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ワークスタイル再考
#04
理想の仕事場って
何ですか?

text:satoshi miyashita photo:akemi kurosaka illustration:awako hori

 

PARTY伊藤さんとondesign西田さんによる「働き方」対談の連載も、いよいよ最終回。
仕事の話は予期せぬ方向へと進んで。。。

 
「集団デザイン」の時代

西田 PARTYのプロジェクトは、基本的に伊藤さんがアサインする形でスタートするんでしょうか。

伊藤 そうです。ただ、僕経由ではないプロジェクトのオファーも山のように来るので、それはそれでスタッフが独自にアサインしてシェアしています。その際はたまにサジェスチョンしたりすることもあります。「こういう映像の人を使ってみたら」とか「このカメラマンが素敵ですよ」と。でも、ほとんど僕からは口出ししません。

西田 なるほど。僕は仕事を共同設計にしてから、あきらかにアウトプット自体が変わってきたと感じています。大学を卒業してすぐにコンビでデビューして、5年後に解消、その後、ワントップでやっていた時代が数年ありました。そこから共同設計へと移行したんですけど、それまではアイディアからスケッチ、図面まですべてひとりで描いていたので、ある程度、空間の嗜好(キャラクター)ができあがっていたんですね。
 でも共同設計にして、プロジェクトごとに自分たちが求められているテーマを言語化し、そこからクリエイティビティをどう発揮させるかを考えるようにした結果、あきらかにアウトプットが多様になりました。
 僕らの仕事は建築以外のところでアウトプットを求められることがよくあるので、そういう時は外部の方と組んでディスカッションを楽しみ、「一緒に、そこの部分はお願いします」と言って、分担してやってもらいます。そんな風にやり方を変えたことによって、アウトプットに加え、自分に対してものすごくインプットが多くなったと感じています。
 話を聞いていて、伊藤さんは組織をまるで粘土を捏ねるように少しずつゆるめているというか、溶かしていくことで、インプットするものを変え、PARTYでつくるものを変えていっているんじゃないかと思いました。

伊藤 変わっていってほしいし、多様的に存在していってほしいと思います。僕らの先輩は、例えば宮崎 駿のようにこれまで個の時代を生きてきたんだと思います。でも、50年後の未来には、AppleとかGoogleというワードが学校の教科書に普通に記されているはず。それはつまり「集団デザイン」の時代ですよね。今、僕は、そこに気付かないと駄目だなって思ってやっています。前回話した「ひとりで何でもやりたいです」っていう学生も、「今、君が好きなものは何ですか?」って尋ねれば、「Googleです」って答えるわけです。

西田 「あれ?」みたいな。

伊藤 「じゃあ、Appleのジョナサン・アイブを知っているか?」って聞くと、「誰ですか、それ」って答えるんですね。「ね、知らないでしょ」って。「つまり、そういう時代なんだよ、今は」って。「君がひとりでやりたいっていうのはすごく分かるけど、君がひとりでやりたいことと、Appleに就職するっていうことは相反してないか?」と。「じゃあ、それが共存する社会っていうのは何かを一緒に模索しなきゃいけないね」ってことを話すんです。

西田 すごくわかります! 

 

中心なき周縁

西田  これまで伊藤さんがビジネスにおいてロールモデルにしてきた人物っていますか。

伊藤 僕が参考にしてきた人物? 誰だろう(笑)。しいて言えばFIFAとかフリーメイソンとか。誰ってことじゃなくて、ひとつのブランドで括られているものですかね。

西田 なるほど。

伊藤 ブランドのような偶像がみんなの心の支えになって、弱いつながりみたいなものを形成している状態、そんな組織がいいような気がします。だから、(前回のテーマの)会社を溶かしたい、働く場所を溶かしたいっていうのはそういう意味で言っているんです。
 ぜったいに伊藤直樹の会社=PARTYとか、代官山に本社があるデザイン会社……とかっていうふうにはしたくない。つまり、「中心なき周縁」とでも言うんでしょうか。なんか外側でウロチョロしている、そんな状態をつくりたいんです。

西田 その「中心なき周縁」のところにこそ、PARTYの仕事が実際につくり出されている感じがします。さっきの話じゃないですけど、ちょっと見方を変えてみたとか、ずらしてみたとか。

伊藤 そうなんですよね。最近、あるプロジェクトのPRをどうすべきかで、某クライアントと議論する機会があったんですが、そこでもプロジェクションマッピングと言えば誰々とか、メディアアートと言えば誰々っていうふうに、ある種のカテゴライズがされていたのに、すごい抵抗感を抱きました。

西田 括られることに。

伊藤 そうです。

西田 タグ付けされているみたいな。

伊藤 PARTYは、べつに表現手法にこだわりがあるわけではなく、体験をいろんな形でデザインしたいだけなんです。フィンテックもプロジェクションマッピングもやりたいし、人工知能もドローンも使いたいっていう。表現手法を括られたくないというのが絶対にあって。でも、それだと分かりにくいって、社内でもよく議論になります。

西田 結局、定量的になっているもの対して人はお金を支払いたいし、自分自身にもベネフィットがあると思いたがりますからね。この話は、ビジネス向きではないですよね。

伊藤 はい。でも僕は定義付けされてしまうと長続きしないと思っています。さっき言った、FIFAやフリーメイソンみたいにゆるやかに存在して、よく考えてみると「FIFAって何だったっけ」っていう感覚。そういう存在になるには、例えば「サッカーはヨーロッパだ!」とかって言いきっちゃうと、もうヨーロッパだけでしかサッカーをしなくなっちゃうわけです。

西田 でも、そうしたほうが対外的には分かりやすいし、分かりやすいほうがクライアントにとって仕事がしやすいっていう、そこには利害の一致する現実もあって。

伊藤 たしかに、そうなんですよね。