまなくチェック。少しでも気になればすぐに不動産屋に問い合わせを繰り返すこと約2か月。好きなエリアに中古の一戸建てが売りに出されていることを知る。夫と現場に訪れるなり「この場所、よくない!?」と声をそろえた。駅から徒歩1分ほど、北と西が道路に面した角地に建つ鉄骨4階建て。北面道路は一方通行で幅5mほど。西側道路は路地のような細道で、子どもたちがチョークで道に落書きをしているような懐かしい昭和感、隣は今のところ駐車場。住んでいた賃貸住宅のある商店街と駅前大通りの間にあるいわゆる生活道路で、人通りの具合もちょうどいい。建物自体は建て替えかリノベーションは必須だが、場所、そして何より面するふたつのストリートがおもしろい。

「ここでチャレンジしよう!」

ようやく、脳も肌も“ピンっ”とくる場所に出合ったのだ。

下町らしさが残る路地

 

次回、「リノベーションという選択 編」をお楽しみ!

 西田さんの「ストリートが重要なんじゃない?」「肌感覚が大事」というふたつの指摘がなかったら、果たしてこの家にたどり着いたかな、と今でも思うことがあります。建築家は建物の設計をするだけじゃなく、施主の心の芯にある要望を整理整頓してくれたり、新たな気づきを与えてくれるものなのだと、改めて実感したスタートでした。次回はこの中古住宅をどのように自分の家にしていったかについて書いていく予定です。

通りの先に見えるのは、歌川広重の絵に出てくる萬年橋

profile
荒井直子 naoko arai

東京生まれ。大学卒業後、住宅情報雑誌の制作に携わった後、フリーランスのライター・編集者に。住宅・建築・インテリア・街づくり・不動産といった住まい・ライフスタイル関連を中心に、旅・お酒・カルチャー・スポーツ・人物インタビューなど、興味のあること・興味のある人を取材・執筆しています。